8 小さな誘惑にも抵抗すべきこと

私たちは、大きい誘惑に対しても、強い意志をもって、くじけないという勇気をもって戦い、尊い勝利を得なければいけませんが、しかし、一般的には、小さい誘惑に対する勝利の方が、さらに貴重・有益であると言わなければいけません。大きい敵に対する勝利が、その程度においてすぐれているならば、小さい敵に対する勝利は、その数において、大きい敵と到底比較にならないほどの、多数となることができ、従って、勝利としての価値も、またお互い匹敵して、少しも優劣をつけることができません。オオカミやクマは、青バエに比べて危険なことはもちろんです。しかし、煩わしく、迷惑になり、私たちの忍耐力の試練となるのは、むしろ後者です。殺人を思い止まるのは簡単ですが、始終その機会ある小さい怒りを忍ぶのは困難です。男にしても、女にしても、姦通の罪を犯さないのは、比較的容易です。しかしながら、流し目を送ったり、偏愛を交わしたり、特殊の好意を示してわずかな贈り物をしたり、冗談を言い合うことをやめるのは、容易ではありません。肉体的に貞操を傷つけないのは困難ではありませんが、夫妻間の愛を傷つけるのは容易です。他人の所有物を盗まないことは容易ですが、これを妬まないで、あるいは、羨望しないのは、困難です。法廷に出て偽証しないのは簡単であっても、会話のなかで一度も虚言しないことは困難です。酒を飲んで、泥酔しないことは簡単でも、常に度を守ることは困難です。他人の死を願わないことは簡単ですが、時として、ことばの不幸・失敗を願わないのは困難です。このように、憤怒・邪推・嫉妬・羨望・恋愛・戯言・虚栄・虚偽・狡計・邪念などに関する小さい誘惑は、最も敬虔に、かつ、最も真面目に天主に仕えようと決心している人々にとっても、日常でいつものことです。愛するフィロテアよ、ですから、私たちは、最善の覚悟と用心とをもって、この戦闘に望まないといけません。私たちが、このような小さな誘惑に対して、獲得した勝利の数だけの宝玉が、天国において、天主が私たちのために準備してくださる王冠を飾ることを忘れてはいけません。ですから、大きな誘惑の日に勇ましく戦うその時を待ちながら、私たちは、いま、弱くて小さな敵に対して、完全に防御しようではありませんか。