17 この「入門」の書に関して生ずべき二つの疑惑に対する応答

フィロテアよ、以上の勤めと教訓は複雑すぎる、これを守ろうとしたならば、他のすべてのことがらを放棄しないといけない、と世間はあなたに言うであろう。愛するフィロテアよ、たとえ他の事ができなくてもそれで結構ではないか。私たちはこの世でなされないことをしているのだから。しかし、そのように言いますが、世間は狡計であります。もし、私たちが、以上の勤めの全部を、毎日しなければならないとすれば、なるほど、他に余暇はないでしょう。しかしながら、そうではありません。必要に応じて一定の時に、その各個をすればよいのです。法律の中には、守らないといけない規則がきわめてたくさんありますが、しかし、それは必要に応じて守る規則であって、毎日全部を要するのではありません。種々の重大なる要務を有していたダビデ王は、私があなたに示したより、もっと多くの勤めを実行していました。戦争に際しても、平和の日においても、偉大であった聖ルイ王は、政治を司り、裁判を聞き、同時に、毎日、二回のミサ聖祭にあずかり、宮廷付き司祭と共に、日課晩祷、ならびに終梼を唱え、黙想を行い、病院を訪問し、毎金曜日に告白し、自らむちを加え、しばしば説教を聴聞し、霊的談話に参会し、それでもって、国内の施設を計画し、かつ、実行するために、なに一つ機会を失うことなく、従って、王室の威勢は、前代未聞の繁盛をきわめました。ですから、あなたも、私が教えたとおりに、勇敢にこの勤めに着手しなさい。天主は、あなたの職務の全部をやりとげるだけの、時間と気力を与えてくださるでしょう。ヨズエのためになさってように、必要ならば太陽の運行をも止めてくださるでしょう。天主が私たちと共に働いてくださるならば、不可能なことはありません。次に、私は、常にフィロテアを、祈りの賜物を有するかのように接しています。しかし、この賜物は、各人のものではありません。ゆえに、この「入門」はすべての人に適当とは言えない、と世間は評価するかもしれません。私が、フィロテアを、祈りの能力を持っているかのように接したのも事実であります。しかしながら、たとえ、いかに無知・盲目の人でも、もし、よい指導霊父を有し、まじめにこの目的のために努力すれば、(これは確かに努力するだけの価値があることである)ほとんど、必ずこの賜物を獲得することができるものであります。もしも、絶対にこの賜物を持たない人があるとしても、(これはきわめてまれの例外に相違ないと思う)賢明なる指導者は、黙想のために書かれた省察を注意して読ませ、あるいは他人に読ませて聞かせて、容易に、この欠点を補うことができるはずです。