2 天主が奉仕・献身の生活にあなたを召される時、あなたにくださった恩寵の省察

1・あなたの宣言の各部分を省察しなさい。第一、あなたは一切の大罪を忌み嫌い、捨て去ったのです。第二、あなたは天主を愛し、天主に仕えるために、霊魂と、心と、身体と、それに属するあらゆるものを主に奉献したのです。第三、もし、罪に陥る不幸に会うならば、天主の聖寵のご助力によって直ちに起き上がるはずでありました。これらは、美しく、正しく、尊く、勇ましい決心ではないか。この宣言が、いかに神聖で、道理にかない、また望ましいものであるかを考えるといいでしょう。

2・だれに向かって、あなたはこの宣言をしたのか。それは天主に対してです。人間に対して結んだ正しい約束すら、厳しい義務を生じることを思えば、天主に宣言した約束はどうであろう。「ああ主よ、私の心が告げたのは、あなたに向かってです。このよい言葉を出したのであれば、私はこの約束を忘れません」と、ダビデ王は祈りました。

3・これを約束したときの証人は、だれだれであったか。それはあらゆる天国の住民の前に行われました。聖母も、聖ヨゼフも、あなたの守護の天使も、聖ルイ王も、そのほかの諸聖人も、あなたをながめて、あなたの約束に喜びと励ましのことばを添えて、天主の奉仕のために一身を捧げて、その御足もとにひれ伏すあなたの心に、限りない愛の眼を注いでおられました。天上のエルサレムにおいて、その日、大きな喜びがあったのです。もし、あなたが進んで、再び決心をするならば、その記念の祝いは、天においてもあるであろう。

4・どのように、あなたは、この宣誓をしたか。ああ、どれほど、天主は、その日、あなたに慈しみ深かったことか。あなたは、聖霊の甘美な御招きによって、呼ばれたのではなかったか。天主が、あなたの小舟を、この救いの港に引き寄せてくださった二筋の綱は、愛と恵みではなかったか。天主は秘蹟・読書・祈りのうちに、神の愛が甘美であることを示して、あなたを養ってくれたのではないか。ああ、愛するフィロテアよ、あなたが眠っている間に、天主はあなたの心の上に平和を願って、あなたのために愛の配慮を思いめぐらしてくださったのです。

5・天主が、あなたを、この一大決心に導いてくださったのは、いつであったか。それはあなたの生涯の花の時期であったのです。いくら早く悟っても、早すぎるということができないことを、早く知ることができたのは、なんと幸福なことであろう。聖アウグスチノが天主のみ声を聞いたのは、彼が三十歳のときであった。このとき彼は叫んで言いました。「ああ、過ぎ去った甘美よ、なぜ、あなたを知ることが遅かったのか。常にあなたを見ていましたが、あなたを思うことはなかった」と。あなたもまた「ああ、過ぎ去った甘美よ、なぜ、あなたを味わうことが早くなかったのか」と言わねばなりません。しかも、そのときでさえ、あなたはそれに値しなかったのです。ですから、あなたが若いとき、あなたを招いてくださった天主の限りない恩寵を思って、ダビデと共に、「神よ、わたしの若いときから、あなた御自身が常に教えてくださるので、今に至るまでわたしは、驚くべき御業を語り伝えて来ました」(詩編71・17)と言うといいでしょう。また、主があなたを召し出してくださったのが、あなたの老年においてであったとします。フィロテアよ、生涯の大半を浪費してしまった後に、これにもかかわらず、天主があなたを死の前に召し出して、あなたの罪の生活を止めてくださったのは、どんなに御慈しみ深いことであるか。もしも、そのままにいたならば、あなたは永遠の不幸を見るはずであったのに。

6・この天主の召し出しの効果を省察しなさい。おそらく、あなたの現在と過去を比較するならば、よい変化を発見するでしょう。祈りによって天主に語る方法を覚え、天主を愛する意志を生じ、あなたを不安にさせた多くの欲望の力を減らし、多くの罪と良心の煩悶を避けることができ、これまでよりも、しばしば聖体の秘蹟に近づき、永遠の聖寵の源泉に一致するようになったのは、真の幸福であります。どれほど、これらの聖寵は大きいことか。フィロテアよ、あなたはこれを至聖所の秤にかけて計らないといけません。この一切の行ってくださったのは、天主の右手でありました。「主の右の手は高く上がり、主の右の手は御力を示す。死ぬことなく、生き長らえて、…心と、口と、行いをもって…主の御業を語り伝えよう」(詩編117・16、17)とダビデ王は歌いました。これらの省察の最後に(それはあなたによい感情を豊かに与えるはずであるから)、天主に感謝を捧げ、これを十分に利用しようとの熱烈な祈りをして、謙遜と天主に対する大きな信頼の感情に満たされて、この省察を終えるといいでしょう。新たに堅実な決心を作ることは、この勤めの第二段に譲ります。