6 (黙想の第3部)感激と決心について

黙想は、私たちの意志に、善良な感激を生みます。たとえば、天主、および、隣人に対する愛、天国とその光栄との希望、救霊に対する奮発、主イエスの御生涯の模倣・同情・感嘆・悦楽、さては、天主の怒り、ならびに、審判・地獄の恐怖・罪の憎悪・天主の御慈しみに対する信頼・私たちの過去の罪悪の羞恥などです、これらの感激に際して、私たちは当然できるだけ私たちの感情を激励しなければいけません。もしも、そのために、なんらかの助けが欲しければ、ドン・アレドレー・カピリアの「黙想」の第1巻をとり、その序言を読めば、感激を大きくする方法が記されています。なお詳細を知ろうと欲する人は、霊父アリスの「念祷論」を参照にするとよいでしょう。フィロテアよ、しかし、無駄に、これらの一般的な感激に止まって、あなた自身の矯正、ならびに進歩を目的とする、特殊の決心することを怠ったとしたら、それは不十分であります。たとえば、聖主が十字架上で発せられた最初の御言葉は、必ずや讐敵を赦し、彼らを愛そうという、主の模倣のよい感激をあなたの霊魂の中に満たしますが、しかし、あなたがもしこれに、下のように特殊の決心を加えることがないならば、利益となることは少ないでしょう。例えば、「私の隣人、もしくは召し使いの何某が、私に言った何々のぶしつけな言葉、もしくは、私に対してなした何々の失礼について感情を害すまい。私は何々と答え、何々のことをして、その心をやわらげよう」等。フィロテアよ、こういうふうにすれば、ただ漠然と感激をもってしてできなかったことや、容易になおすことができなしあなたの欠点をも、短時日の中に正すことができるでしょう。