ポンペイのロザリオ

喜びの玄義1 お告げ

①ついに、父祖たちの望みである救い主が、私たちの世界に降る時が来ます。救い主は、預言通りに祝福された乙女から産まれます。「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた」(ヨハネ1・14)。御言葉が人となられたのは、私たちの罪を贖い、私たちに天国の門を開くためです。そして聖なるご聖体により、御自身の全てをあなたに与え、常にあなたとともに住むためです!最も聖なる三位一体よ、この無限の愛に感謝します。御父は私たちに御自身の御子をお与えになり、御言葉は人となられることに同意し、聖霊はこの偉大な神秘に働くことに捧げます。この無限の愛に、私はどのように一致すればいいですか?

次に、神の御子を宿したマリアの偉大な特権と完全な謙遜を考えましょう。神は救い主をこの世に与えるために、罪のない女を創造しました。彼女は受胎した最初の瞬間から原罪から解放され、まったく罪はありませんでした。「若い娘の数は知れないが、私の鳩、清らかな乙女は一人」(雅歌6・8、9)。これは神の母マリアのことを表します。彼女は被造物の中で最も偉大ですが、最も謙遜な方です。マリアは、よい香りがするコウスイガヤに例えられます。聖アントニオが言うように、それはマリアの謙遜を象徴するからです。その香りは天に上がり、乙女の胎内に神である御言葉を引き寄せます。聖なるドミニコ会の大司教は付けくわえます。「神の母となる乙女の謙遜は完全でした」。聖ベルナルドは結論づけます。「もし神がマリアの純潔を好まれるのなら、神の御子を引き寄せた謙遜はどのくらい好まれたであろうか?」。聖母マリアはある日、聖ブリジッドに現れて言いました。「もし私が無から造られたものであることから目を離し、謙遜でないならば、神の母になる恩恵を頂けたでしょうか?」。その言葉を証明するために、謙遜な賛歌の中で歌いました。「力ある方が、私に偉大なことをなさいました」(ルカ1・48、49)。御母は常に自分の虚無から目を離すことなく、最も謙遜な目で、偉大な神を見ていました。神は彼女の謙遜に激しく心うたれ、彼女の胎内に引き寄せられました。「恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう」(雅歌4・1)。主は、彼女の謙遜のため、彼女の同意なしに彼女の子になることを望みません。それで神は、御言葉の受肉という偉大な計画をマリアに示すために、大天使ガブリエルを送ります。彼女は、神の前で自分を最も小さいものとしてへりくだります。しかし彼女は神の前においては偉大です!また、彼女は自分を取るに足らないものとして見ますが、主の目に称賛に値します。「どうしたら?」聖ベルナルドとともに私もたずねます。「どうしたら、マリアは、謙遜の徳を、全くの清さ、全く罪がないこと、満ち満ちた恩恵とともに持つことができるのか?」。おお、謙遜の女王、あなたは神を宿しました。ですから、神は、あなたによって、あなたから、私たちの罪の贖いを始めました。御母よ、私たちも、あなたの謙遜にならい、あなたのように謙遜になれるように祈ってください。

②天使は、大きい都市の宮殿に住む娘ではなく、神の目を引く自然の長所のない小さい町ナザレの娘に派遣されます。神の目を引く真の長所は、謙遜、罪がないこと、そして神に対する愛です。大天使ガブリエルが現れたとき、マリアは貧しい小さな家に一人でいて、世界に約束された救い主が送られるために激しく祈っていました。大天使ガブリエルは神からの福音を告げ知らせる際に、三つの偉大な称号でマリアを呼びます。一つ目はマリアご自身に関係があります。「あなたにあいさつします。恩寵に満ちたお方」。つまり、マリアは全ての中で最も聖なる方で、神の全ての恩恵と恩寵の宝物庫であることを告げます。二つ目は神に関連しています。「主はあなたとともにおいでになります」。つまり、マリアは、神から守られ、神に最も近くにいて、神に最も親しいことを告げます。三つ目は人類に関連しています。「あなたは女の中にて祝福された方です」。つまり、マリアは特権を持ち、全ての上に高められていることを告げます。私たちは天使祝詞を祈るとき、大天使ガブリエルがマリアに行ったこれらの敬意を与えていますか?

マリアは神の福音を知らせる天使の言葉に困惑し、ひどく不安になりました。彼女は、全く謙遜だったので、全ての称賛から遠ざかり、全てを創り、全ての善を与える方のみが称賛されることを望み、彼女にそのような言葉はふさわしくないと思ったからです。マリアとルシファーとの何という違い!ルシファーは自分に偉大な美しさが備わっているのを見て、自分の王座がほめたたえられ、神と対等になることを望むという途方もない考えを抱きました。もし彼が、マリアが祈りで美しくなっているのを見たならば高慢になったであろうか?謙遜な乙女は、決して高慢になることはありません。神がマリアを高めれば高めるほど、それ以上にマリアは謙遜のため低く下りました。彼女の謙遜は美しさを持ち、王の中の王を魅了しました。

「マリアは、この言葉に戸惑い、一体このあいさつは何のことかと考え込んだ」(ルカ1・29)。 あなたは称賛を受けるときにマリアのようにしていますか?しかし、高慢なあなたは、称賛を受けるとき、そうであると信じ喜びます。そして称賛されないならば別の称賛を求めます。そして称賛を喜んだのなら、どれほど恥ずべき罪を犯すことになるだろうか。御母よ、私は、あなたの謙遜から、どれだけ離れていることか!いつの世の人も、謙遜なあなたを幸いなものと言うでしょう(ルカ1・48参)。私は傲慢により神を何度も侮辱し、甘美で謙遜なあなたの心を何度も傷つけました。そのことを深く後悔しています。御母よ、もしあなたが憐れみ深い目で私を見てくださるなら、私は神と和解することができます。もし最愛のあなたの御子を、あなたが教え導いてくれるなら、不幸であることは終わります。あなたは全ての恩恵を持っています。そして、あなたは、あなたが望む人を救うことが出来ます。ですから、おお、恵み溢れるお方よ、私たちの魂を救ってください。

③最後にマリアは聖霊によって身籠ることを知り、「私は、主のはしためです。あなたのみ言葉のとおりになりますように」(ルカ1・28)と同意しました。この御母の返事により、預言は成就し、受肉の神秘が実現し、私たちの最初の父とエバの不従順よる痛ましい結果を修復しました。御母は、無限の謙遜、深い信仰、神への完全な愛、神のみ旨への完全な従順とともに返事します。

あなたも、常にマリアと同じ心で言いなさい。「私は、主のはしためです。あなたのみ言葉のとおりになりますように」。謙遜であることをマリアから学び、神があなたに命じる全てのことにマリアのように従いなさい。あなたは高慢であり、不従順であり、マリアと全く異なります。さらに悪いことに、悔い改めようとしないし、祈ろうともしません。今からあなたの悲しむべき状態を悔い改め、よく祈ることから始めなさい。もし、なかなか改善しないなら、マリアに向かい、受胎告知のときのマリアの謙遜、清い心を頂けるように祈りなさい。

おお、偉大な神の母、恩恵と至福の巨大な海よ、あなたの保護の下で生きていくために、私は至福の碇になりましょう。今日から、あなたが好む聖なるロザリオを祈り、あなたに死ぬまで保護を求めます。ロザリオは、あなたの比類のない謙遜、清さと満ち満ちた恩恵、あなたが完璧な母であること、私の罪のあがないと救いを思い出さてくれます。ロザリオを祈ることで、あなたは、恩恵の泉を開き、罪人に魂の死を教え、私たちがイエスを追い出していることを明らかに示します。あなたは、それに不安になりあなたに加護を求める人に、新しい恩恵と共にイエスを新たに届けるでしょう。

ロザリオの女王よ、私の心を、イエスが王として支配するようにしてください。そこで、あなたは女王として私を支配してください。永遠にあなたとともに生きるため、あなたのように生き、あなたのためにたくさん働かせてください。あなたは全ての人から称えられ、愛されますように、私たちの女王、私たちの慰め、私たちの栄光、アーメン。

(聖体拝領前の祈り) おおイエス、あなたが最も謙遜なマリアの胎内に御宿りになったことを、私たちが称えるように、この御聖体に隠れているあなたを称えます。あなたが快く人になられたことを感謝します。あなたは、あなたの母マリアによって最高の人の子供となりました。主イエスよ、私があなたをお迎えする今、私を無原罪の聖母のように謙遜にしてください。残念なことに、私は謙遜ではありません!御聖体を通してあなたと一致するとき、主よ、私の傲慢を教えてください。憐れんでください!あなたをふさわしく迎えるために、私にない全ての徳を与えてください。 神の母よ、神が人となられることに、あなたが同意した瞬間に感じた慰めを私にも感じさせてください。そして主を立派に迎えるために、その瞬間でのあなたの愛、謙遜、強い信仰を与えてください。神の子を宿した九ケ月間にあなたが行った全てに、私の願い、私の愛、私の崇拝と感謝を結び付けます。救世主の到来を伝えた大天使ガブリエル、天国の天使たち、あなたたちは一人の乙女の胎内に、神が小さい赤ちゃんにまでなったことを見て、ただ、ただ、驚嘆し、賛美しました。しかしそれは今、主が私の中にも御宿りになる恩恵を知るために必要なことでした。マリアの最も貞潔な夫、聖ヨセフ、あなたは神の御子の守護者として永遠の知恵に仕えるために選ばれました。私はとても惨めで貧しいので、ヨセフよ、あなたが夢の中で天使から、その後、マリアの口頭で、御言葉の受肉を教えてもらったときに感じた謙遜、崇拝、愛に私も参加させてください。私の守護の天使、私に付き添い、最も神聖で、最も謙遜で、最も清い愛を私にも知らせてください。

(聖体拝領後の祈り) おお、栄光の王イエスよ、なぜ、この罪人である私に、あなたの全てをお与えになったのですか?あなたは、謙遜なマリアを愛しています。私も御母にならい、あなたの前で謙遜になります。そして、聖体拝領をいただくのに値しないものとして告白します。私は何回も罪を犯し、あなたを大変傷つけてきたので、どんな恩恵もふさわしくありません。しかし、犯した罪を償う必要があります。それで、私はあなたの憐れみに信頼して「あなたを愛します」と、何回も繰り返します。九ケ月間、御母が胎内にいるあなたに捧げた全てに私の心をあわせて、絶え間なくあなたを愛することができますように。永遠の御父、愛である聖霊よ、私たちに神の御子をお与えになった、この無限の恵みに感謝します。神の御血で救われた多くの聖人たちとともに感謝します。主イエスよ、天国にいるすべての霊魂が捧げている感謝とともに、そして、御母の謙遜と感謝の心とともに、また聖ヨゼフの謙遜と感謝とともに、感謝したいと思います。私の高慢の証人である守護の天使よ、私のマリアへの行いがよくなるように助けてください。そして完全な謙遜、完全な愛と最終の堅忍を得られるように祈ってください。 

(聖体拝領後のイエスへの祈り) キリストの御体、私を清くしてください。キリストの御血、私を酔わせてください。キリストの御脇腹の御水、私を洗い清めてください。キリストの御受難、私に力を与えてください。おお、よきイエスよ、私を受け入れてください。あなたの御傷のうちに私をつつみ、あなたから離れることを許さないでください。悪魔の罠から私を守り、臨終のときに私を呼び寄せてください。代々に至るまで、全ての聖人たちと一緒にあなたを賛美するために、あなたのみもとに行くことができますように。アーメン。 

(聖ヨゼフへの祈り) おお、高貴な父、私たちの父、栄光の聖ヨゼフよ、永遠の御父は最愛の息子をあなたに託しました。聖霊は最も純潔な配偶者、純潔の全ての宝、乙女マリアをあなたに送りました。あなたは、イエスの御心と多忙なマリアの御心の近くでたくさん取り次ぐことが出来ます。それで、この恩恵を取り次いでください。(求める恩恵を祈る)。最も甘美な愛であるイエス、マリア、ヨセフよ、あなたたちのために生き、あなたたちのために苦しみ、あなたたちのために死に、全てはあなたたちのものになりますように。

(十字架につけられたイエスへの祈り)変わり果てたお姿になった、最愛のイエスよ、「さいなむ者がむらがって、私の手足を砕く、そして私の体は骨が数えられるようになった」(詩編22・17、18)と預言者ダビデがあなたのことを言ったことを考え、全ての愛、全ての同情とともに五つの御傷をよく考え、あなたをこのようにした私の罪を憎み、あなたを全く侮辱しない断固とした決意を私たちにお与えください。 

『 (あなたが住んでいるところ)乙女に対する祈り』 あなたの恩恵と憐みの光で人々を照らすために、この荒れ果てた(あなたが住んでいるところ)を選んでくれた聖なるロザリオの女王よ、憐みの目を向けてください。そして、私があなたの愛する子となり、あなたに「憐みの母よ」と言わせてください。この声に急いで助けに来てください。あなたの汚れのない足跡は純潔と平和の通り道となるでしょう。私はあなたにふさわしい言葉で祈ることができないので、マリアよ、最も甘美な声でその言葉を教えてください。恩恵で一杯の手を開き、最も価値のない、あなたの召使いを訪問し、敵の罠から救ってください。甘美な鎖を私のところまで伸ばし、私を結び付け、あなたから離れないようにしてください。聖なる純潔なバラよ、あなたの乙女の香りとともに天国まで導いてください。おお、いとしきバラの女王、愛と苦しみを与えてください。あなたの涙で私を憐れんでください。あなたの同情で私を励ましてください。あなたの苦しみで私を貫いてください。あなたの恩恵で私を生き返らせてください。おお、マリア、恩恵の母よ、私のために祈ってください。あなたの僕として私を雇ってください。常にあなたに信頼を置き、常にあなたに祈り、常にあなたに仕え、常にあなたを愛するようにしてください。あなたのために生き、あなたと供に行動し、あなたのために苦しみ、あなたのために死ねるようにしてください。そして臨終のときに悪魔の罠から守り、あなたの息子であり、私の審判者であるイエスのところに、あなたの手で案内してください。おお、汚れのないマリアよ、善、喜び、愛と慈しみの尽きることのない泉よ、私の心を受け入れてください。あなたの執り成しで清め、あなたに似たものとしてください。あなたの愛で聖なるものにし、被造物への愛を取り除いてください。そしてあなたの心に燃えている火で私の心を燃やしてください。今もいつも世々にいたるまで、アーメン。

喜びの玄義2 ご訪問

①聖霊は、忠実な対応と機敏な決断を強く求めます。聖霊に常に従順なマリアは、すぐにその勧めに従います。御父は、原罪の鎖でつながれている先駆者ヨハネを聖なるものにし、マリアの胎内にいる御子の栄光と力を示し、二人の母に新しい喜びと恩恵を満たすことを望まれました。神の愛と隣人への愛で一杯のマリアは、困難な道のり、若くてきゃしゃな女性、そして神の母の身分にもかかわらず、ガリラヤのナザレの慎ましい住まいからすぐに出発し、ユダヤの山まで長く骨のおれる旅を始めます。愛する人よ、あなたは、神の栄光のため、あなたの救いのため、そして隣人の利益ため、神の特別な計画である良い勧めを、なんとたくさん無視したことか!見なさい、赤ちゃんを身ごもって半年になるエリザベットは援助となり慰めるとなる支援者を必要とします。愛と美しさにおいてセフィラムに勝る乙女はすぐに決意し、旅をゆっくり進むことなく、急いで向かいます。彼女は隣人への愛によってそれを行います。その時、神の愛で一杯であり、怠惰な心はありません。自分のことを考えず、常に隣人の利益のために自らをかり立てます。彼女にとって、神への愛と隣人への愛は同じ愛です。この愛は今の原因、今の結果であり、そして今神に、そして今被造物に向けられます。この美徳はマリアを導き、気晴らしと楽しみを愛しません。また、私たちの訪問の動機となる好奇心を満たすものや自らを誇示するものを見たり見せたりすることを望みません。愛する人よ、マリアの熱烈な愛を模範にしなさい。マリアのように神を愛していないことをはっきりと認めなさい。おお、神の母よ、愛の母よ、あなたの豊かな愛を示してください。そして神に何度も抵抗する私を憐れんでください。心をつくして神を愛し、隣人を自分と同じように愛するために、あなたの聖なる愛の火で私の心を燃やしてください。

②マリアは深い謙遜のため、彼女の無限に高い地位、彼女の息子とエリザベットの息子の無限の違いを考えません。そして世の虚栄心が厳密に守ることを求め、自己愛によって作られた立派な階級の厳しい制限と変な掟を、主のはしためは知りません。マリアがエリザベットに挨拶したときのことを考えましょう。真の愛は地上の利益を求めず、隣人の望みを先に行います。もし愛である神が私たちに先に行わないならば、全ての日に先に行わないのならば、私たちは神を知っていたでしょうか?私たちは神のことを考えたでしょうか?マリアがエリザベットにあいさつしたとき、胎内にいる御言葉はマリアの挨拶の声と一つになります。そして偉大な奇跡がそのあとに続きます。イエスは、マリアの胎内からヨハネを聖別し、ヨハネは母エリザベットの胎内で歓喜し、エリザベットも聖霊に満たされ歓喜します。主は、最初にマリアの声を通して神の力を示し、最初の恩恵を人類に与えました。現在も同じように、全ての恩恵はマリアを通して与えられます。おお、恵みの母、あなたの声はどれほど力があることか!私にも、あなたの声を聞かせてください。そして、あなたの声で私の好意をあなたの御子に伝えてください。おお、聖なる乙女よ、どうすれば、あなたをふさわしく褒め称えることが出来ますか?私は、それをエリザベットに学びます。そしてエリザベットとともに声高らかに叫びます。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」(ルカ1・42)。

③エリザベットは続けます。「私の主の、お母さまが私のところに来てくださるとは、どうゆうわけでしょう」(ルカ1・43)。エリザベットは、マリアの胎内にいる子が神であることを知り、彼を主と呼びます。愛する人よ、聖体拝領で主が私たちを訪れるとき、私たちはエリザベットと同じ気持ちを持っていますか?御聖体の中におられる神を、私たちは、エリザベットと同じように喜び、信仰と謙遜を示しますか?エリザベットは、神の光によって、マリアを神の母と認めて言います。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1・45)。預言されたことは、今、実現しました。恩恵、感謝、愛で一杯のマリアは、最も謙遜な心で神への感謝と愛、預言、神の特性を称える賛歌を歌います。そして全ての世代で起こる彼女についての預言を私たちに教えます。「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、このはしためにも、目をとめてくださったからです。今から後、いつの世の人も、私を幸いな者と言うでしょう。力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから」。彼女は神が過去に行った正義を思い出します。「主はその腕で力を振るい。思いあがる者を持ち散らし」(ルカ1・51)。彼女は、すべての時代で神の約束は続くことを、預言します。「その哀れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」「私の先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」(ルカ1・50、55)。愛する人よ、人が誇る偽りの輝きがあなたを引き寄せるとき、神だけが偉大であることを認め、神に従いなさい。また快楽があなたを誘惑するとき、神にのみ純粋で永続的な楽しみがあると思いなさい。そして賞賛や自愛心があなたを魅了するとき、あなたの虚無を考え、マリアが行うことが出来ない、あなたが犯した罪を思い出しなさい。マリアよ、あなたと御子が最初の奇跡をおこなったその時から、あなたは恩恵の母であることを示しました。私はロザリオのこの神秘から、たくさんの恩恵を望みます。なぜならば、あなたは全人類への恩恵の分配者であり、従ってあなたは全ての人の希望であり、私の希望だからです。おお、マリア、私のために祈ってください。そしてあなたの御子へと導いてください。あなたの祈りを、神は拒むことはありません。あなたは、あなたを無限に愛している御子の近くで祈っています。あなたは私の惨めさと、私が必要とする全ての恩恵を知っています。ですから、あなたの手のなかに私の全てを捨て、あなたに全てを委ねます。アーメン。

(聖体拝領前の祈り) イエスよ、あなたの知恵と憐れみの、いと高く無限の計画を崇めます。私たちの罪の贖いの共贖者、恩恵の分配者を早くから明らかにするため、世界に降りたばかりのあなたは、御母マリアを介して最初の奇跡を行うことを望まれました。マリアの訪問はエリザベットの家を喜びで満たし、エリザベットの胎内にいたヨハネを聖別し、口が解放され神を賛美したザカリアを慰めました。そして、全ての恵みの創り主であるあなたの訪問を受ける今日、どのような大きい恩恵を望むべきですか?あなたは、御母の手を通さないで与える恩恵はありません。彼女は人類の母、罪人の保護者です。聖なる乙女よ、私たちの救済者として、あなたの職務を行ってください。急いで貧しい家である私の魂を訪れ、イエスを招き、イエスが私を支配するようにしてください。今日、あなたとあなたの御子は私を訪問します。恩恵の母、女のなかで祝福されたあなたは、私のたくさんの悲惨を見て、たくさん憐れむことができます。私の魂は、多くの悪、無秩序な好意、悪習、犯した罪で病気です。それらは、私を永遠の死に導くでしょう。神の宝物の管理人よ!あなたは私を豊かにすることが出来ます。私は、主の訪問をうけるのに値しないものです。ですから、聖なる御子に一言、言ってください。そうすれば私は癒されます。おお、マリア!あなたは信じたために恵まれています。私にあなたの信仰、あなたの清さ、あなたの謙遜、あなたの愛を与えてください。おお、聖霊で満たされたエリザベット、あなたの喜びとあなたの謙遜に参加させてください。マリアのあいさつの声で聖別されたヨハネよ、私がイエスとマリアの訪問を受けるのに値するために、あなたの聖さで覆ってください。マリアの夫、聖ヨセフ、最も汚れのないマリアの手からイエスを迎えに行く今、あなたの最も清い愛情とともに私に付き添ってください。そしてユダヤの山で女王に同行し、マリアを介してなされたイエスの最初の奇跡の証人である天使たちよ、聖体拝領で、主の無限の好意によって、神が被造物を訪問し、恩恵によって彼そのものを与えるこの瞬間に私を同行し支えてください。(あなたが必要とする恩恵を祈る) 。

(聖体拝領後の祈り) イエスよ、今私に与えてくださった素晴らしい恩恵に対して、無限に感謝します。神であるあなたは、私を訪問するために、どれほど身をかがめましたか?どうして、私の主、神であるあなたが、私のところに来るのですか?主よ、あなたは私を訪れ、あなたの全てを与えます。私は、あなたを賛美し、あなたを崇め、あなたに感謝し、あなたを愛します。天にいるすべての天使たち、聖人たちの捧げる賛美、そして地上にいるすべての聖徒たちが捧げる賛美とともにあなたを称えます。人生の全ての瞬間で、あなたを心を尽くして愛します。私の神よ、私の創造主よ、私の贖い主よ、私は、すべての人があなたを冒涜し、侮辱し、否定した全ての罪を償います。そうすることで、あなたの御恩と愛に対して返しをしたいのです。そして、あなたが最も聖なる三位一体に、そして乙女マリアにもつ愛に、私の愛を合わせ、あなたが人となり、十字架上で死に、そしてこの御聖体に残る私のためにもつ愛に、私の愛を合わせ、あなたを愛します。恩恵の母、最も愛する母よ、私のところに来てください。私は、あなたがイエスと共に行った恩恵、愛、保護をまだはっきりと理解していません。イエスが私を決して取りのぞくことがなく、私が彼を侮辱しないために、そして感覚の楽しみとこの地上の楽しみの全てを嫌い、あなたに仕え、あなたを愛することの喜びを味わうために、恵みの母であり女王よ、あなたの甘美な声で、あなたがイエスと共に行ったことを教えてください。そして私が死ぬときに、私を訪ね、敵から守ってください。永遠にあなたを称え、あなたを愛するために、イエスのところに導いてください。私は天国に行けるその時まで「私の魂は主を崇め」を繰り返します。(ここで、あなたが必要とする恩恵を祈る) 。

喜びの玄義3 ご降誕

①受肉された御言葉が、乙女から生まれこの世界に現れる時がきます。その喜びはとても大きく、預言者はその偉大な最初の計画を「勇士が喜び勇んで道を走るように」(詩編19・6)と例えて言います。ルカ福音書に次のように記されています。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである」(ルカ2・1~5)。マリアとヨセフは、地上の権威に従います。その旅路は、冬の厳しい寒さの中、長く困難でした。マリアと彼女の聖なる配偶者は旅に疲れベツレヘムに入りました。しかし二人は宿を探しますが、全て宿泊客で一杯で、二人を受け入れる宿はありませんでした。二人の姿は貧しく、裕福な人が優先されたからです。聖なる貧しさ!御母よ、この惨めな世界で、あなたを受け入れる宿を見つけられないでさまよいますか?夜明けまで、美しい母を拒否しますか?人の目に、貧しさは不名誉で軽蔑されるものです。しかし神の目に、貧しさは計り知れないほどの価値があります。

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて」(ルカ2・6)、マリアは他の女性のように痛みが加わることではなく、人となられる御子を見つめ、腕の中に抱きしめたいという望みと愛が大きくなったため出産が近いことに気づきます。しかし、ヨセフが出会っている大きな苦難のなかで!寒さ、夜、暗闇、大勢の宿泊客の競争、騒々しさは、二人の心労、苦労を増やします。それでも不平を言うことはありません。二人に起こったことは、神の最も偉大な計画は最も困難な試練のなかで行われることを私たちに教えます。

②全ての宿から断られた二人は、急な道、厳しい小道を通り、町の外れにある馬小屋にたどり着きます。そこに、神は、最も神聖で最も愛する二人マリアとヨセフを案内します。二人は神の摂理を認め、愛と忍耐で従います。神は、その従順に報いるために神の御言葉が人となることを最初に見るという慰めを二人に与えます。ある日十字架上で死ぬことを予定されている赤ちゃんの出生にふさわしいこの目立たない避難所でマリアは深い観想に入り祈ります。そのとき、受肉された御言葉は、自らの力で、ガラスを割ることなしに通過する太陽の光のように、乙女マリアを介してこの世に入ります。童貞のままマリアは、御子をお産みになり、御子の実際の母になりました。その時のマリアとヨセフの喜びを、誰が表現することができますか?

天使たちは羊飼いにあらわれ、生まれた赤ちゃんを救い主として賛美します。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)。愛する人よ、天と地の女王を見なさい。彼女は創造主を貧しい布で包み、ゆりかごとして使用した馬草桶に寝かせます。そして彼女の最も純潔な配偶者を呼び、二人は最初の最も純粋な崇拝をします。私たちも聖マリアと聖ヨセフと一緒に喜びましょう。私たちの賛美を彼らの愛に合わせ、そして彼らの清貧、忍耐、従順をまねるように努めましょう。

神の摂理をどんなに称賛すべきか!にもかかわらず、神の摂理を愚かな世は偶然の結果のように思っています!勅令でもって政治的な計画と自身の虚栄を達成したローマ皇帝の行ったことは、イエスがベツレヘムで生まれるという預言が成就するための理由にすぎません。イエスは出生の場所と時をこの世の国に明らかに残すために、帝国の登録簿に書かれます。イエスは、謙遜と富からの離脱という永遠の帝国の創設者となるために、馬小屋で生まれ、馬草桶に置かれます。肉の目は、見えることから判断します。動物的な人間は、見えることから見えないことに達しないので物事の究極の理由が見えません。そして神が世界を支配していることに気がつきません。主よ、私はあなたの崇敬すべき摂理を認め崇めます。人は自らの判断のため盲目です。私が受け取る欠如、辱め、反対など、すべての出来事はあなたによって許可され、あなたから来たものであり、その全ては私の善と、あなたの光栄のためになることを常に認めます。

③生まれて馬草桶にいるイエスはどうゆうお方ですか?彼は私たちの神です。しかしイザヤが預言したように本当に隠れた神です。彼は神性において御父と等しく、人性において罪以外は私たちと同じです。愛らしい赤ちゃん!信仰は、この愛らしい赤ちゃんを私たちの救い主、私たちの模範として示します。馬草桶にいる赤ちゃんは従順、謙遜、禁欲、離脱、清貧、そして世が尊重する全てを軽蔑し、世が軽蔑する全てを尊重することを教えます。この馬小屋で聞かれる泣き声は、なんと雄弁か!おお偉大な神!この日、神は人となられました。全能の神である御言葉は、しゃべることのできない弱い赤ちゃんとして生まれました。愛する人よ、わずかなわらの上に置かれ、硬くて不快な馬草桶に置かれている小さな体を見なさい。彼の繊細な体は厳しい寒さで苦しみます。そして苦痛ではなく、あなたの罪を洗うために涙を流し、愛すべき目が涙で覆われます。

あなたはつかの間の快適を大切にし探し求めますか?主イエスは、御父のご意志に完全に従順であり、誕生の瞬間からたくさんの厳しさの中に置かれます。彼は、あなたの体が持つたくさんの弱さを望みました。彼は神聖で繊細であるにもかかわらず体を望み、地上でわずかなワラの上に置かれます。主は、救いのために、危険である肉への愛、偽りの安楽を十分に知っていたからです。それらは、救い主が私たちのために耐えた苦しみの実と、そこで手に入れた功徳を失わせます。

聖ベルナルドは嘆きました。「私たちは天国に行かない限り、自己愛から自由になれないであろう」。もし肉の弱さのない自己愛が、堕落で覆われていないたくさんの天使を地獄に落としたのなら、なぜ肉から来る自己愛への情熱を捨てないのか?

あなたを拝みます、受肉された御言葉よ!あなたを拝みます、生ける神の子よ!あなたを拝みます、肉に覆われ、そして惨めな私にあなたを与えてくださる神よ!私の魂に来て、私の救い主になってください。この世の全ての罪を見て流すあなたの最初の涙は、なんと、私を悲しませることか!私はすでにこの地上と私の体の配慮に人生の大部分を費やしました。私に残っているものは、天国の功徳のためにほとんど価値のないものです。私の神よ、あなたの役に立つたように私を変えてください。私は、犯した罪であなたを貫きました。そしてあなたと共に心からそれを泣きたいのです。ですから、私の魂の盲目を回復し、私の目を開くため、あなたの涙を届けてください。甘美な涙により私の全ての汚れを洗ってください。おお、永遠の御父の心を貫いた涙よ、私の心も貫いてください。そして神の愛で私の心を燃やし、この世に対しての憎しみを増やしてください。

(聖体拝領前の祈り)私の救い主よ、ご降誕のときのあなたを崇めます。私はあなたのように、この世において貧しさと謙虚さを望みます。そしてあなたの馬草桶での忍耐と従順をまねさせてください。神のイエスよ、あなたは私が完全な人になるために人となり、全ての罪から私を解放するために産着に包まれ苦しみました。あなたは、あなたの祭壇に私を受け入れるために馬小屋の中で横たわることを望み、天国まで私を引き上げるために地上に降ってきました。そして、あなたが宿屋から断られたときの苦しみは、私に天国の住まいを約束します。主よ、私は見ます。愛はあなたを引き寄せる全てです。そして愛はあなたが求める全てです。この瞬間に、あなたは別の火で私たちが燃えないために、燃える神の火と共に私たちに全てを届けます。あなたはさらに失った全ての上にもその火を広げます。しかし多くの者は、あなたが広げた炎に心を閉ざすのでその火を失います。主よ、私はあなたに心を開き、あなたの愛に身を委ね、あなたのためにたくさん働くことを望みます。なぜ無限にあなたを愛するために、私は無限の愛を持たないのでしょうか?馬小屋でお生まれになったあなたはそれを与えることが出来ます。そして無限にあなたを愛するために、今日、あなたを拝領することを望みます。来てください、私の健康よ!来てください、私の栄光よ!来てください、あなたは永遠の望み、被造物の幸福です。砂漠のように乾いた、全ての善に空っぽの、そして全ての悪で一杯である私の心に来てください。

おお、マリアよ、あなたは御子のために宿を見つけませんでしたか?私は、私の心を宿としてあなたに捧げます。私の心は宿として、寒く、ふさわしくありません。しかし、あなたは神の母であり恩恵のために大きな力を持ち、全ての恩恵の分配者ではありませんか?ですから、私の心を変え、あなたのようにしてください。あなたが、信心深い羊飼いたちと聖なる三賢者に与えたように、あなたとヨセフの手から、あなたの御子を受け取らせてください。おお、天使の招きに従い、馬小屋に行った聖なる羊飼いよ、あなたたちが示した模範はなんと貴いことか!あなたたちは天使に同意し、日が出るのを待たず、すぐに馬小屋に向けて出発します。あなたたちはそれを信頼とともに行い、呼んでいる天使たちに羊たちの守衛を任せます。私はあなたたちの熱意よりなんと遠く離れていることか!

愛する人よ、あなたも急いでそして止まることなく主の天使(地上では司祭)が示した道を歩きなさい。もしあなたが神の求めることを完全に果たすのを望むならば、熱意をもって、すぐにそこに向かわなければいけません。おお、聖なる三賢者よ、あなたたちの信仰を貸してください。そして、幸福な夜に生まれた救い主を讃えた天の大軍よ、この荘厳な瞬間に私を助け、私たちのために祈ってください。

おおマリア!私の惨めさを憐れんでください。そして、あなたの胎内にイエスを宿した九カ月に受けた無限の恩恵によって、イエスを望むために燃える心、イエスを受けるために清い心、イエスを全く失わないために忍耐強い心を取り次いでください。(ここで、あなたが必要とする恩恵を言う)

(聖体拝領後の祈り) 馬小屋で生まれたイエスよ!あなたが生まれた馬小屋よりも酷く、貧しい住まいである私の心にあなたはいます。あなたの優しい愛と深い謙遜であるこの行為に導いたのは誰ですか?私はあなたの足元にひれ伏し、生まれたばかりのあなたに、マリアとヨセフが行った行為と愛に合わせて拝みます。貧しい布に包まれた赤ちゃんを神として信じます。信心深い羊飼いたち、そして天使たちとともに、あなたを崇拝し、賛美し、感謝します。今あなたは、あなたの全てを与えてくださいました。私は、あなたに対し何を返すべきでしょうか?私もまた三賢者のようにあなたに贈り物をすることを望みます。しかしあなたの目にこれほど貧しく、このように悪く、不潔で、たくさんの罪を犯し、恩知らずな私は何を与えることができますか?主よ、私は貧しい!しかし豊かで強いあなたは、私があなたに捧げたその瞬間にあなたの豊かな恩恵を私に与えます。それゆえ、私は私が持っている全てをあなたに捧げます。あなたに私の心を捧げます。私の心をあなたのように清く、謙遜にしてください。あなたのために生き、あなただけを望み、あなた以外を愛さないために、私の意志と能力の全て、そして私の体と私の感覚の全てをあなたに捧げます。私の犯した罪を赦してください。そしてあなたが私に与えた望みを見てください。あなたに祈り、あなたを愛し、私のために流した涙をぬぐうことを望みます。しかしあなたを泣かせるものがまだあります。そして私の盲目な精神がそれを知ることを邪魔します。主よ、私を苦しめる悪をあなたのなかで癒してください。そしてイエスよ、私の父よ、私の愛する方よ、あなたが望んでいる恩恵を与えてください。今、喜びの家である、あなたが泣いている家に行くことは良いことがわかります。この人生で泣くことは別の幸福を作るからです。それゆえあなたが泣く馬小屋に何回も入ることを望みます。その馬小屋はこの地上で大きい喜びの宮殿に違いありません。地上で最も純粋な喜びはあなたとともに涙を流すことです。それゆえ私の愛によってあなたと、あなたの愛によって私と一緒に、私たちが泣くために私を受け入れてください。あなたと泣くことはなんと甘美か!そして精神が肉の重さで抑圧されず、あなたを常に所有するために、この世とこの体の楽しみから、私を引き離してください。親愛なる父聖ヨセフ、心優しい母聖マリア、あなたたちを通して、あなたたちの息子である赤ちゃんに、私の全てを贈り物として捧げます。それを受け取ってもらうために、私の心をあなたたちの愛で満たしてください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)。

喜びの玄義4 主の奉献

①私たちの救い主は、その人生の最初から犠牲を愛することを私たちに示します。生後八日後の割礼において、イエスは最初の御血を御父に捧げます。割礼のときに赤ちゃんはイエスと名付けられました。その名前は救世主を意味します。その崇高な名前は、受胎告知のときに大天使ガブリエルから明らかにされたものです。割礼は屈辱的な儀式でした。最も聖なるイエスは罪人として扱われ、真の人性の表明と、従順と謙遜の模範のためにアブラハムの信仰の印を受けます。愛する人よ、神である御子は、あなたの不従順と高慢を戒めるために、あなたのためにこのような屈辱を負いました。イエスよ、あなたは私を救うためにあなたの御血を注ぎます。そして私は私の救いのために何も苦しもうとしませんか?あなたは無限の愛とともに御血を注ぎ、私は心をまだあなたに捧げませんか?おおヨセフ、おおマリア、あなたたちは、この時の神の御血の価値を知っています。御血がしたたり落ちる時、あなたたちはどんなに心を痛めたことか!イエス・キリスト、力強い名前よ!その名前のみが人を救うことができ、その名前によってのみ、神は全ての恩恵を授けます。天国を開き、地獄を閉め、悪魔を鎖でつなぎ、偶像を倒し、偶像崇拝を追放する名前よ、拝むべき甘美な名前よ、私の罰を遠ざけ、私を強めてください。そして死のとき、天国の希望で私を慰めてください。常に私の心の中と唇の上に、最も甘美なイエスの名がありますように。

②「さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」(ルカ2・22、23)。愛する人よ、従順なマリアを見なさい。神の母であり、乙女である彼女は他の母と異なるため、この掟の対象ではありません。この神秘でマリアは三つの偉大な犠牲を成し遂げます。一つ目の犠牲は名誉です。マリアは人の目に自身の処女性を犠牲にします。彼女は、神の前で貞潔を大切にしていました。しかし、この奉献において、彼女は人の目に貞潔に見られず、神の母である名誉を捨てます。彼女は神の目に全く貞潔です。このことはそれで十分です。人間の判断で妨げることはできません。ああ、なんて私たちと異なるのでしょう!私たちは神の目には醜くても人の目には汚れなく思われることを望みます。高慢な私たちは自分の名誉を望み、侮辱されたらすぐに復讐することを望みます。二つ目の犠牲は貧しさです。律法により、親は子羊を捧げないといけませんが、貧しい親は二羽の山鳩もしくは山鳩の雛二羽を捧げました。天と地の女王、世界の造り主の母であるマリアは、世の目と主の家で貧しいと見られることを恥としません。御母は、貧しさは軽蔑され、全ての男女は、豊かでないときでさえ、豊かに見えるように努めることを知っていました。神の家においても、豊かな人は最高の場所を望み、そして虚栄心は示されます。しかし、それらは、どんな侮辱を神に与えるだろうか?愛する人よ、マリアが富というこの世の偶像に対して成し遂げたこの犠牲を見なさい。三つ目の犠牲は最も偉大です。聖母は、私たち罪人のために、彼女の息子である御独り子を犠牲とします。誰がこの偉大な犠牲の価値を理解出来ますか?マリアとヨセフは愛を満たし、喜びを共有するために赤ちゃんを支えます。そのときマリアは御父に言います。「ここにあなたと私の御子がいます。あなたが御子を私と人類に与えてくださったことに感謝します。そしてその感謝の気持ちと共に御子をあなたに捧げます。あなたの正義を和らげ、全人類を憐れんでもらうために御子をあなたに捧げます」。ああ、この最高の奉献よって、御母は、なんと多くの恩恵を私たちに獲得させることか!この聖なる奉献は、なんと素晴らしい光景であることか!その時、御父はご自身にふさわしく、ご自身と同等の方の奉献を受け取られます。愛する人よ、主イエスはわずかな銀貨で買い戻され、私たちは彼の五つの御傷から流れる御血で地獄から買い戻されることを見なさい。そしてマリアのそばに行き、イエスとマリアが捧げたように、あなたも全ての考え、全ての愛情を最高の創造主に捧げなさい。

③その素晴らしい光景でのシメオンを見なさい。彼は聖霊の啓示を信じています。彼はマリアが抱いている赤ちゃんを見て、真の神であることを認め、心の中で賛美します。それから赤ちゃんイエスを腕のなかに受け取り、神を賛美しながら歓喜と感謝を叫びます。私はシメオンのこの強い信仰を持っていないので、聖なる聖体拝領でイエスを親しく抱きしめ所有するとき、どうすればいいでしょうか?愛する人よ、シメオンがマリアを称え、マリアの苦しみとイエスの死を預言したことを考えましょう。「あなたの心も剣でつらぬかれるでしょう」(ルカ3・35)。マリアは御子の心臓が槍で貫かれるのを見ないといけません。そして彼女は心を苦しみで貫かれなければいけません。おお偉大な神よ、33年前にこの残酷な苦悩を知らせることなしに、マリアがこのことに予定されているだけで十分でありませんでしたか?聖なる乙女よ、あなたは愛する御子を熱心に養います。あなたの苦悩は、彼の成長とともに大きくなります。それどころかこのやさしい子羊が犠牲となる時間に近づくにつれ、ますます大きくなります。あなたの殉教は全生涯で続きます。あなたの息子は多くの人の破滅の原因であり、矛盾の印となります。ああ、あなたの悲しみ、涙、救い主の苦しみと共に、私も一緒に過ごすことができるのなら!この日から殉教者の女王という高貴な称号はあなたのものになりました。なぜならば、あなたの犠牲は限りなく大きかったからです。殉教者は命を捧げましたが、あなたは自分の命より限りなく愛し、大切にしていた御独り子の命を捧げました。殉教者にとり犠牲は瞬間的でした。あなたは常に御子の将来の苦しみを考え、全ての瞬間に永遠の御父に御子を捧げていたので、あなたにとって犠牲は生涯続きました。聖母は、シメオンから預言されたこの苦しみがこの日から死ぬまで彼女の心から決して消えなかったことを聖ブリジッドに明らかにしました。聖ベルナルドは言います。「この日から、彼女は生きてはいたが、心が最も残酷な死の苦しみで貫かれることで死にはじめました」。それにもかかわらず、英雄的な不屈の精神でその苦しみの宣告を、完全な従順で受け取りました。聖アウグスティヌスは言います。「彼女はこの日から、人類を償う人となった」。また聖アンブロシウスによると「彼女はこの日から、全ての信徒の母となりました」。そして聖エピファニオスが言うには「マリアの意志は、私たちを救うという御子の意志と一つだったので、彼女はこの日から奴隷を解放する人となった」。おお殉教者の女王、苦しみの海よ、私が苦しみの重荷の下で小さくなり弱っているとき、私を見捨てないでください。そして彼が私のために許す苦しみを、平和、忍耐、愛とともに耐える力を取り次いでください。そしてあなたの最愛の息子の御傷と御血がこの魂に無駄にならないようにしてください。おお最も清い母、私を救い、天国を獲得させてください。全ての言葉、考え、望み、意志、行動、熱意が神に快く受け入れられる供え物として捧げることを、今、始める力を与えてください。人生の困難のときに、あなたの苦しみの模範で、私を励まし、あなたの犠牲の模範で、支配している私の欲望を犠牲へとかりたててください。おお偉大な聖人、イエスの養父そして私の父である聖ヨセフ、あなたもまた今日から生涯にわたって心を貫かれました。神の道への特別な私の案内者、私の人生の保護者、私の死のときの慰めになってください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り) おお、救い主の母よ、あなたは全人類のために御父に御子を捧げました。私も同じように御父に捧げてください。預言を受けたマリアよ、私にあなたの模範を示し、あなたのように愛することができるように私の心を燃やしてください。そして、あなたがシメオンに与えたように、今日あなたの愛するイエスを私に与えてください。彼は私の闇を払い、私の無秩序な愛情を破壊し、私の魂を聖化するでしょう。最も清い母よ、私を清めてください。私の心は、あなたが好まないもので満たされています。自己愛に奉仕し、美徳をなくした私の心は、あなたの愛する御子を生贄へと導きます。私によって傷ついた神よ、イエスの最初の御血のしずくを歓迎し、私の罪の償いとして受け入れたように、この神聖な御聖体を歓迎してください。御血は、私を聖化するために一滴では足りません。そしてそれを御聖体で完全に受け取ります。イエスよ、私はまだあなたへの愛に降参しませんか?私が望む全ての善はあなたとともに来ます。ですから甘美なイエスよ、この罪人の心に来てください。あなたが私の全てとなり、あなたに従い、あなたを抱きしめ、あなたを所有することができるために、剛毅の精神と離脱の精神を注ぎ込み、この世に対する束縛を壊してください。あなたを所有するとき、聖なるシメオン、預言者アンナとともに、永遠にあなたの懐にいるための賛歌を歌います。この祭壇の周りに集まっている至福の霊魂よ、あなたたちは、私の魂を求める方を常に見ています。私の人生の出発のときに、あなたたちと一緒に主を賛美し、永遠の光景を歓喜することが出来るために、私とともに彼を崇拝し、たたえ、感謝してください。 (あなたが求める恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り) おお、慈しみ深い御父、全ての慰めの神よ、天と地で最も聖なるマリアとヨセフの二人が神殿であなたに捧げたように、今、私の胸に訪れ、私の肉、私の血になった、あなたの唯一の御子を捧げます。私の重大な不正ではなく、私の中にいるあなたの御子に目を向けてください。そして、イエス、マリア、ヨセフの清く汚れのない犠牲を見ることで、私の罪を赦してください。しかし、たとえ、私は全ての犠牲を今日行うとしても、あなたの恩恵により善は増えるために、悪はあなたの慈悲によって破壊されるために、最も清く最も神聖なイエス、マリア、ヨセフの御心とともに私のすべてを捧げます。私の貧しさ、惨めさ、望み、苦しみ、喜び、人生、感覚と体、力と魂、私にある全て、つまり私の善と私の弱さを受け取ってください。犠牲を捧げたイエス、マリア、ヨセフの御心とともに、私は、高慢、怒り、肉欲、支配的な欲望が行おうとしているすべてを犠牲としてあなたに捧げます。神のイエス、あなたは私たちを清めることのできる唯一の生贄として永遠の御父にあなたを捧げました。生贄にふさわしい完全な放棄とともに、今、私の捧げものを受け入れてください。あなたがお望みになる苦しみで、私を生贄としてください。そして、私の魂をあなたの愛の火で燃やし、私の不完全をなくし聖なるものとしてください。おお、聖なる老人シメオン、今私の心にいるイエスを、あなたが腕のなかで抱きしめた時のように、ふさわしく賛美するためにあなたの信仰と喜びを貸してください。聖なるやもめ預言者アンナよ、マリアとヨセフの腕のなかにいる赤ちゃんイエスを神として認め、賛美し、祝福したあなたの熱意を与えてください。今日秘跡の下で、イエスはこの惨めな被造物と一致しているところです。私もまた、シメオンとともに叫びます。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2・29、30)。清い乙女、そして清めの必要は全くなかった清さそのものの神の母、私の魂のなかで、彼を不快にさせる全てを清める神聖な火を取り次いでください。そして、イエス・キリストの御血によって、お救いください。最も清い乙女の最も純潔な配偶者である聖ヨセフ、あなたは私の清さの守護者になってください。そして主が摂理のなかで定めた誘惑や試練の危険の真っただなかで、強くなることができるように取り次いでください。アーメン。(求める恩恵を祈る)

喜びの玄義5 主の発見

①イエスは生まれたときから苦しみの中で生活します。清めの儀式が終わると、夢のなかで、主の天使が殺人者ヘロデの手から幼子イエスと御母を救うためにエジプトに逃げるようにヨセフに命じます。ここに従順の新しい試練があります。ヨセフは、その言葉に従い夜中に世界で最も神聖な、最も従順、最も貧しい、最も謙遜な家族を避難させます。聖家族は迷信、偶像崇拝、罪が果てしなく広がる国エジプトで貧しく経験したことのない生活を送ります。自分の子でさえ情け容赦しないヘロデは、たくさんの罪のない人を殺しました。そして最後に耐えがたい悪臭の中で死にます。メシアの誕生に関する預言は成就し、ヨセフはイスラエルに戻るよう天使に命じられます。ヨセフは常に一家の長であり、イエスとマリアは、従順の掟を守り黙って彼に従います。この新たな旅で、なんとたくさんの苦しみと欠如を感じたことだろう!おお聖なる家長聖ヨセフ、私たちの心の模範よ、神の計画、神の啓示、上司の命じることを完全に行うために、あなたの心の沈黙、神の命じることへの完全な従順によってもたらされる平和、愛情と心の清さを分けてください。

②「イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった」(ルカ2・42、43)。これは過失ではなく、神の永遠の計画です。イエスはユダヤ人の学者に自分の存在を知らせ、ヨセフとマリアに神の気高い計画を再び断言し、悲嘆にくれた魂の新たな模範、避難所、慰めをもたらすために留まりました。しかしながら、イエスを愛する魂のほとんどは、彼の存在、信仰の明らかな甘美さを感じません。そして感覚の暗い夜と苦難、乾燥、誘惑、落胆…に沈んでいるのに気づきます。しかし、これらの魂だけがマリアとヨセフの聖なる魂を苦しめた深い悲しみに付き添うことが出来ます。マリアとヨセフは探しますが見つかりません。おお、マリア、ヨセフ、そのとき、あなたたちの心配はどうでしたか?あなたたちの苦しみはどのくらい大きかったですか?その残酷な夜をどのように過ごしましたか?なんとたくさんの心配り!なんとたくさんの苦しみ!なんとたくさんの悲しみ!あなたたちは自分のことを全く忘れていました!ヘロデの怒りとエジプトの避難のときに、あなたたちとともにイエスはいたので、同じようなことを何も味わいませんでした。そして今あなたたちは彼を見失いました。私の神よ、私の神よ、私は苦痛を感じることなく、あなたを何回も見失いました!私は、あなたなしで、不安になることはないまま、どのくらい過ごしましたか?もし私が、あなたを見失い、あなたを探さないならば、どうなりますか?

③「三日後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問しておられるのを見つけた。…それから、イエスは一緒に下っていき、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった」(ルカ2・46~51)。ここにイエスが三十才になるまでしたことを示す言葉があります。そして主は、人生の三十年間御父が上司として与えた両親に全く従順であったこと以外知られたくなかったので、他の福音史家たちは何も記しませんでした。この従順は彼の全ての人生と教義の要約です。そして使徒聖パウロによると、それは彼の栄光の原点です。「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(フィリピ2・8、9)。実際に福音に記されている彼の最初の言葉は従順の言葉です。御母が神殿でイエスを発見したとき、彼は言いました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしがわたしの父の家にいるはずだと知らなかったのですか」(ルカ2・49)。そして故郷で人々は、イエスを賢明で慎ましい両親に従順な子としか思いませんでした。愛する人よ、ここで考えなさい。マリアとヨセフは、たくさんの配慮、謙遜でもって御子に従順を命じ、そして彼らの創造主であるこの御子から従順を受け取りました。ヨセフは家族の長として御母と神の御子に尊敬されていました。そしてこの優位性と慎ましく大工に従事する従順な神を見ることは彼を無限に謙虚にしました。マリアは御子に命じることによってそう望んでいる神に従うことを知っていました。イエスは、両親を彼の御父である神の代わりとして沈黙の中で尊敬と喜びをもって二人に仕えました。ここに、この世で行われた最も完全な従順があります。おお、隠れた生活での甘美な模範!彼らは完全に神の律法を守っていました。彼らは労働に従事し社会的地位に応じて暮らしていました。仕事の終わりに祈りに専心します。なんという模範!なんという天の贈り物だろう!公生活のなかでさえ、イエスは御父の意志に従順であることを示されました。ここに彼の教義があります。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」 (ヨハネ4・34)。「あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである」(ヨハネ14・24)。「 父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」 (ヨハネ18・11)。彼は全ての律法を愛を込めて遵守しました。そして、全ての従順の実行は愛の証拠となりました。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」(ヨハネ14・15)。「わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない」(ヨハネ14・24)。従って私たちは、主が愛する従順を愛さないならば、神を喜ばせることはできません。たしかに、愛と従順は、私たちの魂を神と和解させ、天国を獲得させます。実際に、主は御父がその時に与えた上司として不当な裁判官、狂信的な総督、残酷な祭司に完全な従順でもって従いました。それゆえ、よく従うために、私たちは、命令する人の年齢、能力、長所、知恵、愛想のよさ、美徳、神聖さを見る必要はありません。私たちは、ただ私たちの身代わりになった方を見なければいけません。イエス・キリストは従順を最高の完成度まで高めました。神の御子は、報酬の希望なしに、繊細な手足が疲れ果てるまで働き、貧しい家に仕えました。それどころか、御父に従うため、最終的に残りのもの、名誉、血、命を二人の盗賊の間で最も不名誉な死とともに失いました。そして彼は人生の初めと結果と一致するために、十字架上で死ぬときに叫びました。「すべては成し遂げられた。父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ヨハネ19・30、ルカ23・46)。キリスト教の知恵は従順で構成されます。ダビデはしばしば神に求めました。「御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神」(詩編143・10)。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」(詩編27・4)。主人の意志を知り、行う、忠実な僕として、おお受肉した永遠の知恵よ、あなたを崇拝します。天使と人、地上のものと天上の全てはあなたの支配下にあります。にもかかわらず、あなたは私の高慢を打ちのめすために偉大さを隠し、不当で残酷な被造物に従います。真の光、無限の知恵であり、全ての被造物を治めるあなたが従順を示すために、三十年間マリアとヨセフの手引きがどうして必要でしたか?あなたは私の継続的な反抗、私の高慢と自己愛の結果を見ています。従って、私は常に不安であり、誤り、不機嫌、反抗と怒りで一杯です。おお、先生である神よ、私の精神と肉があなたに従い、この泥である私があなたの意志に決して反抗することがないようにしてください。この卑しい魂に従順の美徳を吹き込み、罪でそまっている私の魂を新たにしてください。おお、最も清い神の母よ、栄光の家長聖ヨセフよ、全ての被造物のなかで最も謙遜で最も従順であるお方よ!私のみじめさ、私の高慢を憐れんでください。そして常に神のみ旨を行う従順の恩恵を取り次いでください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り) マリアよ、ヨセフよ、あなたたちは、罪なしで、三日間イエスを見失い、苦い涙を流しました。そして私は多くの時間、彼を見失っています。それなのに私は、どうして一つの涙さえ流さないのでしょうか?私の目が苦い涙で一杯になるために、この岩より固い心はどうすればいいのでしょうか?あなたたちは愛から生み出された涙を抑え、反抗的で冷淡なエルサレムの人々を見て愛の涙を流します。しかし、私は、たくさんの過ち、たくさんの罪、たくさんの忘恩にもかかわらず、涙を流しません。どうして、このような私に、神は恩恵を与えるのを辞めないのでしょうか?マリアよ、ヨセフよ、私は、あなたたちの苦しみと愛に信頼し、今日あなたたちの御子に苦しみと愛を捧げます。この御聖体のなかにいるイエスを見つけるために、あなたたちが主を探したときのように主を探すことができますように。あなたたちは神殿で彼を見つけました。そして今、私はこの祭壇であなたたちの腕のなかにいる彼を見つけるでしょう。そのとき以降、主キリストはあなたたちから離れることはありませんでした。私はこの時からあなたたちに永遠の忠誠を誓います。主イエスよ、罪を犯すことで、あなたから決して離れません。もしあなたが、私が罪を犯すことを見るならば、永遠にあなたを失わないために、まさしく今日、あなたを受け取ったあとすぐに私を死なせてください。私の魂の甘美な友よ、あなたのなかで完全に私を変えるため、この心に来てください。被造物に従う主よ、私があなたに喜ばれるために、あなたのように従順になる恩恵を与えてください。常に柔和、謙遜、従順である神の子羊よ、あなたは、私があなたに負わせたたくさんの苦しみのあと、あなたを激しく求める私の心の声に従います。あなたは、鎖であなたを縛るためにあなたの手を求められたとき、それを許しました。あなたは、衣服をはぎ取られるとき、そうさせました。あなたは、胆汁と酢を差し出されたとき、それを味わいました。あなたは、十字架の上に横になるよう命じられるとき、それを命じる声を永遠の御父がまるで命じたかのように従いました。今、あなたは司祭の声に従い、世の罪をつぐなう真の子羊として御父に捧げます。最後に無限の愛に従います。その熱望は解くことの出来ない結び目で被造物にあなた自身を結びつけます。完全な従順のなかで住んでいる天国の天使たちよ、自分自身から遠ざかり、あなたたちが永遠に見て礼拝している、あなたたちと私の主の意志以外の意志を持たないために、この御聖体とともに私の魂が持つ執着を壊し、あなたたちが生きている幸せな自由を取り次いでください。アーメン。(ここであなたが願う恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り) 天と地の主よ、天使たちと聖人たちは、あなたの美徳を賛美し、礼拝し、心をつくしてあなたをたたえます!私はあなたを完全に受けとり、私の神よ、私の魂が愛するあなたを完全に見つけます。おお、永遠の命と天国の知恵の源であるあなたをなんと望んだことか!私は長い間あなたから離れ、弱っていたことか!あなた以外のことで楽しみ、弱りはてた私の魂は、水を必要とする枯草のように、あなたを喜びます。あなたは永遠の生命の源、天の知恵です。今、あなたは、私のなかで全てです。私はあなたを受け入れ、あなたを心のなかで抱きしめ、そしてあなたの元から離れません。あなたは私に天の光、あなたを失わないための恩恵を与えるでしょう。イエスよ、私の命よ、あなたを愛します。そして神殿で見つけたあなたの最愛の母と養父の感じた喜びと同じように、私も喜びます。おおマリア、ヨセフよ、イエスなしで過ごした三日間の苦悩によって、そして神殿で彼を見つけて感じた喜びによって、今、私の心においでになったイエスを全く侮辱することないよう祈ってください。死ぬまで罪を犯さない恩恵と最後まで忍耐する恩恵を取り次いでください。そしてもし主が私から隠れることがあるならば、私の苦しみの中で彼を示してください。イエス、マリア、ヨセフ、終りの時に私を助けてください。そして、知恵と無限の愛であるイエスよ、あなたは、この瞬間に私に聞きます。あなたが何よりも、私にたずねることは、あなたに従うかということです。そして私に命じる最初のことは、あなたを愛するということです。主よ、あなたはあなたの全てを私に与えます。あなたの無限の愛と引き換えに、この哀れな罪人である私は、天と地の前で、あなたの愛に永遠に従順であるという公共の仕事を行うために、愛である神よ、どうか、この手、この足、この言葉、この目、私の心の全て、私の体の全て、私の意志、私の記憶、私の知性、欲求、望み、目的と魂の動き全てを受け取ってください。主よ、全ての時間、全ての瞬間、人生の全ての状況、心と体の全てを受け取ってください。あなたの愛で、私のなかにある全て、力と行動を支配してください。そして私の仕事と休みを支配し、あなたが好むところに私を行かせ、滞在させてください。あなたの愛で私の心を燃やし、苦しめ、慰め、謙遜にし、熱狂させてください。私の欠点をなくし、委託と完璧な従順で私の心の全てを保ってください。私は私の意志を捨てます。あなたは私の主人であるので、あなたが好む方法で私を導き、あなたが望む手段で私を支配してください。そして常に全てにこえて、あなたの声、私の導き、私の主人、私のよい父よ、私はあなたに感謝します。アーメン。(ここであなたが必要とする恩恵を祈る)

苦しみの玄義1 ゲッセマニでの憂い

(準備の祈り) 主よ、受難で起こったことを黙想する前に、あなたの御血の利益が私の上に留まるように恩恵を願います。無限の愛により無限の悲しみを引き起こした主よ、あなたが全ての慰めを欠き、全ての嫌悪を耐えたときに体験したことに参加させてください。あなたの声を聞くために私の耳を開き、あなたの模範を見るために私の目を輝かせ、あなたに繰り返される全てを恐れるため、あなたの苦しみを感じさせてください。そして神の御母よ、あなたは逃げることなく、この残酷な夜に最愛の御子に用意されている全ての苦しみを味わいました。主の苦しみの原因を憎むために、あなたように主の苦しみに参加することができますように祈ってください。アーメン。 

①愛する人よ、考えましょう。神である救い主は、弟子たちの足を洗ったあと、弟子たちの前で御体と御血の秘跡を制定し、やさしく崇高な話をしたあと、いつものように弟子たちとオリーブ山に行き、ゲッセマニの園に入りました…そこで敵に簡単に見つかるために。そして主は言いました。「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい…誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」(マタイ26・36、41)。永遠の御父の御旨が成就するために自分自身をささげました。そして受難によって御父の正義を満たし、彼が行ったことを私たちが愛するように果たしました。ここに彼の苦しみ、愛の目的があります。イエスは「悲しみもだえ始められた」(マタイ26・37)。御子は御体の全てだけでなく全ての魂も生贄として捧げ、彼の神性を隠し、人性のみで罪のあがないを始めることを望まれました。そのため、敵が現れる前に、聖なる彼の人性から神から受ける支援は全て奪われました。そして主は、苦しまなければいけない全てのことを鮮明に、同時に見たので、死の苦しみを味わいました。鞭、いばら、釘、十字架、胆汁と酢、魂の苦しみ、ユダの裏切り、弟子たちの恥ずべき逃亡、ペトロの否認、祭司たちの中傷、裁判官の不正、兵士たちの残虐行為、彼の身体の恥ずかしめ、教義と奇跡の軽蔑、敵の勝利、盗賊の冒涜、十字架上の御父の放棄と御母の苦しみに満ちた姿。すぐに恐怖と倦怠感、嫌悪感と苦しみ、落胆と悲しみが、生命を驚かすまでに魂を支配しました。そのとき弟子たちに言いました。「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マタイ26・38)。苦しみもだえた御心よ、どうして無限に悲しみましたか?一瞬で死の恐怖と不安を味わうようにあなたを導いたのは誰ですか?受難の最初となるこの苦しみは、あなたがこの苦みのカリスを遠ざけることを御父に祈るほど激しいものでした。「うつ伏せになり祈って言いました。『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに』」(マタイ26・39)。 

愛する人よ、見なさい。主イエスは、慰めを求め弟子の方に向かいますが、弟子たちが悲しみの果てに眠りこんでいるのを見ます。「それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。『あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い』。 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。『父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように』」(ルカ26・40~42)。そのように三度にわたって行いました。主の悲しみは、死につつある人が苦しむように見えるまで大きく増えました。「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(ルカ22・44)。そのとき嫌悪感で一杯の魂の下の部分と従順で一杯の上の部分の対立は服だけでなく祈っていた周りの土地も濡らすほどたくさんの血の汗の原因になりました。このように全てを守る人は見捨てられ、全てを慰める人は最も悲しまれました。預言者の言葉は実現しました。「嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見いだせません」(詩編69・21)。おお、最も苦しまれる救い主よ、人がもつ同じ弱さと惨めさを引き受けることで、私の愛を勝ち取ることを望みましたか?それとも、あなたが苦しんでいる人の忠実な仲間、真のなぐさめとなるためですか?あなたがこの神秘で教えることは何と素晴らしいことか! 

②愛する人よ。福者バティスタ・バラニィに明らかにしたように、イエスのこの死ぬほどの悲しみの原因は四つでした。一つ目は、彼の苦い死にかかわらず、たくさんの霊魂が地獄に落ちることです。イエスが福者に言いました。「私の娘よ、多くの人が私から離れ、地獄に落ちる霊魂たちを見るときの私の苦悩と苦痛を考えなさい。何と多くの魂が地獄に落ちるのだろう!そのすべては、永遠の死となる罪を犯すたびに、何度も私から離れました」。従って数えきれないこの世の罪、それに加えて、それらによって侮辱された神の威厳が、彼の精神に明確に示されました。その他の非常に少数の人たちは全てにわたり主の愛から準備された救いの利益を持ちます。この苦しみのなかで主の慰めは・彼の苦しみから全然利益を得ようとしない者たちのためにも苦しむことを望んだ御父の不変のみ旨に完全に従うことです。二つ目は神によって選ばれた者の全ての罪と処罰です。イエスは言いました。「大罪のなかにいる選ばれた者たちは私から離れることで私を苦しめる。私は、私の体の一部として彼らの人生の全ての悲しみ、苦悩、罰、誘惑、そして彼らが味わう地獄の苦しみさえも感じ味わいました」。三つ目は無限に愛した御母、主の大切な弟子と使徒、そして主の受難と死を御母マリアの次に最も悲しんだ弟子のマグダラのマリアです。四つ目は、たくさんの奇跡とともに神から祝福され愛されていたユダヤ人と彼の愛する弟子ユダの忘恩です。イエスはこの裏切り者ユダの前にひざまずき、足を洗い、最大限のやさしさで彼を引き留めました。しかしユダは、下劣な喜びと利益のために主を裏切りました。主よ、私もまたあなたにたくさんの悲しみを与えました。私の罪、再犯、不忠実、小心が、あなたの最も清く汚れのない御心にどんな恐れを与えましたか?私はなんと惨めでしょう!私はあなたのためにこれまで喜びと慰めとなったことがありますか?あなたに死の悲しみを引き起こした全てのなかで、私の罰の対象は、なんとたくさんあることか!最も悲しまれた御心よ、あなたはこの悲しみと血の汗により不信心なものの邪悪な安心と現世と永遠の死の不意打ちをおそれることなく罪の上で眠る多くの罪人の意味のない安心を償うことを望みます。そして私が掟に反するときに私が身をまかせたその喜び、その快楽、その娯楽、その欲望、その希望、そして私の不従順と悔い改めのない告白を償うことを望みます。またあなたは、私が感じる悲しみ、恐れ、倦怠感、嫌悪感などの全ての苦しみなかで私を聖なるものにすることを望み、私が苦しむとき慰め、忍耐、忍従、喜びとともに耐える恩恵を私に獲得させます。そして死を無視する多くの殉教者のような強さをもつように私を強くすることを望み、厳しいたくさんの償いに忠実に従ったもののように私を償いに鼓舞させることを望みます。あなたの愛は、何と甘美で、すばらしく、憐れみ深いことか!最も甘美なイエスよ、私は、あなたがたくさん苦しんだことにたくさん感謝します! 

③愛する人よ、救い主は、あなたが感覚の苦行の価値、自愛心への軽蔑と否定を学んでもらうために、この無限の苦しみを受けることを望まれました。そして肉の弱さがあったとしても、神のみ旨に喜んで従うことを私たちに教えるために、主は死のような苦しみに耐えました。このときイエスは、彼の中で二つのものが対抗していたことを教える必要がありました。一つ目は苦しみから逃げ、神のみ旨と一致しない別の喜びを探す人間の弱さです。もう一つは苦しみを受け入れ、神のみ旨と一致しようとする従順です。私たちは、肉が霊に対して反逆していることを認めない結果、肉の弱さを克服しようとしないで肉の喜びにあこがれます。しかし私たちがそれを克服しようと努めている限り、肉の反逆から来る弱さを感じることは全く問題ありません。天使が主を慰めるために天から降りました。彼が弱さに戦うために必要な力を欠いているわけではなく、彼が苦しんだときの全ての慰めと強さは天から来て、神は苦しんでいる誰も忘れていないこと、そして神はそこにいることを私たちに教えるためです。そして主が「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈ったのは、御子は苦悩から免除されないことを知っていたけれど、神があなたに与えた試練からあなたを解放しないが、私たちが謙虚な従順と神のみ旨と完全に一致してそれを苦しむとき、愛によって神と常に一致していることを私たちに教えるためです。愛する人よ、この真実はとても大切です。 

(瀕死のイエスの御心へ償いの祈り)おお、引き裂かれ、卑しくなった主よ、この祈りを捧げるこの日、あなたが三時間の嵐のなかで体験したことで私を満たしてください。あなたが、ゲッセマニで私の罪をあらかじめ見たときに感じた全ての苦しみの償いとして、私に起こる全ての悲しみ、苦しみを、この日だけでなく人生の全てで受け取ってください。おお、深い悲しみのなかにおいても常に忍耐強い御心よ、あなたが私に持つ愛は、どのくらい大きいですか?なぜあなたはこれほど私を愛してくれるのですか?主よ、あなたの苦しみを見て、私も答えます。あなたが無限に苦しんだことを私も苦しみ、今まで以上にあなたを愛することを望みます。いつ私はあなたを知りますか? いつ反抗なしにあなたを探しますか?いつ変わることなくあなたに従いますか?私の意志ではなく、あなたの意志を行います、といつも心から言うのはいつですか?主よ、あなたを理解し、あなたを愛するために、あなたの御心のなかに私を置いてください。最高の愛で燃えている主よ、ふさわしくあなたを受け、今もいつも代々に至るまで、あなたとともに住むために、あなたの愛で私の冷淡な心に火をつけてください。アーメン。 

(神のみ旨への一致の美徳を得るためのマリアの御心への祈り)おお、祝福された神の母マリアよ、イエスが友、弟子から棄てられ、死の苦しみを注がれた最も悲しい夜、あなたはどのくらい苦しみましたか?あなたの目は絶え間ない涙で目を閉じることはできず、最愛の御子の苦しみを数えました。おお、最もやさしい御母よ、あなたは受難が始まる前に、悲しみに満ちた御子に会います。彼はあなたの所にきて、最後の別れを言い、祝福を願います。あなたは魂を貫かれている彼を見ました。そして彼の悲しみに満ちた目に、この私の魂を買い戻すために、あなたの息子は死刑宣告され、あなたもまたカルワリオで心を十字架につけられる刑を宣告されるという御父のみ旨を理解しました。シメオンの鋭い剣により、すでにこなごなになったあなたの優しい御心に、この夜私は多くの苦悩をあなたに与えました。あなたにとってどんなに過酷で苦しい夜であることか!あなたが捧げた祈りのときの悲しみや苦しみを、私たちは考えることができますか? 

おお、御子イエスよ、最も甘美なイエスよ、誰が私を救いましたか?誰がとても愛するあなたの母をあなたから離しましたか?なぜ私は私の目の光であるあなたを見ないのですか?御子イエスよ、あなたのために苦しみ、あなたのために死ぬことを私に与えるのは誰ですか?なぜ、私は多くの愛と苦しみを思い焦がれないのですか?
全ての母のなかで最も悲しまれた母よ、あなたは神のみ旨に頭をさげ、この苦みのカリスを御子イエスと完全に一致して受け取ります。私はあなたに従い、あなたの涙と御子との悲しい分れに同情します。あなたはカルワリオ山で十字架につけられている最愛の人を見ることになるでしょう。あなたの苦悩によって、あなたの神のみ旨の完全な一致によって、私の心をあなたの愛で燃やし、あなたのように神のみ旨に全く一致するように導いてください。アーメン。 

(聖体拝領前の祈り)主よ、あなたは、あなたの罪のない真理と生命で一杯の唇と蒼白な顔に、嘘つきで裏切り者のユダが近づくことを退けませんでした。あなたはユダを友の甘美な名前で呼びました。「友よ、しようとしていることをするがよい」(マタイ26・50)。あなたも惨めなユダの心を得るためにキスを求めました。そして私は、そのユダよりも、たくさん裏切りました!主よ、何回私のなかにあなたを迎え、あなたの謙遜で穏やかな御心を残酷に傷つけましたか?しかし、あなたの忍耐は、あなたに信頼するように私を誘います。あなたはユダから悔い改めの言葉を待っていました。そして彼が悔い改めるなら、あなたは彼を救ったでしょう。今私は何回もあなたに悔い改めの言葉を繰り返します。「私はあなたを侮辱しました。主よ、私を許してください。私を許してください」。今、私は、あなたがユダに発した言葉を魂で感じます。「友よ、しようとしていることをするがよい」。主よ、今まで私は犯した罪であなたから離れ、あなたの御心が与えた慰めを引き裂いてきました。どうして、私は自分を恥じないのでしょうか?私の犯した罪を血の涙で叫び、喜んで無限の苦しみで償い、御自身を捧げているあなたを見るとき、どうして、あなたのために自分を捨てないのですか? 私があなたに多くの苦痛の原因となるなら、なぜ私はこの世に生まれたのでしょうか?無限の憐れみよ、私を憐れんでください。あなたが苦しんだ悲しみによって、あなたが流された御血によって、あなたが私に持つ愛によって願います。もしあなたに対して罪を犯したならば、その苦しみに値することを私に行ってください。イエスを慰めた天使よ、今、主の御聖体を愛するために私を慰めてください。私の守護の天使と神の王座のそばにいる選ばれた聖なる天使たち、ミカエル、カブリエル、ラファエルよ、この聖体拝領のときに私を助けてください。私の罪で悲しんでいる御母よ、あなたの愛と苦しみに参加させてください。おお、傷つけられたイエスの御心よ、今日ふさわしくあなたを受けとり、すべての人の侮辱と特に私の侮辱を償うために、あなたの御母の苦しみと愛を捧げます。自分を知り、あなたを迎えるのに値するために、愛するイエスよ、あなたが私のために燃やす愛の火を与えてください。「立ち上りなさい、行きましょう」と、あなたは庭にいる弟子たちに言いました。そして敵に会いに行きました。私もあなたと共に立ち上がり、ついて行き、あなたに委ねます。(ここで、あなたが必要とする恩恵を祈る)。

(聖体拝領後の祈り)主イエスよ!あなたの愛は何と偉大か!ユダよりも多く裏切った私にも、今、平和と愛の接吻を与えるだけでなく、食物のなかであなたを与え、あなたを私に結びつけ、それどころか計り知れない無限の神、私の創造主であるあなたは、最も卑しくふさわしくない被造物である私に、あなた自身を与えてくれました。愛である神よ、この恩恵に報いるために、私は何をしたらいいですか?あなたは、苦しみとともに、私の罪の贖いを開始することを望みました。そして私があなたに行い、人類があなたに行う多くの侮辱の償いのため、私は、今日から、あなたに私のすべてを捧げるかことを始めます。主よ、あなたが望む全てのことを私にしてください。私は何も残すことなく、あなたのなかに自分を捨てます。私はあなたに私の意志を捧げます。それを常にあなたに一致するようにしてください。私はあなたに私の思いを捧げます。それを清め、サタンが取り囲む不潔な霧から守ってください。あなたのことを常に思い出すために私の記憶を、そして常にあなたを考えるため私の知性を捧げます。しかし私はあなたが知っているように弱く惨めな被造物です。ですから、あなたのようになるために私を変えてください。最も甘美なイエスよ、もしあなたの恩恵がないならば、あなたを正しく愛せません。もしあなたが導かないならば、あなたのもとに行けません。もしあなたが支えなければ、あなたの側に立てません。そして全てはあなたのものでないといけないので、私を所有してください。主よ、私があなたの手の中にあり、私はもはや私のものでないので、私を支配してください。あなたの愛に身を委ねます。私を導き、私を変え、私を結び付け、私を清めてください。あなたが好きなように私を作ってください。私があなたから離れることを許さないでください。私に起こる損失、誘惑、逆境は、あなたの手のなかで、あなたが私のために定めた恩恵の源になります。なぜならば私が幸福をなくした同じ道を通って、あなたが幸福に導くからです。真の父であるあなたは、この反抗的で弱く気まぐれな意志と恩恵の敵のことを考えません。御母よ、私の心をイエスの御心に結びつけ、私の心をあなたように謙遜で、忍耐強く、柔和、清く、神のみ旨に一致した心に変えてください。天国の天使たちと、主の御血と犠牲によって救われた聖人たちよ、どうか、この最も甘美な喜びをあなたたちと楽しむために、神の子羊の御血から生じる愛と恩恵を取り次いでください。アーメン。(あなたの求める恩恵を祈る)。 

苦しみの玄義2 鞭打ち

①愛する人よ、残虐な苦しみのこの時間、主イエスが示す苦しみの道を共に歩きなさい。主イエスは、アンナスの屋敷で平手打ちされ後、カイアファの屋敷に連行され、神を冒涜し死刑に値する罪を犯したと罵られ、横柄な兵士たちから唾をかけられ殴打され、そのあと夜明けまで牢に閉じ込められます。夜が明けると、主はピラトとヘロデの二人の法廷に連行されます。ヘロデは主を狂人と見なし白衣を着せ、兵士たちと一緒にあざけり侮辱します。愛する人よ、常に謙遜で、常に忍耐強いイエスを見なさい。彼は、ユダヤ人たちの悪意との激怒の中、穏やかな子羊のように導かれます。どなり声、中傷、軽蔑の前で、彼が沈黙のままであったことを考えましょう。そして彼は非難され中傷されているとき、神に自分を放棄しなければならないこと、そして神の愛のために沈黙より他の正当化を試みてはいけないことを教えるために何も言いませんでした。「屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」(イザヤ53・7)。あなたもそうするならば、あなたは心の平和を得ることができるでしょう。イエスのこの沈黙は、何と多くの聖人、何と多くの平和を作ったことか!主よ、憐れんでください!私は罪に満ちていて、あなたに全く罪はありません。あなたは、死ぬまで、あなたを侮辱する人を愛します。一方、私はわずかな侮辱に対し不快と憎悪の気持ちに留まっています。そして、あなたは非難する全ての人を許します。一方、私は誰からも非難されたくありません。無限の善よ、私はいつ心を変えるのでしょうか?私の救い主よ、私はあなたの前で私の忘恩、高慢、うぬぼれを告白します。私におこる全ての苦悩と侮辱をあなたに倣い、沈黙のうちに耐える恩恵を望みます。そして、私は今まで私を侮辱した全ての人そして今からのちに私を侮辱する全ての人を心から許します。そして彼らが私から奪った名誉を取りもどすことをあなたの愛のために放棄します。私はあなたに捧げることと、あなたを愛すること以外の名誉を望みません。私は怒りと復讐の感情の全てを捨て去り、心を尽くしてあなたを愛し、あなたのように私を苦しめる全ての人を愛し、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜ぶ」(使徒5・41)ために、私の心をあなたの愛で満たしてください。 

②イエスは刑務所から出されます。兵士たちは、主を卑劣な人々に明らかにするためにエルサレムの大通りを通ります。人は外見から判断するので、主は、呪われたもの、誘惑者、狂人として見られ、侮辱と嘲笑のもとピラトの屋敷に連行されます。途中、兵士たちは数え切れない侮辱と暴力を加えます。主は、罵られロープで引っ張られ、槍に押されて休むことなく歩くことを余儀なくされました。一晩中の虐待から疲れきっている彼が倒れたならば最も軽蔑すべきものとして打たれます。そのことを預言者は見ました。「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥」(詩編22・7)。最も甘美な先生は、このように、主はゲッセマニの園から十字架上の死に至るまで、不屈の忍耐、深い謙遜、無限の愛、罪の贖いの模範を残しました。愛する人よ、目をさましなさい。あなたが横になる無関心と無気力から抜け出しなさい。エルサレムの道を涙で濡らしながらマリアとともにたどる婦人たちを見なさい。被造物のなかで最も聖なる方、美しい方は、すべての母のなかで最も苦しんだことを認めなさい。そして御母マリアは、イエスの母、そしてあなたの母であることを認めなさい。彼女は最愛の人を探すために広場に行きます。おお、御母マリアよ、あなたは罪人の手にあなたの御子がいることの知らせを受けるまで、苦しみに満ちた祈りを一晩中続けました。しかし主が捕えられ牢獄に閉じ込められ、兵士たちの侮辱と恥辱の的にされ、彼の苦しみ、ユダヤ人の集会で発せられた死刑判決をヨハネから聞いたときのあなたの苦しみを、だれが表現することができますか?しかし神は、婦人とってとても下品で醜い状態に、あなたを置きませんでした。そしてあなたは、無限に苦しんでいたにもかかわらず、完全な従順で外に見させませんでした。「わたしはあなたのはしためです。あなたのみ旨を行なうことができますように」とあなたは繰り返します。あなたは御子イエスを見つけて十字架まで彼に従うため、まだ日が明けるまえに慎ましい住居を出ます。ピラトの館へ行く途中、主イエスは群衆の嘲笑と冒涜のどなり声の中を進みます。鎖でつながれ、手を背中で縛られ、めちゃめちゃになった顔、ずたずたに引き裂かれた髪、唾と血により不格好な顔、ほとんど彼であると認識できません。しかしマリアよ、あなたの心の激しい鼓動は、あなたに御子を示します。 暴徒の呪いと敵の勝利のなか、神の御子は、侮辱に対して穏やかに、攻撃にも静かで全く文句を言うことはありません。この神の子羊はオオカミの真っただ中にいるとき、聖なる御母に会うことを望みました。苦しいときには誰もが、愛するものの不在を激しく感じ、苦しみが増えるおそれがあるにも関わらず、愛する存在を激しく望みます。しかし、聖母よ、あなたは御子に会うことができないし、御子もこの慰め持てませんでした。あなたが再び彼に会って、彼とともにあなたを慰めることができるまで、私を同行させてください。

③(鞭打ち)愛する人よ、考えましょう。ピラトはイエスに無罪を宣言しながら、死刑判決を下さなくても群衆が満足するため鞭打ちの刑を宣告しました。なんという裁判!ピラトは、告発人の憎しみを満足させるため、無罪の人に有罪判決を下します。兵士たちは、主イエスを鞭打ち場まで連れてくると、話すことがなく抵抗を示さない彼の服を剥ぎ取ります。イエスはその後、引き裂かれる御体、そして私たちのために長い間流すことを望む御血を、愛に満ちた心で永遠の御父に捧げます。兵士たちはイエスを柱に結びます。そして40回以上鞭打つことを禁じていたユダヤの律法ではなく、数が限られていないローマの法律に従います。彼らは怒りを満たす以外注意をはらいません。兵士たちはイエスを取り囲み、そして最も力の強い二人の刑吏が連れて来られ、棒の束、皮の鞭、コブのついたロープをつかみます。愛する人よ、見なさい。あなたが負わせた罪の全てを納得させるように主イエスは柱に結び付けられます。その後、彼の苦しみの全てを誰が言うことができますか?最初の鞭打ちのあと、聖なる肉体はめちゃめちゃに引きちぎられ、溝ができ、全ての傷から御血がほとばしり、肉片は飛び散ります。刑吏たちは深い傷の上に一撃を与えるので、すでに作った傷の上に新しい傷を作ります。その光景はなんと残酷なことか!彼らは力の限り鞭打ちます。しかし、主は一言も文句を言いません。彼らは主の御体を残酷に引き裂き、主の全身は一つの傷のようになります。神のイエスよ、あなたは、このとても残酷で、とても恥辱に満ちたこの苦しみを、私たちのよこしまな楽しみを償うために捧げます。これを見て、どうして私たちはまだあなたを傷つけることができますか?おお、私の神よ、私たちのために多く傷ついたことに、どうしたら報いることができますか?このことは預言されていました。「耕す者はわたしの背を耕し、畝(うね)を長く作った」(詩編129・3)。「神は悪を行う者にわたしを引き渡し、…わたしを打ち破り、なお打ち破る」(ヨブ16・14)。「頭から足の裏まで、満足なところはない。打ち傷、鞭のあと、生傷はぬぐわれず、包まれず、油で和らげてもらえない」(イザヤ1・6)。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった」(イザヤ53・5)。おお、私の神よ、この全ては、私たちの罪のためです。どうして、あなたはそのような拷問を経験するのでしょうか?あなたは、犯罪者である私たちのために無限に苦しみます。私の救い主よ、私たちの罪を償うために、私は何をしたらいいですか?

愛する人よ、主の忍耐の模範を見なさい。全ての聖人たちは、主の模範を見ることで、体の扱うことと体を霊に従わせることを学びました。この人生で、私たちの肉ほど私たちの霊魂に対して大きい敵はいません。肉は常に反抗的で苦しもうとはせず、抑制もしないし、服従もしません。そして肉は感覚が好むものを制限なしに後を追います。その結果、霊は肉によって抑制され、ついには支配されます。肉は別の敵が一緒に結びつく全てよりも手ごわいです。しかし聖なるキリスト教徒がとても厳しく実践したものがあります。それは五感を継続的に抑え、そして見ること、聞くこと、話をすること、そして心の清さを汚す可能性のある全てのことを、少しでも楽しむことを怖れました。あなたも体の苦行により、誘惑と堕落に前もって対処しなさい。同じことを使徒パウロは言いました。「自分の体を打ちたたいて服従させます」(1コリント9・27)。ダビデの神聖さ、ソロモンの知恵によっても、彼らの堕落を防ぐことが出来ませんでした。なぜなら二人は五感の快楽を退けることがなかったからです。もし、自分の体を満たすために人生の全てを費やすなら、その人の運命はどうなるでしょうか?まさに人間がもつこの障害を償い、終止符を打つために、救い主は彼の御体をとても残酷に引き裂かれることを望まれました。

(鞭打たれたイエスへの祈り)おお、神である主よ、私は、あなたの無限の業に対して表現するための適切な言葉を見つけることができません。ですから、私はあなたの聖なる足元にひれふし、あなたの御血で濡れたこの場所にキスをします。ここで、私はあなたの苦しみの原因である私の罪を泣き、私の悲惨さを告白し、あなたの慈悲を待ちます。私は、あなたが鞭打たれていることを見るために、この場所に留まることを望みます。そして、鞭打たれ、最も貴く、最も聖なる御血を流されたあなたを拝めます。私を遠ざけないでください。私が最も貴いこの香油で清められ、汚れを洗い流されるまで、あなたの足をきつく抱きしめさせてください。アーメン。 

(聖体拝領前の祈り)私を見て下さい。主イエスよ、全く清く、全く罪のないあなたの御体は私のために引き裂かれました。あなたの血管は引き裂かれ、そして私の救いのために御血を流します。これは最も神聖な御体が残酷な打撃から、そして何よりも一番にこの体で心を奪われたやましい楽しみから溝が刻まれた時間です。どうして震えなしで、引き裂かれ、打ち砕かれたあなたを見ることができますか?イエスよ、あなたはこの鞭打ちで、あなたの子供たちが御傷に入ることができ、御傷に住まいを定め、そして御傷に最も甘美な栄養を見つけるために、あなたの御体が傷で全て開かれることを望みます。私の救い主よ、私は永遠にあなたを称えます。そして天使よ、天と地の全ての被造物よ、私と共に永遠に彼を賛美しましょう。おおイエスよ、私はあなたの僕の苦行をまねる勇気を持っていません。しかしあなたはこの祭壇から甘美な苦肉の策を示します。あなたの御体と御血の秘跡は誘惑を克服するため、肉の罪を修復するため、そして堕落から守るための力になります。聖体拝領とあなたの神秘の黙想によって、あなたは、罪に対する憎悪に、そしてあなたに対する信頼に私を導きます。あなたは神の神聖さと、神の決定の厳しさを教えます。しかしあなたが罪人の姿を持つだけで、罪のないあなたの上で神の正義の厳しさはひっくり返ります。あなたは全ての罪を償い、そして絶望に陥ることがないように無限の利益を与え、私を希望へと導きます。おおマリア、最も苦しんだ母よ、あなたは残酷な鞭打ちの時、主のそばにいました。あなたは罪のないイエスの御体に人間の罪の嵐を浴びせられ、あなたが与えたその御血が散らばるのを見ました。私は、やましい楽しみによって主イエスを苦しめました。聖母よ、どうか、私を憐れんでください。私が、あなたの御子の苦しみを強く感じ、私の罪を憎むことができるために、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1・29)の御血によって私を洗い清めてください。そして、御母よ、私はあなたの御心を引き裂くことで、あなたに対しても苦しめました。私は、あなたの御子に解くことのできない愛によって結びつくことで、あなたを癒すことを望みます。常に救い主の全ての御傷から全ての美しさを引き出している天のエルサレムよ、あなたが持つ泉の水の数滴をこの不毛な土地に落としてください。私のために、神の憐れみを愛し、ほめ称えてください。 祝福された魂よ、あなたたちに満ちている愛と光とともに参加してください。私の知性をふさいでいる闇を明るくし、あなたたちに燃えている同じ火で、私の心が燃えるために、凍っている私の心にあなたたちの神聖な炎の火をつけてください。アーメン。(あなたが求める恩恵を祈る) 

(聖体拝領後の祈り)ダビデは言います。「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています」(詩編84・4)。そして主よ、あなた自身言います。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある」(ルカ9・58)。ここにあなたが私の魂に準備している家があります。最も甘美な救い主よ、それはあなたの御傷です。あなたの御傷に、私は魂の食物、神の正義の怒りの隠れ家、苦しいときの避難所を見つけます。おお、私の心の中心、私の魂の命よ!ピラトは、あなたが無罪であるとわかります。しかし彼は臆病だったので、あなたの敵を満足させるためにあなたを鞭打ちにし、この刑の後あなたを解放しようとします。一方あなたは、全生涯において、あなたが血で覆われ、侮辱で満たされていることを私が知ることを望みます。あなたの御心の中の聖なる火は消えることがありません。あなたは全てを使い切ることを望み、そして私に対する愛ため、あなたの全てを捧げます。33年の間あなたは、私のために苦しみ、祈り、断食し、評判、名誉、教義、神聖さ、謙虚さ、友を犠牲にします。今日、犠牲は完全に行われます。今、あなたは御血の全てを私に与えることで満足せず、私が、あなたの肉体が奪われ、兵士たちのなかであなたの肉片が地面に広がっていることを見ることを望みます。私は何をしますか?私の宝、私の愛、私の命よ、あなたのために犠牲をすることは当然です。ここでイエスよ、完全にあなたに自分の全てを捧げます。あなたの代わりに私がこの柱に付けられ、または、あなたが受ける打撃を少なくともあなたと共に受ける恩恵を私にください。この祭壇の犠牲、この聖体拝領とともに、私はあなたに私の魂とその力、私の体とその感覚を捧げます。私に起こる苦難についてもはや不満を言いません。しかしあなたの手からそれらを受けます。あなたが望む全てのことを私にしてください。このみじめな罪深い私の魂を懲らしめ、直し、清めてください。しかし常にあなたの御父の御心とあなたの愛情あふれる御傷の近くに私を置いてください。私が十字架を愛していないし、十字架を楽しんでもいないことを教えてください。そして私の肉が反抗するなら、あなたの魂に完全に服従するまで、あなたの打撃を加えてください。ヘブライ人の手紙で、あなたの御血は「わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにする」(ヘブライ9・14)の力をもつと言っています。おお、世の罪を取り除く神の子羊よ、頭からつま先まで傷つき、全ての罪と欠点で一杯である私に目を向けてください。あなたの全身から流れる御血で私を洗ってください。あなたは聖ペトロに言いました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(ヨハネ13・8)。主よ、ここに私の頭、手、望み、意志、知性、行い、考え、愛情、感覚があります。全て汚れているので、全てを洗ってください。全て腐敗しているので、全てを清めてください。全て病気なので、全てを癒してください。あなたは私の司祭であると同時に、私のガイド、私の栄養であるので、あなたと一致し、あなたに仕えることができるために、あなたの貴重な御血の功徳によって私を変えてください。あなたの鞭打ちの至高の目的、律法のまとめと完成、天国の全ての中心であり、私のため息、私の涙、私の生きる時と死ぬ時の苦悩の最後の終点である神の愛で私の心を燃やしてください。アーメン。(あなたの求める恩恵を祈る)。 

苦しみの玄義3 茨の冠

①愛する人よ、黙想しましょう。刑吏たちは、鞭打つのに疲れたので鞭打ちを止め、御血で濡れた柱から主イエスを離します。主イエスは、激しく引き裂かれ、全身が一つの傷のようになっています。兵士たちは、あちこちに投げた彼の服を探し着せます。そして、自分たちのの間を通り抜けるように強制し、通る途中で残酷に暴力を加え、嘲笑し、侮辱します。主イエスはやさしさ、謙遜、無限の忍耐で彼らの暴力と侮辱を耐えます。彼は最も頑固な者でさえ同情するよううな状態でしたが、この冷酷なオオカミたちは全く同情しません。むしろ新しい嫌がらせをするために、それまで見たことのない、ひどい責め苦を考え出します。ここで、罪が魂にもたらす結果を見ることができます。罪を犯す者は、喜びとともに罪を犯すようになります。一つの罪は、それによって満足を与えることはなく、次の罪を犯そうとする望みを心に残します。罪人の最も大きな錯覚の一つは、罪を犯すことでその誘惑から解放されると信じることです。罪を犯すことは、罪を犯す傾向を大きくします。痛悔によって罪を悔い改めない限り、罪は別の罪に導くことになります。そして、罪を犯すことで神の恩恵を失った人は、罪を犯さないように忍耐することはできません。そして体は次の喜びを味わおうとするため、欲望を抑えることが出来ません。したがって、これら兵士たちは、人がもつ良心を失うことになります。ユダヤ人たちは、イエスが彼らの王になることを望み、彼らの王と自ら言っていたと非難します。今や私たちの救い主は打ち負かされ、最悪の状態になり、人々の野次にさらされます。愛する人よ、あなたもこの兵士たちのいる中庭に入りなさい。この暴徒の真っただ中で、暴言と野次を聞いているマリアを見つけなさい。彼女はイエスの苦しみの同伴者です。あなたも彼女と共に主の苦しみに同伴し、そして彼女にこの神秘を理解する恩恵を願いなさい。

兵士たちは、主を官邸内に連れて行くと、傷で張り付いた衣服を再び剥ぎ取ります。服と一緒に、肉がはぎとられ、全身から御血が流れます。そして赤紫色の不揃いのマントで主を覆い、固くてするどい茨の冠を主の御頭の上におき、落とさなくするために棒で御頭を激しく殴ります。茨の棘(トゲ)は御頭の全ての箇所に突き刺さり、御血は御顔、御首、御体全体に広がります。これらの棘は激しい痛みをもたらし、十字架まで神の力で支えなければ、死をもたらすほどです。今感じているこれらの痛みは死ぬまで続きます。おお、なんという痛み!もし一つの棘があなたの頭に押し込まれたのなら、一体どう感じるだろうか?最も美しい主キリストの御頭は無数の棘で貫かれます。彼は本当に私たちを愛しました。そして彼はわたしたちの病を担い、わたしたちの痛みを負いました。(イザヤ53・4参)

②もし、あなたが茨の冠を被せられたときの主の苦しみを体験するならば、あなたはその瞬間から、何も考えることはできなくなるだろう。考えるだけでぞっとします。そして下劣な兵士たちは、同情を起こす全て、恐怖なしに見ることができないこと全てに対して、横柄に笑い、侮辱します。イエスは何も話さず、少しも抵抗することなく驚くべき忍耐とともに、彼らが望む通りに導かれ、衣服をはぎ取られ、冠をかぶせられます。そして激しい苦しみに目を閉じ永遠の御父に全ての苦しみを捧げます。ここでもまた預言者イザヤの言葉が成就します。「打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」(イザヤ50・6)。 ここでイエスはカイアファの時のように目を隠されることなく、兵士たちが与える侮辱のあいさつ、兵士たちが行う殴打を見ました。「総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」(マタイ27・28~30)。 イエスはこれら全てを、沈黙の中、不屈の忍耐で耐えました。しかし、それを見た兵士たちは憤慨し、たくさんの侮辱、暴力を主に加えます。おお、高慢で罪深い霊魂よ、あなたのたくさんの罰を償った、あなたの罪はどれだけ大きいかを考えなさい。イエスは、あなたのためにたくさん御血と御涙を流しました。彼はあなたの肉のもろさ、肉のよこしまな喜び、服の贅沢、あなのたの虚栄心と高慢を償います。このようにしてあなたを支配している欲望を償います。このようにして背いた頭の中、記憶、想像力、心に残っている全ての罪を償います。このようにしてあなたの愛する救い主は、高慢で罪深い頭を飾っている多くの世俗的な人を占領している偶像崇拝、世を魅了している美しさへの熱意を償います。そしてそれらが塵でしかなくなったとき、それらとともに崇拝者の後ろから引き寄せます。そしてイエスは忍耐と欲望を抑える恩恵、世界の虚栄心そして全ての名誉を軽蔑する恩恵、謙遜、優しさの恩恵をもたらします。愛する人よ、富、野心、復讐の計画、よこしまなことを考えたり想像したりする誘惑をうけるとき、茨の冠を戴冠しているイエスを考えなさい。あなたの頭が誘惑で苦しむとき、あなたの犯した罪を考え、あなたのために苦しんだ主イエスのたくさん苦しみのなかに、あなたのわずかな苦しみを参加させなさい。おお、私の救い主、兵士たちがあなたに与えた苦痛のなかで、私が与えた苦痛は、なんとたくさんあることか!私は、茨の冠をあなたの御頭に置き、冷やかしの挨拶をし、そしてあなたの御顔につばをはき、御頭を打ち、御血を流させ、あなたに残酷な苦痛を与えました。それでも、あなたは私を愛してくださいます。主よ、私は、どれほどあなたに感謝しないといけませんか?

③「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、『十字架につけろ。十字架につけろ』と叫んだ」(ヨハネ19・5、6)。おお、神のイエスよ、私はあなたを十字架につけたくありません。私は、この苦難のなかにいるあなたを、最高の主として、真の王として崇拝します。あなたは、これら憎悪の真っただ中で、私に栄光を与えるために私の避難所になることを望みます。主よ、あなたは御体だけではなく、御頭からも御血を流されることを望まれましたか?顔は人を見分け、そこで人の特徴を見つけ、美しさを明らかにし、喜びと悲しみ、健康と病気そして気持ちが見えるところです。主よ、あなたのこの部分は、棘によって流れた御血で覆われています。そしてこの目印によって、おお、私の最愛の主よ、「人の子らのだれよりも美しい」(詩編45・3)あなたを認識するでしょう。そしてこれは、天使が熱望し、ヨセフと母マリアの喜びとなった顔ですか?私は崇拝します。神である主よ、あなたがこの状態になるまで示した比類のない愛を崇拝します。私は同情し、感謝します。私はなんて惨めでしょう!これはまだすべての苦しみをあなたのように愛するために十分ではありませんか?私は苦しみが起こると怖れ、苦しみが続くと倒れたままです。しかし苦しみから逃れられるのを見ると喜びます。私の神よ、あなたの愛の力により、私の肉の弱さが破壊されるのはいつですか?全ての考えが、体の快適さ、この人生の甘美さ、自分の持つ意味のない自尊心、人の称賛から手に入れる喜びを、終えるようになるのはいつですか?その時私はあなたの目に悲惨で卑劣であることを忘れます。私が、私を償いとして捧げるまで、自分を憎むのはいつですか? あなたは茨の冠をかぶせられ、私は与えられる小さい苦痛の全てから逃げます!神の母よ、救い主の完全な模倣者、いかにあなたは苦しんでいることか!もしあなたの御子が茨の冠をかぶるならば、どうして私は高慢と臆病になれますか?主の模範にならうよう、罪人の避難所よ、私を助けてください。私は、十字架と茨なしであなたといることができないことを知っているため、あなたが望む苦しみで私を苦しめてください。そしてそれと共にその苦しみに耐える意志と力を与えてください。傷つけられ、御血を流された救い主を見て、救い主の茨の価値を知っている守護の天使、平和の天使、あなたたちは、故郷で獲得する全てのことを、この亡命の土地で探し求めている惨めな霊魂を憐れんでください。天で栄光のあなたたちと戴冠するために、この世でいばらの冠を戴冠することができますように。アーメン。
 

(聖体拝領前の祈り)愛する人よ、あなたが司祭の手のなかにある神聖なホスチアを見るために留まっている今、傷に覆われ、茨の冠をし、紫の衣服を着て、ピラトが「見よ、この男だ。見よ、あなたたちの王だ」(ヨハネ19・13)と言って群衆に示したイエスを、秘跡の外観から見なさい。そして永遠の御父がこの瞬間にあなたに繰り返す言葉を聞きなさい。「子よ、私の子であり、私と同じであり、そして今あなたの兄弟、あなたに似たものになり、あなたを無限の愛で愛している私の御子を見なさい。彼は私の最愛の子です」。御父よ、私は、あなたが見ている御子をあなたに捧げます。私はあなたのためにさらに何を行うことができますか?私は、イエスを歓迎し、イエスに聞き、イエスを愛し、イエスを模倣します。私は、全ての悪の治療、全ての苦しみの緩和、全ての悲しみの慰め、全ての願いの仲介者となるイエスにある善を、あなたに捧げます。私はこの無限の愛のために、永遠の御父であるあなたに何を返しますか?私は、イエスにある善を私には要求していないことを知っています。主にたいする多くの忘恩の後、あなたのまなざしと恩恵を獲得させる私は何者ですか?私は「見よ、あなたたちの王だ」と言われた、あなたご自身の御子、苦しみの御子をあなたに捧げます。そして御子とともに全ての御子の御血と苦しみ、御子の功徳をあなたに捧げます。そして御子とともに、御子のうちに、私の全てをあなたに捧げます。このように変わり果てた主よ、今あなたを侮辱して苦しめているこの悲惨な霊魂に、あなたは何を言いますか?あなたがこのホスチアから私に答えているのを聞きます。「罪深い霊魂よ、人の子を見なさい。見なさい。私は、あなたが求める人の子、神とあなたの仲介者、あなたの魂を無限に愛しているあなたの救い主です。あなたが私から逃げているとき、どこに行きますか?あなたが私を探していない時、何を探しますか?あなたが私を愛していないとき、何を愛しますか?あなたは私のような、どんな父、どんな兄弟を見つけますか?人の子を見なさい。私を見なさい。そして、あなたが欲する全ての望みを私に捧げなさい。なぜなら私はあなたのために傷に覆われ、涙を流したからです。これらの苦しみの全てはあなたのためです。私の血、私の体、私の命、私の功徳は全てあなたのものです。あなたが疲れたとき、重荷を負うときは、私のもとに来なさい。休ませましょう。私の傷を通して私の心に入り、あなたたちが望む善を引き寄せなさい。私の所に来なさい。私はあなたを慰め、あなたを愛し、私の愛の無上の喜びをあなたに与えます」。主よ、私はあなたに何を返すことができますか?私はあなたの足元にひれ伏し、あなたを崇拝し、感謝し、賛美します。そして私の惨めさを告白し、何回も繰り返して言います。「見て下さい、この人を。何回もあなたの御頭をなぐり、あなたの御顔に唾をはいた、この不幸な私を見て下さい。主よ、この手が邪悪な行いとともに、あなたの御頭に棘を刺し込みました。しかしあなたの憐みによって、私があなたに与えた全ての苦難は、あなたへの信頼を奪うことができません。どうして、あなたの無限の愛を疑うことができますか?私の神よ、もし私のためにあなたが苦しんだ全てを見るならば、あなたに希望をなくすことができますか?見てください、この人を。この人のために、あなたは人となられました。私の神よ、あなたの愛によって、私の過去の罪を許し、あなたのなかで私を改心させ、そして私のすべてを変えてください。私は、非常に悪い罪びとです。もしあなたがこの罪人を救いたいのなら、この魂に来て、救ってください。憐れみの母よ、私はあなたを通してあなた御子を受け取ることを望みます。私のために苦しめられている主が、あなたの愛のなかで慰めを持つために、今日あなたの手から御子を受けとらせてください。私の父である聖ヨセフ、私を助けてください。主の天使たちよ、私のために祈ってください。(あなたが求める恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り)私は天国の美しさ、天と地の王であるあなたを崇拝し、あなたを愛し、あなたを抱きしめます。私は繰り返します。私はあなたを抱きしめ、決して離れません。いつ、あなたの美しい顔、私の目の光、私の愛、私の喜びに会えますか?無限の憐れみよ、あなたが壊さないといけない私の惨めさは、なんとたくさんあることか!私の神そして私の王よ、あなたは愛の火を私につけるため、手を結ばれ、恥辱と傷に覆われ、茨の冠をかぶり、友と敵の目の前に晒されます。私の希望、私の命よ、あなたの計画を私に実行してください。そして私の霊魂を奪ってください。私の霊魂が卑しく、地上のことに愛着があればあるほど、あなたの愛の力を私のなかで目立つようにしてください。おお主よ、あなたが世界を審判しに来る時に、このあなたの王冠は威厳と栄光の王冠に変わるでしょう。そのとき、あなたの敵たちは何と震えるだろう!そのとき、彼らは何を言いますか?全ての日にあなたを虐待した人たちは、何を言いますか?彼らはおびえたままでいるでしょう!そのとき、私が断罪される数のなかにいることはありますか?私はあなたの存在をおそれ、その後、永遠にあなたを呪いますか?おお、いいえ、いいえ、私の救い主、私の神、そのとき、あなたは、私を審判する時間です。今日は、あなたが裁くことがない時間です。この瞬間に私の心のなかに唯一の善、私の愛、私の命であるあなたを親密に所有しています。私が茨の冠を戴冠しているあなたを見ている今私を審判してください。ここで私の心を燃やしてください。私はアウグスティヌスと言います。「あなたが私を永遠に許すために、ここで私を許すことなく、苦しみを与えてください」。おお、苦しみ、軽蔑され、拷問をうけたイエスよ、あなたの足元に身をゆだね、全てあなたのものになることを希望します。あなたの憐れみの目を私の上に開いてください。茨の冠を被らされている主イエスよ、あなたの仕事を今行ってください。血がしたたり、愛の火で燃えている棘を、私の心の端から端まで貫いてください。あなたの愛の火で私の心に火がつくために、私の心に刺してください。奥底にある高慢を刺し貫き、全ての肉欲をなくしてください。私は、私の魂、私の体、私の力、私の名誉、私の命、そしてあなたから受けた全てのものを捧げます。そして私は私の過ち、私の弱さ、そして私の貧しさを、あなたに捧げます。私はとても悲惨で、盲目であるために、私に同意した全てのこと、あなたに求めなければいけない全てのことを知りません。ですから、あなたが覆っている全ての傷が、あなたに要求した全てのことを私の上に行ってください。それゆえ、甘美なイエスよ、あなたが私を愛した全て、あなたが行ったこと全て、そしてあなたが私のために償った全てを教えてください。私ができる唯一のことは、あなたに自分を捧げ、あなたのなかに自分を捨てることです。私の神よ、私の救い主よ、私の命よ! おおマリア、女のなかで祝福され、そして今母親のなかで最も悲しみのなかにいるあなたは、傷で引き裂かれ、茨の冠をし、御血で覆われ、醜い顔となったあなたの御子を見つめています。だれが、あなたの苦しみの大きさを知ることができますか?あなたの苦悩の人生で、あなたを元気づけた最も美しい顔をどこで見分けますか?これは、最も純潔の胎の実、そしてあなたが授乳した子、御子イエスです。あなたは、残酷なヘロデの罠から御子を守り、成人した彼はあなたとともに苦しみを共にしました。今や彼は人間の外観をもっていません。それどころか頭から足まで一つの傷のようであり、全ての人のなかで最も醜くなっています。おお、私の罪のために悲嘆にくれた母よ、あなたの苦しみに参加するために、私の心にあなたの苦しみを刻み込んでください。そして私の苦しむ心を、あなたの御心とともに主に捧げてください。そして私が言うことができない比類のない愛の言葉を彼に言ってください。私を新しい人にしてください。そしてあなたの真の子そして信者になるようにしてください。守護天使、栄光の聖ヨセフ、私の名前の聖人、大天使聖ミカエル、この祭壇上で秘跡の中にいるイエスを崇拝している天の聖人たち、そして天国で祝福されたイエスの御血ととげの債務者であるあなたたち全て、私を憐れんでください。故郷から追放され、全てのよいものに欠いている、この悲惨な魂のために、心を込めて神を愛し、全ての苦しみを終わりまで忍耐できる恩恵が得られるように祈ってください。アーメン。(ここにあなたが求めている恩恵を祈る)

苦しみの玄義4 十字架の道行き

①(死刑判決を受けたイエス) 考えましょう、愛する人よ、臆病なピラトは3回イエスを釈放するように努めましたが、3回ともすぐに群衆は死刑を大声で求めました。「殺せ、殺せ、十字架につけろ」(ヨハネ19・15)。 ピラトはイエスの無罪を宣言しましたが、騒ぎになることを恐れ、イエスの敵の訴えどおりに十字架の刑を宣告します。布告人は公示します。「ナザレのイエスは、ユダヤの王になることを望んだため、ローマ法に順じて、同じ刑に定められた二人の盗賊とともに十字架で処刑することを宣告する」。愛する人よ、死刑判決をうけた時のイエスを見なさい。あなたの神、あなたの創造主、人類の救い主は悪名高い死刑台で人類の手で殺される刑を宣告されます。誰がこの残酷な宣告を恐れなしで聞くことができますか?そしてあなたは何をしますか?マリアが、御子とともに行うカルワリオまでの受難に仲間として迎えてもらえるように、彼女に願いなさい。おおマリア、苦しみの母よ、あなたは御子に死を求める怒り狂った叫びを聞きませんか?これら残虐な群衆のなかで誰があなたに付き添いますか?どのようにして、あなたはこのような残酷な行為を耐えましたか?あなたの命の命であり、天と地の王、人類の創造主、罪人の唯一の希望であるイエスは死刑を宣告されます。彼の敵はこの判決を喜びとともに受け、彼の友と弟子はひどく心を痛めました。しかしこの罪のない子羊は自然に感じる嫌悪や大きな不正による苦悩にも関わらず、愛とともにその死を受け入れます。なんという従順!イエスよ、あなたの御心はなんと苦しんだことか!あなたは「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」(ヨハネ19・15)「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタイ27・25)と叫ぶ人々に大きな忘恩を感じます。人々の忘恩!愛する人よ、あなたのため、これはなんと恐ろしい忠告か!悪魔の誘惑と肉の弱さに従い、あなたが自由意志によって犯した罪は何とたくさんあることか!このように憎しみに目がくらんだユダヤ人たちは、自分自身と自分たちの子孫に神の御子の御血が降りかかることを少しも信じません。世の罪を背負う救い主の死を求める人々の残虐な叫びは、あなたの罪の声に結び付き、その時からずっと永遠の御父の前に存在しています。それで罪を犯すものは誰でもイエスの死の原因を繰り返し、イエスを再び十字架につけると聖パウロは言ったのです。神よ、私はこの人々のなかで最も悪いため、私を許してください。罪を犯すものはあなたを見たいと欲しません。なぜならあなたを知らないからです。私は、あなたを信じ、あなたを愛し、あなたに告白します。あなたが私を引き寄せたるために、あなたを示したとき、私は何回目をそらしましたか?主よ、あなたの姿を決して見失うことがなく、あなたが常に私の目、熱望、愛の目的になるようしてください。罪深い魂よ、布告人の声を聞きなさい。死刑判決を実行するために一生懸命に働いている兵士たちを見なさい。この騒動の真っただなかで、文句を言うことなしに、いら立つ様子を見せることなく、全てを聞き、全てを見て、全てを耐えているイエスを見なさい。主よ、私は、どうしたらあなたが見た全てを見ることが出来ますか?私は、どうしたらあなたが聞く全てのことを聞くことが出来ますか?あなたは偽りの王ですか?私たちの誠実な友であるあなたは不誠実ですか?命の作り手であるあなたは死に値しますか?私はそのような罪を犯した犯罪者です。そして犯罪者は生きます。しかし罪のないあなたは死にますか?主人であるあなたは、あなたの召し使いを守るために命を失いますか?おお、愛である神よ、どうしてあなたはあなたの炎で私を燃やしつくさないのでしょうか?私のために犠牲になった全能なる主よ、どうしてあなたは完全に私を支配しないのでしょうか?

②(十字架を背負うイエス)兵士たちは、主を他より見分けられるために、暴力を加えながら、古い上着を引き裂き、新しい服を着せました。その服は縫い目がなく、前開きではなかったので頭から着替える必要がありました。それは多くの痛みを伴いました。棘が邪魔したので、王冠は激しく揺れ、刺し傷の痛みを新たにし、再び御血が流れます。兵士たちが準備しているとき、救い主はピラトの邸宅から出されます。そして群衆の中に、用意された十字架を見つけます。十字架は奴隷もしくは最も重い罪を犯した者に行われる最も残忍な刑罰の道具であり、最大限の辱めを与える恥辱の象徴でした。したがって悪い噂を恐れるために誰も十字架に近づきません。その後、兵士たちはこの重くて長い十字架をめちゃめちゃに引き裂かれたイエスの御肩に置くことになります。しかし主は全く動揺することはありません。彼は十字架を、常に愛する花嫁として、友人の避難所として、選ばれた者の導きとなる星として、そして栄光の戦利品と永遠の愛の記念碑として見なします。救い主の前に十字架が持ってこられるとすぐに、心のなかで言います。「おお、親愛なる甘美な十字架、私の全てのあこがれ。あなたは、ええ、私に約束された花嫁です。私はあなたと結ばれるために33年間あなたに仕えました。あなたは私の恩恵を分け与えます。私の勝利の戦利品、栄光と愛の冠よ、今日、私たちはしっかりと結ばれるでしょう。あなたは選ばれたものが目指す旗となります。十字架よ、もしあなたを愛さないならば、誰も栄光に達することはありません。私の僕の栄光であるあなたを誇りとするものはだれでも栄誉が与えられ、あなたを恥じるものは誰でも最悪な者に落ちます。今日、あなたは私を抱きしめ、私はあなたを血で濡らすでしょう。しかしあなたは全ての救いの母になるでしょう。だから来てください、忠実な仲間よ、一緒にカルワリオに行きましょう。そこで、私はあなたの腕によって引き裂かれ、死の苦しみを味わうでしょう。しかし私はあなたを取り除くことはありません。あなたは地獄の恐怖であり、天国の喜びになります。私を求め、私に従う全ての人は、あなたの導きによって勝利を手に入れます。そして私に望む全てのことを、あなたによって手にいれます」。十字架に対する尊敬と愛とともに、主は十字架を背負います。彼は十字架をやさしく抱きしめ、私たちの模範として先頭になります。そして彼の御母より、すぐれた人はいないので、この旗の下の最初の場所を彼女に与えます。聖母はエルサレムの通りを地面に見つけた御血の痕跡に従って彼を追います。イエスがこの重い十字架を担って進んでいる間、マリアは、御子イエスと同じ苦しみとともに同伴しました。それにより彼は三つの真理を教えます。一つ目は、主キリストは、彼に従い十字架を担うことを好むということです。二つ目は、十字架を担わない全ての人は、イエスとマリアの二人の模範から離れているということです。三つ目は、この財産を望まず、理解しない全ての人は全く盲目であるということです。彼に続いて十字架を担わない人は誰でも弟子であることにふさわしくないことを私たちに模範で示すために、彼はピラトの官邸からカルワリオまでエルサレムの最も頻繁な通りを通って、全ての人の前で十字架で苦しんでいる姿を見せることを望まれました。

③(十字架を運ぶイエス)愛する人よ、ピラトの官邸から出た救い主が十字架の重さで腰をかがめ、御血をたくさん流し、疲れ切り、やっとのことで踏みとどまってことを考えましょう。このような状態で、先頭になり、カルワリオに向かって歩きます。彼は虐待する兵士たちに囲まれ、イエスが死ぬのを見ない限り離れない律法学者たちやユダヤ人たちが、そのあとに続きます。一方、最も柔和な救い主はあえいで汗をかき、息を失い、歩くにつれ全身の傷は再び開きます。町から出たあと、ついに全く運ぶことができなくなり、十字架の下に倒れます。兵士たちは彼を起き上がらせるために侮辱しながら殴打します。しかしユダヤ人たちは、主が十字架につけられる死ぬという野蛮な喜びを達成できる前に、彼が死ぬことを恐れます。そこで、たまたま出会ったキレネ人のシモンに強制的に十字架を背負わせカルワリオまで運ばせます。主はこのような状態にあっても隣人に優しく接します。「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。生の木さえこうされるのなら、枯れた木はいったいどうなるのだろうか』」(ルカ23・27、28、31)。マリアは御子と会うため近道を通り、御子が通る道に先回りします。しばらくすると神の御子はそこにたどり着きます。しかし、ああ、悲しいかな!傷、あざ、黒くなった血、とても惨めな姿です。愛と恐れの中、マリアは御子を見ます。そして主も目にかかっている御血の塊をとり御母を見ます。苦しみのまなざしは二人の御心を引き裂きます。私の息子よ!…悲嘆にくれた母は言い、御子に近づきます。それ以上は、苦しみで一杯となり、言葉が出ません。全ては彼女に死の苦しみを引き起こします。そして預言者は言いました。「道行く人よ、心して目を留めよ、よく見よ。これほどの痛みがあったろうか。わたしを責めるこの痛み」(哀歌1・12)。御母は彼を抱きしめますが、すぐに兵士たちは侮辱とともに彼女を追い払い、苦しむ主を前に押します。マリアは彼のあとに続きます。

神の償いの道行きを苦しめた最も激しい傷の一つは、御肩にあった傷でした。十字架の重い柱を御肩で背負っていたので、十字架を縄で引っ張る多くの人の一つの動きだけでも大きな傷の原因になりました。その苦しみは非常に大きいものです。おお、救い主の御汗と御血から聖別された十字架よ、私もあなたを抱きしめます。十字架よ、あなたは私の避難所、私の光、私の知識であり、私の知恵の全てです。私の肉があなたを恐れ、逃げるにも関わらず、あなたは、私を見捨てないし、背を向けません。私は、あなたの中に、健康、命、悪に対する勝利、喜び、美徳の完成を見つけます。あなたは弟子を確認し、殉教者を強くし、乙女を助け、全ての正しい人を聖化し、天使を喜ばせ、教会を守り、天国を満たします。そして最後の審判の日に、あなたは選ばれたものの栄光として、イエスの敵の永遠の混乱として、彼とともに示されます。惨めで罪深い者よ、あなたは十字架から逃げるとき何に会いますか? それを避けるためにいかなる努力をしたとしても、あなたは常に十字架に出会います。なぜなら、あなたは亡命の場所と涙の谷に住んでいるからです。その一部を避けたとしても、あなたを悲しませる、あなたを不安にさせる、あなたを混乱させる、あなたを破壊する、他のたくさんお苦しみで倒れます。そして、あなたに一つの希望を残しません。もしあなたが、この世の喜びを探すために十字架を捨てるのなら、あなたは、心の平和、内面的な慰め、天の知恵を失います。この世は、あなたを引き裂き、あなたを悩まし、あなたをその後ろに引きずります。もし肉の傾きについて行くため十字架から逃げるのならば、あなたは絶え間ない心変わり、絶え間ない不安に出会います。もし虚栄心のため十字架を捨てるなら、あなたは常に空虚で、飢え、常に貪欲、決して満足することはありません。一方、あなたの多くの財産は、任意の時点でなくなります。あなたは健康を失い、名誉、富、最終的に友も失います。あなたは望むこと全てに決して達することはないし、時々達したとしても長く続きません。あなたは人生で頼みにするどんなことも手にいれることはできません。死は恐怖と苦痛を伴っています。あなたは周囲に長く留まっている以上、あなたの良心は堕落します。そして全ての動きにあなたは、うんざりさせるものをたくさん見つけるでしょう。多くの不必要な関心は、苦い涙、なぐさめのない悲しみ、利益のない損失しか、あなたに残しません。ええ、聖なる十字架よ、あなたが私にあなたを示したとき、私は、あなたを抱きしめず、逃げるためにあなたにある危険だけを見ていました。おお聖なる十字架、天国の光、災難のときの避難所よ、私を抱きしめてください。そして十字架よ、あなたによって、私を救うと言われた主と一つにしてください。アーメン。

十字架を運ぶイエスへの祈り 主イエスよ、私の救い主、あなたは、この十字架の上に世の全ての罪を運びます。そしてその全てはとても重いものです。あなたがカルワリオに昇っている間、あなたの悲しみは天を貫きます。あなたの御心の動きとともに、永遠の御父は哀れな罪人のために慈しみを覚え、栄光の道を開きます。あなたは深い沈黙を続けます。御母はこの沈黙を遠くから感じ、あなたに従う全ての人を招きます。おお、私の案内者、私の希望、私の命、最高の善よ、聖なる母、そして全ての忠実な友がいる十字架に私も留まらせてください。主よ、あなたの姿、あなたの十字架を決して見失わないために、私を引きよせてください。私は、あなたの後ろから十字架を担い従いたいのです。そして、全ての喜びを味わうために、あなたとともに十字架につけらたいのです。しかし私の神よ、私は弱く臆病です。あなたは私の強さです。私の命よ、あなたは一人でどこに行きますか?私は遠くからでなければあなたに従うことはできませんか?あなたは、十字架を担いカルワリオに上ります。その十字架を私にください。しかし、あなたは犯罪者の頭として考えられることを望みます。ですから盗賊の代わりとして十字架を担わせてください。私の神、私の救い主よ、アーメン。

聖体拝領前の祈り 主イエスよ、ユダヤ人たちは、あなたに声を一つにして死を求めます。「殺せ、殺せ、十字架につけろ」。しかし、私は、あなたを常に見て、十字架とともにあなたを常に抱きしめることを望みます。それゆえ、マリアよ、激怒する群衆の中にある十字架を私に与えてください。私は十字架を抱きしめ、主の御傷で身を包み、十字架を礼拝し、そのすべてをあなたに捧げます。私の救い主よ、私の愛よ、来てください。私はあなたを望み、あなたを求め、このように変わりはてたあなたを愛します。私の霊魂のなかに入り、住んでください。そしてあなたのために死ねるようにしてください。しかし、私はこの人たちのなかで最も悪いので、私を許してください。あなた御自身を気前よく与え、そしてあなたを最愛のものとして所有することを激しく望む永遠の宝よ、私のところに来てください。今日、あなたを受けるとき、十字架とともにあなたを受けとります。そして、十字架とともにあなたに同伴することで、キレネ人とともにあなたを慰めとなりたいのです。私は、私の全てをあなたの手のなかに置き、私を放棄します。私は正義によって既にあなたのものです。あなたは御血と十字架の死で私を買いとっています。ですから、私をあなたの奴隷として受け取ってください。そしてあなたの全てを私にください。あなただけで、私は非常に豊かです。あなたの十字架とあなたへの従順から一瞬でも離れるなら、どんなにひどいことでしょう。しかし、私はとても貧しいので、みじめなもの、不忠実、罪であるもの以外をあなたに与えることしかできません。世の罪を除きたもう神の子羊よ、あなたの御血で私を洗ってください。最初に私をあなたに結び付け、あなたの汚れのない御体で私を清め、あなたの十字架で私を強くしてください。永遠に私があなたのものになるために、主よ、来てください。おおマリア、私の罪のためとても傷ついているあなたの御子を、あなたから受け取らせてください。あなたはカルワリオへの道の途中、十字架の重さで倒れたあなたの御子に会い、御子に死を与えるくぎ、ハンマー、ロープなどを見ました。あなたは、私の十字架とともにイエスに出会うように導くでしょう。その十字架の下に私は何回も倒れます。 兵士たちがあなたを苦しめたその侮辱は私の罪を表しています。私が罪を再び犯すことがないよう取り次いでください。一方で、ベロニカにならい、私の心のなかで主の御血を拭きとります。聖母よ、私が彼とともに彼の十字架を受け入れ、あなたから決して離れないために、この恩知らずな心に神の御顔を刻ませてください。ベロニカ、幸運なキレネ人、十字架の下に倒れたイエスに同情し、悲しみのマリアに付き添ったマグダラのマリアと聖なる婦人たちよ、私のために祈ってください。あなたたちの愛を私に貸してください。私の信仰を支え、私の希望に勇気を与え、私の友となり、財産となり、食物となる十字架につけられたイエスへの愛を増やしてください。アーメン。(ここにあなたが必要とする恩恵を祈る)

聖体拝領後の祈り。 無限の愛よ、あなたを崇拝します。イエスの御心よ、私の命の始まり、私の魂の光、私の救いの源、全ての善の宝よ、あなたを崇拝します。今あなたは、私を訪れ、私たちは一つです。私は使徒と言うことができます。「生きているのは、もはやわたしではありません。あなたがわたしの内に生きておられるのです」(ガリラヤ2・20)。またシエナの聖カタリナとともに言います。「主よ、私の心ではなく、あなたの御心をあなたに捧げます」。私の心は全てあなたのものです。ですから、あなたがあなたの僕のなかで行うのではなく、あなたの御心のなかで僕が行うようにしてください。私の心を変え、あなたの中に私を置いてください。しかし私の心がひどいなら、私の心を作りなおしてください。おお、燃えるイエスの御心よ、誘惑に抵抗するために、あなたの御心を私の心に刻んでください。へりくだるために茨の棘で私の心を刺し、あなたを愛するためにあなたの炎で私の心を燃やしてください。イエスの御心に、常に燃えている火よ、その愛の火が創り出すものはなんとすばらしいことか! 私たちがあなたの愛の火を求めていたので、イエスよ、あなたは十字架の死を受け入れました。そしてそれを与えるためならば、あなたは新たな拷問に喜んで従うでしょう。そのあなたが、あなたを愛し、あなたに仕える恩恵をお願いするとき、どうしてその願いを聞き届けないことがあるでしょうか?しかし、あなたが私のために敵の不当で残酷な意志にあなた自身を捨て、私があなたのために自分を捨てないことを、私は見ます。主よ、この混乱に、どうすればいいでしょうか?あなたの意志は全て厳正な規律です。しかし何か起こるとすぐに、私は自分を捧げることを忘れます。あなたは、あなたの栄光と私の利益のためでないことを命じることはありません。私の悪は善に変わり、誘惑と苦悩は私をあなたに結びつけ、死は祝福された生命への通路になります。にもかかわらず、私は悲しみ、あなたから逃げ、あなたが多くの知恵と恩恵とともに確立した、十字架を担うという、この感嘆すべき命令に満足しません。おお、霊魂の盲目、おお、心の頑固さ! 私の神よ、今日から私のこの心を変えてください。私は、あなたの意志に自分を棄てます。主よ、話してください。あなたの僕は聞いています。ここで私はあなたとともに十字架を抱きしめます。今一瞬から未来永劫に渡るまで、私ではなく、あなたの意志を行うために、私を十字架につけてください。マリアの苦しんだ御心よ、苦悩から打ちのめされ、イエスの十字架によって引き裂かれ、私の罪で苦しんだ御心よ、私はまさしく今日言います。最も苦しまれたマリアよ、私はあなたの足元にひれ伏します。そしてもし罪を再び犯し、私がイエスの十字架とあなたの苦しみの原因になるならば、赦しを願います。私の母よ、罪が、あなたとあなたの御子の命を奪うとき、罪とともにどうして平和に暮らすことができるでしょうか?今私はあなたの手からイエスを受けとりました。そしてあなたの手から人生の十字架とすべての苦しみを受けとりたいのです。もし私が世に十字架につけられ、人々の不名誉と卑しいものとなるなら、そのとき、御母よ、あなたは私のよき母、私のなぐさめになるでしょう。おお、最も聖なる三位一体、十字架とともに主キリストを与えてくださったことを感謝します。そして私はこの聖なる秘跡とともにあなたに感謝します。そして今日、世界の全てのミサで祝う全ての人とともに、そして終わりまで祝う全ての人とともに私のすべてをあなたに捧げます。神の天使たち、子羊の王座を囲んでいる聖なる霊魂たち、私のうちいるイエスを崇拝してください。おお天のエルサレムよ、十字架のイエスから私に与える多くの恩恵にたいして賛美と感謝の歌を歌ってください。かつて苦悩に満ちた土地にいて十字架の下に倒れ、救い主の十字架の功徳によって救われた霊魂よ、あなたたちのいる天国に行けるように祈ってください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)

苦しみの玄義5 ご死去

①(衣服を剥ぎ取られるイエス)イエスは、カルワリオいわゆるゴルゴタに到着しました。そこは頭蓋骨を意味し、息をする時間もないところです。刑吏たちは、主を十字架につけるために全てのことを急いで行ないました。なぜなら彼らは、この世から、なるだけ早く彼らの嫌うこの命を取り除きたいからです。刑吏たちは怒りとともに縄をほどき、傷で張りついている衣服を剥ぎ取ります。そのため、傷口が開き、主は激しい痛みを感じます。愛する人よ、そのときのあざけりを聞き、全て血まみれで引き裂かれた主の御体を見なさい。主の御心の深いところまで入りなさい。主の御体はあなたの罪のために拷問を加えられているが、彼の御心はあなたの和解のため天国に固定されていることを、あなたは見つけるでしょう。イエスは、拷問を受け、重い十字架を担い、疲れ切っています。そのため没薬と胆汁がまざったワインが与えられます。彼は、カルワリオに到着するとすぐに禁断の果実で不従順となった私たちの最初の父の罪を償うことから始めます。その後も、唯一、無傷のままである喉を私たちのために苦しむことを望みます。今日腹を自分の神とし、肉の喜びを満たすために霊魂と体を失い、聖霊の神殿から悪魔の住まいとなった人はどれだけたくさんいることか!私たちは食事を控えることで、食欲に支配されないようにしないといけません。

愛する人よ、血で覆われ、全てが傷になっている、あなたの救い主を見なさい。苦しみに満ちた御心とともに主は目を天にあげ、涙をたくさん流し、永遠の御父に私たちのため生贄としてご自身を再び捧げます。「その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブライ5・7)。 再び信じられない苦痛とともに、刑吏たちは取り外した茨の冠を主の御頭にねじ込みました。その苦しみはとても激しく、御血が傷口から流れ地面を濡らします。強情な友よ、なぜ、あなたは涙で地面を濡らすため、主の御傷から流れる御血の貴重な露を受けるため、主の足元にひれ伏さないのか?そこで見つける恩恵はなんと多いことか!なんと多くの光!なんと多くの慰め!私のイエス、私の救い主、私の愛よ、あなたの聖なる御足元にひれ伏し続けさせてください。そして十字架に釘付けにされる前に御足に接吻させてください。そしてあなたの死を見る前に、あなたの愛のため私の全てを使いきらせてください。釘で貫かれる前に、あなたの恐ろしい拷問の苦しみの原因となったこの罪深い魂を、あなたの御手で抱きしめてください。全ての悪を破壊し、あなたから全く離れないよう、あなたの御心に、この貧しい魂をきつく縛ってください。主よ、私は、あなたが全てを奪われるのを見ます。神の子羊よ、あなたは私に恩恵を与えるとき、このようにしました。それなのに、どうして、あなたから恩恵を受けるために、私は全てのものから離れないのか? 使徒バルトロマイは処刑されるまであなたを真似ました。使徒ペトロは十字架につけられるとき、逆さにして十字架につけられるのを望みました。聖アウグスティヌスはあなたに背く機会になることから完全に遠ざかるために、一人の女性も家に入れなかったし、お金に魂が奪われることを恐れたため、お金に全く触れませんでした。その他には、この世の喜びから離れるために、砂漠に退いた人もいたし、体に苦痛を与えた人もいました。この世に住むことを余儀なくされたものは、世の物に愛着を持たないように使用しました。おお、全てを奪われた愛よ、私の全てを変える愛よ、私の心が被造物から離れ、あなたと一致するために、あなたのように全てにおいて貧しくなれますように。主よ、私の心をあなたとともに十字架につけ、あなたの愛で私を使いつくしてください。

イエスは、人生で出会う苦難の中における従順と内的な平和を教えるため、刑吏たちを御父の御旨を実行するものと見なし、常に従順かつすぐに従いました。暴力、不正、裏切り、その他の苦痛を私たちが受けるとき、それらは神から定められたものであり、崇敬すべき神の御旨を行う大臣によって送られたものと考えなさい。そうすることで不完全な私たちはそのことに誠実に従えます。しかし、私たちは、自分を侮辱し、苦しみを与える人を常に嫌うので、イエスとともに十字架につけられた人は、そのような人に対して反感を持たず、また悲しみに陥らないために、自身の内面において常に戦いを要求されます。その時、あなたに起こる全てのことを従順と放棄の精神で受け取り、苦しみを送るのはイエスであること、彼はあなたの力をこえた誘惑は送らないこと、そして苦難はある日終了して永遠の喜びに変わる(1コリント10・13、ヨハネ16・20)という信仰で心を強め、神の近くにいなければいけません。主は、馬小屋で生まれ、貧しさの中で生活し、そして最後は、すべてを奪われ十字架上で苦しみ死ぬことを望まれました。マリアよ、あなたの手で織られた縫い目のない服は、賭けられる運命に来ます。このときの十字架の原因となり、あなたの御心を大きい苦しみで貫いたのは誰ですか?

②(十字架につけられたイエス)愛する者よ、十字架を見なさい。この上で神の子羊が、あなたのために犠牲となります。そして、この上でイエスは、愛する選ばれた魂を待ちます。主イエスよ、なぜあなたは、私があなたの代わりに十字架につけられることを許さないのですか?この死刑台はもともとあなたのものではなく、私のものです。愛する人よ、考えましょう。主は、茨の冠を戴冠している御頭のために枕を持つことなく、この苦しみに満ちたベッドの上に横になります。そして彼は、閉じていた扉を開けるために目を天に上げます。彼は、私たちを和解させる祭司であるとともに、神と私たちの和解のための生贄です。彼は、全ての罪人を救うという熱烈な願いとともに御手を広げながら、御父に御自身を捧げます。そして心の中で祈ります。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください」(ヨハネ17・1)。彼は罪人を招き、抱きしめ、御父に罪人を紹介するために御腕を広げます。そして罪人を神に連れ戻し、人類を神が父である一つの家族にしました。そうすることを、あなたは出来ないし、神に最も受け入れられる祭司になれないし、最も聖なる祭壇でないし、最も完全な奉献もできないし、最も聖なる生贄にもなれません。なぜなら世の罪を取り除く神の子羊しか、これらを行うことができないからです。刑吏たちは主の御手をとるとすぐに、御体を支えるために大きな釘を打ち込みます。彼らはそれらを苛立ちながら、暴力をふるいながら行います。同じように御足にも行います。彼らは、意図して釘穴を少し外側に徴をつけます。そしてそこまで手足を引っ張るため、救い主の御手足は全て脱臼します。しかし彼は沈黙し、少しの不平も言いません。しかしその顔中どこでも最も激しい痛みが描かれ、人間の最大の忍耐、最も深い忍従、最も生き生きとした愛が明らかになります。愛する人よ、もしあなたが出来るなら、彼の苦しみを感じ、もし出来ないなら、それを少しでも感じることができるように望みなさい。そして彼の御体で苦しんだ全てのことを心に刻んでくれるよう彼に祈りなさい。

私の神よ、あなたの苦しみを感じ、あなたをそのような状態にした罪を憎むために、私の心の硬さを和らげてください。主よ、あなたが恩恵によって、あなたが感じた苦しみを私に与えてくださらないなら、私はあなたの苦しみを感じることが出来ません。ですから私が求めるこの願いを聞き入れてください。十字架の上から、あなたの御心は、全世界に叫びます。「罪を犯している者は全て私のところに来なさい、私はあなたたちを赦します。苦しんでいる全ての人よ、私のところに来なさい、私はあなたたちを慰めます。道に迷った全ての人よ、開いているこの腕のなかに来なさい、私はあなたたちを歓迎します。『わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られます』」(マタイ11・29)。おお、神であるイエスよ、憐れみ深い牧者よ、もちろん、私はあなたに従います。ここに、羊小屋に戻れない羊がいます。この哀れな羊をあなたの腕のなかに歓迎してください。そして私を招いたあなたの愛、優しさ、謙遜を教え、あなたから決して離れないように、神の美徳を私の心に刻んでください。長い間、私は、心のなかで導くあなたの声に耳を貸していませんでした。あなたの声に耳を傾け従うために、私の耳を開いてください。そして、あなたは、私がすぐあなたから逃げ出す御存知です。ですから全能の手で絶え間なく私を引き寄せてください。救いの果実と永遠の愛を手に入れるために、あなたに従い十字架を担うように導き、そしてあなたとともに十字架につけてください。アーメン。

③(イエスは死にます)救い主を釘付けにした十字架はくぼみに立てられます。そのときの振動が、神経が全て張りつめ、御手足の全てが脱臼していた御体にもたらした痛みを誰が理解することが出来るだろうか?主の御手足はすべて脱臼し、御体は、骨を数えることができるほどでした。このことは預言者により明らかにされていました。「獅子のようにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になった」(詩編22・17、18)。敵たちはそれらを見て満足し、あざ笑います。一方、救い主イエスは、全ての罪人を迎え入れ、天国の所有権を彼らに与えるために腕を伸ばします。そして「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12・32)といった預言をなしとげます。地上を濃い闇が覆った午前9時ごろ、人類は主イエスの磔を完了します!十字架に磔にされている救い主に、一人の盗賊は悪態をつき、下劣な兵士たちは軽蔑し、祭司と律法学者たちは挑発し侮辱します。それまで沈黙していたイエスは、彼らが改心することを望み、改心するならば、彼らのみではなく、彼の死の原因である罪の中にいるすべての人を赦すために祈ります。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)。おお、なんという愛!なんという憐れみ!どうして私は絶えず泣かないのか?どうして私の心は燃えないのか?

主よ、あなたの苦しみを教えてください。十字架につけられ、全世界にさらされた生ける神の御子よ、あなたを愛し、あなたの前にひれ伏します。私は、あなたが神であり、あなたが愛であることを認めます。この十字架の下にあなたは全世界にいるあなたの子供たちを集め、人類に宣告された永遠の死の判決を引き裂きます。そして十字架下で、あなたは苦しみを聖化し、魂を感化させます。おお、無限の愛よ!あなたは、人目のつかない場所で生まれ、羊飼いと三賢者のみから訪問を受け、神殿では二人の正しい魂だけから認められ、世間に知られることなしに30年生活し、公生活は3年でした。あなたは、復活後、選ばれた者に、人の目につかない場所で現れました。あなたの弟子のみがあなたの昇天の目撃者であり、そしてすぐに雲があなたの栄光の姿を隠しました。しかし、あなたは、過ぎ越し祭(エルサレムに全ての地方からユダヤ人がかけつけている時)の正午に、広げた両手とともに、無限の苦しみと愛とともに、二人の盗賊の真ん中で、公に全てのことが行われることを望みました。「私は、不従順で反抗する民に、手を差し伸べた」(ローマ10・21 イザヤ65・2)。主よ、あなたは全ての被造物から賛美されますように!イエスよ、あなたは人生の終わりにいます。私たちの罪の贖いは完了し、全ては完全です。そしてあなたはまだ十字架から切り離されていません!あなたはまだ苦しみ、愛することを考えています。ここに主イエスから学ぶべき模範があります。それは奇跡ではなく、栄光ではなく、苦しみと愛です。私たちに残された唯一の宝はあなたの母です。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19・26、27)。あなたは、私たちに、あなたの母を私たちの母にするように渡します。なんとあなたに感謝すべきか!御母は、あなたが死ぬときに私たちに残した最大の宝です。

おおマリア、あなたは、あなたの御子に行われた残虐と十字架に磔にされた御子を見ます。最も悲しまれた御母よ、今あなたは何をしますか?あなたは御子の苦しみに同伴するためにそこに留まります。あなたは、夜寝ることなく祈り続け、御子の姿を見てたくさん涙を流し、弱っていたにもかかわらず、全く整然と愛を示しました。あなたは、主イエスの母であるため彼の苦しみをとても感じることが出来ます。あなたは無限に苦しんでいたにも関わらず、他の女性のように気を失い、倒れることはなく、貫かれた魂とともに父の御旨の全てに一致させながら、身動きしないまま留まりました。あなたは、涙をたくさん流しながら、聖ヨハネと従う夫人とともに、群衆のいる道を開き、十字架まで付き添いました。十字架の下、あなたは立ったまま留まり、救い主に目を固定しながら、全ての人を救うという熱烈な望みとともに、御子の悲しみと苦しみに参加し、それらを永遠の御父に捧げることで、あなたは私たちの弁護人の聖務を行いました。あなたは瀕死の彼のお姿を見て悲しみ、苦しみ悶えている彼を見て苦しみました。あなたは御子の苦しみが軽減することを望んでいましたが、それ以上に、永遠の御父のみ旨が実現されることを望みました。神の子羊とこの汚れのない子羊であるあなたは相互に理解しました。御子はあなたの苦しみを見て苦しみました。あなたも御子の苦しみを見て苦しみました。

イエスとあなたの最も聖なる二人の御心だけが、イエスとあなたが苦しんだことを理解できます。苦しみの大きさは愛の大きさであるので、イエスとあなたが苦しんだことを知るために、イエスとあなたがどれだけ愛したかを知る必要があります。そして誰がこの愛の大きさを知ることができますか?御母よ、あなたは聖であり、汚れなく、いかなる罪にそまることなく、御子の苦しみの忠実な同伴者です。苦痛を和らげることに手を貸すことなく、慰めの言葉もかけることなく、自分の息子が苦しみのなかで息をひきとることを見たあなたは、どのような十字架を耐えましたか?… この過酷な十字架は、御母よ、あなたにだけ与えられました。なぜならば、あなただけがそれを耐えることができたからです。あなたの御子イエスへの愛は、死刑執行人が行うことができる全て以上にあなたを苦しめました。十字架上の救い主は、苦しみが聖なる御母であるあなたの御心を貫いているのを見ました。そしてこれを見ることは彼の御心にとって新しい苦しみでした。しかし永遠の御父はそう命じられました。そしてこれは神の御父への犠牲と従順で一杯でした。そのために母の甘美な名前であっても御子に慰めはありません。彼はあなたに言います。「夫人よ、御覧なさい。あなたの子です」。

悲しみのマリアへの祈り 悲しみの御母よ、あなたの息子から夫人の名であなたを呼ぶのを聞いたとき、どのような剣が、母であるあなたの御心にありましたか?あなたはもはや母と呼ばれません。そしてあなたの目の前には変わり果てた御子がいます。あなたは彼の声を聞きます。「私の父よ、どうして私をお見捨てになったのですか?」(マタイ27・46、マルコ15・34)。そして彼が「渇く」と言われたのを聞いたとき、あなたの苦悩とともにあなたは何を癒そうとしましたか?その渇きを癒すために一滴の水すら与えませんでしたか? あなたは胆汁と酢が差し出されたのを見たとき、そして彼が息をひきとる前の大きな叫び声を聞いたとき、彼の心臓が槍で貫かれるのを見たとき、十字架から降ろされ、御体をあなたの腕の中で受け取り、墓が閉じられそばを離れるとき、あなたの御心はどうでしたか?… そして、あなたの息子の無実の御血で濡れた町のなかに夕方下り、彼のいない家に戻ったとき、あなたの御心はどうでしたか?あなたは御子の意志に従い、人類をあなたの子供として受け入れました。それで、あなたなしでは、誰も御子に会うことは出来ません。なぜなら、あなたは全ての恩恵の仲介者であり、管理人だからです。あなたの足元にいる私を見てください。私はあなたの御子の命を奪いました!悲しみの母よ、私を憐れんでください。私は、私の罪から引き裂かれたイエスの御心に戻ることを望みます。私があなたと御子のために最後の呼吸をするまで、あなたを示し、私を同行させてください。心を貫かれた御母よ、私の心も貫いてください。そして、あなたと十字架につけられた主の苦しみを私の心に刻んでください。アーメン。

聖体拝領前の祈り おおイエスよ、あなたの側で十字架につけられた良き盗賊は、私たちのみじめさとあなたの憐れみの証拠です。今日良き盗賊ともにあなたに繰り返します。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ23・42)。私の罪のために、この神聖なホスチアのなかで愛の生贄となられた罪のない子羊よ、今あなたの王国はどこにありますか? 私はあなたの口からそれを聞きます「人の子と交わるのを楽しみとした」(格言8・31)。ええ、そうです。私たちの心こそあなたの王座です。私の心はあなたの所に行き、あなたを所有することを望みます。私の神よ、私の救い主よ、十字架上で、あなたが「私は渇く」と言ったときに、あなたが感じた燃えるような渇きを与えてください。私はこの世のものに対する欲望の火で乾いています。そして焼けたこの霊魂は、回復するための生きた水の泉を探し続けます。この泉は、あなたの御聖体と共に受け取る、あなたの御心です。しかし貧しく裸である私はあなたの御心に一人で行きません。私は、アダムをはじめ、アベル、アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、そして最後に、あなたの養父ヨセフ、洗礼者ヨハネと彼の両親エリザベットとザカリア、あなたの先祖ヨキアムとアンナ、神殿の年老いたシメオンとアンナ、これら古聖所であなたを待っていた霊魂たちの切望を伴って行きます。私はまたあなたの墓から決して離れようとしなかったマグダラのマリアの愛とともに行きます。そして、天国にいる全ての天使と聖人、地上の全ての正しい人の熱意と清さとともに行きます。そして最後に、あなたが私の母になることを望んだ御母の愛と悲しみの御心とともに、あなたの御心に私を捧げます。おおマリア、私の母よ、瀕死のイエスの前に私を差し出してください。そして御子に赦してもらうために、あなたの愛と苦しみを与え、赦しの印として、あなたの御子を私にください。あなたの手で、あなたは御子を墓の中に置きました。この聖体拝領の瞬間に私の心が、愛に満ちた墓、独房、家になるように、彼を私の心の中に置いてください。私の心は、閉じ込められたその石よりも冷たい。それで、彼を愛の火で燃えさせるために、力強い乙女よ、あなたに内に留まります。そして、死でさえ全くほどくことはできないほどの愛で、私を御子に結びつけてください。アーメン。(ここで、あなたが求める恩恵を祈る)

聖体拝領後の祈り 永遠の御父よ、今、私のなかに私のために命をお与えになった御子がいます。私はすでに私の霊魂と結びついている彼の全ての御傷、全ての御血とともに、彼を示します。今、私の不徳と悲惨さを見ないで、私の兄弟、私の食物、私の魂の魂、私の最愛の人であるあなたの最愛の御子に目を向けてください。永遠の御父よ、私のために彼に死を与えたことに感謝します。彼の御心は私の心となり、彼の魂は私の魂となり、彼の人性は私のものとなったあなたの御子、そして、あなたのものであり、恩恵によって私に伝えた彼の神性のために、私は、あなたを賛美し、感謝します。「主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか」(詩編百16・12)。「父よ、(私はイエスとともに叫ぶだろう)わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23・46)。私は私の自由、意志、命を生贄としてあなたに捧げます。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11・13)。十字架の上で死に、今、私の魂のなかで生きている御子への愛のために、御子が模範として示してくださった、愛の精神、苦行の精神、犠牲の精神、あなたの御旨に自己放棄をする精神、彼の模範に従う精神を、私に与えてください。 

おおイエス、あなたは槍によりあなたの御脇腹が開くのを許すことにより、私の罪の贖いを完成することを望みました。そしてあなたの心(心臓)を、よりどころの場所、愛に満ちた避難所として私の霊魂に示しました。したがって、あなたが改心した盗賊に言われた「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)との、あなたの声を聞くまで、主よ、あなたの御脇腹の御傷に住ませてください。あなたの憐れみ深い御心は、盗賊が求めた許しの言葉から心を動かされました。どうして、あなたの足元であなたを傷つけた苦しみから貫かれているこの魂が切に願っていることに赦しの声を閉じることができますか?あなたは恩恵を授けるとき、その人を魅了するので、恩恵は御心のメッセージです。そしてあなたが私を創造したとき、あなたが全ての被造物を私に従わせたとき、あなたが肉で覆われたとき、あなたはそれを私に行いました。そして、私の救いのため、幸福のため、あなたは全てを犠牲にし、あなたが死ぬ時に、あなたの最も愛する母を、私の母にしたいと思ったので彼女を私たちに残しました。今日あなたは、あなたの神性だけではなく、苦しみで貫かれた人性、つまり血まみれで引き裂かれた御髪、蒼白でめちゃめちゃになった御頬、涙で腫れ濡れた御目、胆汁と酢で苦しんだ御口、釘で貫かれた御手と御足を私に与え、そして、あなたの考え、あなたの望み、あなたの愛、あなたの命を与えます。あなたは、あなたが持っているもので、私に与えていないものはありますか?その上、あなたは恩恵を与えた上に赦します。それは、犯罪者の利益のためにあなたになされた最大の侮辱と冒涜を忘れることを意味します。この愛の仕事を、あなたの敵である罪人を救うために、あなたが十字架の死を御父に捧げることで、私の神よ、あなたが行いました。この赦しの言葉は瀕死の救い主であるあなたの口からカルワリオに響くのを聞く最初の言葉です。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)。ええ、私の神よ、全ては成し遂げられます。恩恵は完全です。あなたの御心は私のものであり、あなたは私の全てです。さらに、あなたはこの瞬間に赦すでしょう。ええ、私を赦してください。あなたの恩恵で私を美しくしてください。あなたから私を遠ざけるいかなる誘惑、試練を許さないでください。私があなたを離れ、あなたが私を断罪する前に死なせてください。私の神、私の配偶者、私の王、私の解放者、私の唯一の希望よ、あなたから、私が離れないために、無限の清さを侮辱する全てのことを、あなたのひらかれた心臓の貴重な御血で洗ってください。おお、愛で燃える御心よ、あなたの愛で私を燃やしてください。無視され、放棄され、軽蔑され、全ての被造物から見捨てられたあなたを全ての心で受け入れます。私はあなただけを所有することで満足します。あなたの心に燃えている同じ火で私を燃やしてください。今、私のなかで自分を見出すために、この御血を私の上に落とし、私を洗い、私を燃やし、私を使い果たし、あなたのなかで私を変えてください。「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(マタイ8・2)。私はあなたが侮辱されているのをとても悲しみます。おお、憐れみの御心よ、私の希望、私の命よ、もしあなたが私のためにたくさんの御血を流したのなら、もしあなたがあなたの母を私のために残したのなら、もしあなたが、十字架の上から愛にあふれる御心を開いているのを示すために、槍であなたの御脇腹を突き刺されるのを望んだのなら、どうしてこの瞬間に、罪を赦し、自分に勝つ強さ、あなたを死ぬまで愛する恩恵を否定することはできるでしょうか?(あなたが必要とする恩恵を祈る)。

栄えの玄義1 ご復活

① 愛する人よ、考えましょう。正しい議員アリマタヤのヨセフは、イエスの遺体を渡してくれるようにピラトに願い、その許可のあと、ヨセフは行って遺体を取り下ろします。それからイエスの近くにいた弟子たちと婦人たちで、イエスを香料と一緒に亜麻布でつつみ、岩に掘られた墓におさめ、墓の入り口に大きな石を転がして立ち去ります。祭司長たちは、三日目に復活するというイエスの預言を思い出し、その場所を監視することをピラトから許可を得ます。「そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた」(マタイ27・66)。主イエスは、聖なる金曜日に亡くなり、ご自身の神性の力で三日後に復活します。体から離れた聖なる魂は常に神性に一致したままであり、常に神の魂でした。一方、聖なる御体は魂から離れていますが、常に神性に一致したままであり、死者の状態のまま神の御体でした。イエスは神として、解放者としてリンボに降りました。愛する人よ、聖なる霊魂たちが長い間待っていたことと、彼らが主を見たとき捧げた感謝と賛美を考えましょう。あなたもまた天国に導かれる日を彼らのように願わないといけません。

聖なるイエスの御体は墓で三日間休みます。そして三日目の夜明けになると、イエスは汚れのない御母の胎内から一瞬で出たように、また閉じていた部屋の真ん中に突然現れたときのように、ご自身の力によって一瞬で復活し、閉じた墓から出ます。主は、全能の神として、どのように復活したかを明らかにすることを望みませんでした。しかし主の復活は、神の秩序に属するものとして天使を通して明らかにされなければなりませんでした。「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」(マタイ28・2、3)。二人の天使は墓を警備していた番兵たちを怖がらせるのに十分でした。彼らは死人のように地面に倒れ、逃げました。愛する人よ、誘惑者と言って死人に対して警備させていた祭司たちがどのような状態になったか見なさい。もしあなたがイエスのことを、あなたが知っている英雄や著名人と同じであると考えるなら信じていないことになります。しかしその英雄や著名人のだれがまだ生きている時に「三日後に復活する」と言えるだろうか?この驚くべき言葉は神の御子だけのものです。番兵たちは、これらを見ただけで震え上がり倒れました。彼らは誰も死なないで、立ちあがって逃げることができたのは、彼らはキリストの死と復活の目撃者であり、彼ら自身で敗北を明白に認め、そして鞭打ち、茨の冠で苦しみ死んだのは、主が望んで行ったことを理解してもらうためでした。しかし、彼らの報告を受けた祭司長たちは信じませんでした。同じように、私たちも、神が選り抜きの証拠を私たちに与えたとしても、信じようとしないなら信じることはできません。おお神の御子よ、これは私にとってなんという慰めでしょうか!ですから私はあなたのなかでしっかりと信じます。栄光の救い主よ、あなたの復活は敵たちを恐怖で満たしました。しかし私には喜びと慰め以外ありません。なぜなら、あなたの復活は、神と私の和解、そして神による義化を私に保証するからです。あなたの復活は、恩恵での霊魂の復活と最後の審判における体の復活の模範です。そして、あなたは復活するとき、新しい命を手に入れたように、私たちも罪から恵みに復活し、新しい命を生きます。主よ、私がこれから出会う障害に勝つために助けてください。救いの敵を取り除き、聖なる天使たちを送り、あなたが至福の天国を私に明らかにする、その瞬間まであなただけを選ぶ恩恵を与えてください。

②愛する人よ、マグダレナが最愛の先生の墓から離れるときの苦しみを考えましょう。金曜日の夕方に最愛の先生の墓で涙を流し、土曜の夕方に香料を買うために聖なる墓から離れ、日曜の朝に戻ります。もし香料を買いにいくのでなければ、彼女は墓から離れることはなかったでしょう。おお、なんという模範!彼女は心から改心した人の高貴な模範です。人の心は確かに弱い、しかし神への愛が彼女に力を与えます。「愛は死のように強い」(雅歌8・6)ので真の愛は愛する人の死によって消えません。マグダラのマリアが仲間を起こし出発するのを急がせたとき、まだ月の明るい夜でした。彼女にとって時があまりにもゆっくり流れるため、日が昇る前に出発します。おお、私は御聖体を受けに行くとき、マグダラのマリアがもっていた同じ望み、聖なる焦り、愛情深い配慮をなぜ持たないのか?私は彼女のように主を愛していないので、主からとても離れています。愛する人よ、御聖体のイエスをたびたび訪問するとともに、マグダラのマリアの熱意をまね、彼に対する熱烈な愛と、彼を受け取るための熱望を祈りなさい。このことは、霊的聖体拝領によっても、日中に空いている時間に頻繁に行なうことができます。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(ヨハネ20・1)。彼女を驚かせた最初のことは大きな石がその場所から外にあり、ひっくり返されていたことです。彼女は前に進み、墓のなかを見ます。そして主の御体がそこにないことを見ます。彼女はとても驚き、主の御体は夜の間に誰かがもち運ばれた、しかし、どうすればいいだろうか?と考えます。「そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません』。そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った」(ヨハネ20・2~10)。

③愛する人よ、イエスを見つけられないマグダラのマリアの苦しみを考えましょう。そして心から改心した人の苦しみがどうあるべきかを学びなさい。彼女はその場所から離れません。「マリアは外で墓のところにたたずんで泣いていた」(ヨハネ20・11)。彼女は、泣きながら身をかがめて墓の中を見ると二人の天使が見えますが、彼らの美しさに目がくらむこともなく、彼らの言葉に興奮することもありません。彼女は天使を見て話をしますが、どこにイエスがいるのかを知るためだけです。もし天使がこの質問に説明することが出来るなら天使を園丁として残すでしょう。そしてイエス自身も園丁と間違えます。彼女の心は、主のご遺体を、もっとも大切な方として、 引き取ることに捧げられています。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」(ヨハネ29・15)。真の愛は何と勇敢なことか!全ては真の愛にとって容易なようです。彼女は、多くの殉教者に見られる同じ勇気で尋ねます。そして名前を呼ぶ主の声を聞いて彼女は何をするだろうか?イエスの十字架から決して離れようとしなかった彼女は、墓から離れることができませんでしたか?愛する人よ、見なさい。それらは心から悔い改めた人の崇高な姿です。そのとき彼女の心は聖なる三位一体の大きな満足と喜びそして恩恵の対象になります。この神の救い主は、大きな喜びとともに彼女の気持ち、望み、愛、忍耐、勇気ある熱意を見ます。それで全てを始める用意ができます。彼は最も清く言いようのない純粋な喜びで彼女の心を満たします。主は、これによって改心した魂の愛に報います。もしイエスがマグダラのマリアの高潔な気持ちを私のなかに見たいならば、どうなりますか?しかし私の心には、彼女と全て逆のものがあります。主は、私の心の中に、地上に対する楽しみと、それを楽しみたいという欲望で満たされていることを見るでしょう。主よ、マグダラのマリアのように心の中をあなたで満たすために、私の心に現れ、神の愛で私の心を燃やしてください。

あなたは弟子たちにも現れます。そのとき、あなたは彼らを何と言いますか?おお主よ、あなたはもはや弟子たちを僕とは言わず友と言います。おお、救い主の燃える愛!あなたは、わずか数日前に敵の手に残して逃げた人たちを友と呼びます! おお私の恩人よ!あなたは彼らに不平を言うことなく非難もしません。そして愛情こめた称号である友と呼びます。あなたは既に赦しを与えるだけでなく、名誉ある職を敬意とともにペトロに与えます。主よ、あなたの愛は、なんと激しく、常に甘美でやさしいことか!そして道に迷った子に対して、常にやさしく憐れみ深い父の足もとに、身をゆだねに行かない愚かで頑固な罪人は誰ですか?ペトロはすぐに罪を赦されました。なぜなら彼は金曜日に倒れましたが、すぐに後悔し、最も聖なる乙女の足元にひれ伏したからです。その時彼は激しく泣きながら言いました。「貴婦人よ、許してください。臆病で、不忠実な私は、神である主を否定しました」。それを聞いたマリアはペトロのために祈ります。イエスは、御母が望んでいる全てのことに反対することはないので、ペトロに赦しが与えられたのは間違いありません。罪深い魂よ、多くの罪の再発のために、イエスに頼る勇気がないとき(言うまでもなく彼は最もやさしく憐れみ深いが)、神の憐れみの杖を持つ御母に助けを求め、信頼とともにマリアのも足とに行きなさい。マリアはあなたのために罪から離れる手段と悔い改めの恩恵を御子から獲得するでしょう。イエス・キリストは私たちの罪の贖いのため犠牲になった最も聖なるその人性をマリアから受け取ったので、私たちが獲得する全ての功徳をマリアを通して渡します。おおマリア、あなたは、いつも、どこまでも、主の受難に参加していたので、復活したイエスを見る喜びを最初に受け取りました。変わり果て息を引き取った主を腕の中で抱きしめ、最後に十字架を離れたのと同じように、あなたは天使たちと聖なる霊魂たちの中にいる栄光に満ちている彼を最初に見ました。彼は、33年間の人生で苦しんだ全てを、あなたが共に贖うものとして共に苦しんだことに感謝しました。私もこの喜びに参加させてください。そのために私の心を燃えるような願望で満たし、心から改心させ、あなたと似た者としてください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り) イエスよ、今日、私は、マグダラのマリアが持ったあなたに対する愛と熱望を与えてくださることを激しく望みます。私は罪深い者です。しかしマグダラのマリアの愛と熱意を誰が与えましたか? あなたは愛のために人となられた永遠の御言葉です。そしてあなたは永遠の喜びと全ての愛の源です。それゆえ揺るぎない愛であなたと一つになるために、あなたを迎える今日、私はどの位希望しなければいけませんか?ペトロとヨハネと共に、私もこの食卓に熱望とともに駆けつけます。彼らはすでに復活したあなたを見つけませんでした。しかし私はこの祭壇で人となられた神であるあなた、その魂、御体、御血と神性を見つけるでしょう。復活したあなたは使徒たちの信仰を強めるために何度も現れました。神よ、自らの力により復活し、死者と地獄の勝利者であるあなたを信じるために私に現れる必要はありません。天の栄光であり、神の御父の右に座し、現存するあなたを信じるために、司祭の手の中にある聖なるホスチアを見るだけで十分です。もしあなたがマグダラのマリアそして信心深い婦人たちに、そしてその後エマオの弟子たちに示したように、私にあなたを見せるようなことがあるなら!それでも、あなたは、ご聖体によってあなたをもっと明らかに示します。その上、あなたはご聖体を私に与えることで豊かな恩恵を与えます。あなたは天国で明白に御顔を見せることを私に約束します。一方、この地上ではあなたを見ることを望むべきところです。そして主よ、私はあなたに会えるでしょうか?よきイエスよ、その祝福された永遠の日を期待する間、崇高な信仰と希望に一致して、信じ、希望し、生きるようにしてください。神よ、あなたの栄光の美しさを見て、あなたを所有するときまで、あなただけを探し、あなただけを望むようにしてください。おおマリア、イエスの真の母そして私の母、御子の復活を待つあなたの生きた信仰によって、私の罪で傷ついたあなたの息子と私を和解させてください。そしてこの心を改心させてください。主は弟子たちに現れたとき、「あなたがたに平安があるように」(ヨハネ20・21)と言い、平和を与え、御傷を示しました。私は、イエスが弟子に与えた神の息吹を、彼の御傷、御血、神性とともに感じることが出来る今日、全てを希望します。ええお願いですから、御母よ、御子イエスとあなたの愛で私を満たしてください。容赦ない敵との戦いの真っただ中で静けさと安らぎを手に入れるために、勇敢で熱心な平和を与えてください。おおマグダラのマリア、イエスの尊い御体に芳香をつけに行く聖なる女性よ、最愛の御心の燃えるような願いに応じるために、このよき神に、最も純粋な愛情と改悛の香油を捧げるために助けてください、アーメン。(必要とする恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り) 主イエスよ、なんとあなたは謙遜であろうか!あなたは全てを与え、私は神であるあなたを抱きしめます。あなたを裏切り拒否したこの魂を受け入れ、力と愛とともに住んでください。そして私はあなたを受け取った今、あなたを見てないけれども、あなたを信じ、あなたに告白します。あなたに触れていませんが、あなたの美徳の強さを感じます。私は盲目で惨めで傲慢ですが、あなたの全能を賛美します。しかし誰があなたの愛の強さを適切に評価することができますか?常に子羊の王座の周りにいる天国の天使と聖人、あなたたちは主の深さと喜びを全く調べる必要はありません。おおマグダラのマリアよ、あなたと私の主を保持しているこの幸運な瞬間にあなたの愛を貸してください。そして主イエスよ、この心に赦しの声を聞かせてください。「罪深い魂よ、あなたはたくさん愛したので、あなたの罪は許されています」。イエスよ、あなたは名前でマグダラのマリアを呼ばれたように、私の魂のためにも名前で呼んでください。使徒たちに元気を与える友という甘美な称号を、あなたは繰り返します。使徒たちは著しいこの恩恵をこのように喜ぶだけでなく、私たちにもあなたが友と呼ぶことを喜びます。友と呼ばれるのに値するために、偉大な神よ、今私たちは何をしないといけませんか?困惑におおわれ愛の火が付いたあなたの足に倒れることなく、一体だれがこの言葉を聞くことができますか?そして一体誰が、あなたが友と言うことを聞いた後、その喜びから離れ、再びあなたを侮辱することができますか?しかしイエスよ、あなたは愛の源です。いや愛そのものです。あなたのために働き、あなたのために苦しみ、あなたのために死に、あなたのために生きるようになるために、マグダラのマリアのような強い聖なる愛の火、あなたが燃やしている決して消えることがない愛の火を私にも燃やしてください。エマオの二人の弟子のより幸運である間、私の心はあなたの復活を疑う二人の弟子よりもっと頑固です。あなたは、彼らとともに食卓に座り、パンをとり、割り、与えました。しかしこの時間、あなたから頂いたのは別の良いパンです。私の神よ、私はあなたをパンのしるしの下で受け取りました。私の心の闇が彼らの心の闇より深いにも関わらず、私は、今あなたを恩恵とともにだけでなく、御聖体の秘跡の中で完全に全てを受け取っています。そしてエマオの弟子のように目がさえぎられていないなら、私はどうしてはっきりと感動しないのでしょうか?そしてエマオの弟子のように頑固でないなら、なぜ心は燃えないのでしょうか?神であるイエスよ、この心に触れ、この心を変えて、あなたの御心にこの心を結び付けてください。そうすれば私の精神は照らされるでしょう。そしてもし時々あなたがあなたの御顔を隠さないといけないと考えるなら、少なくともあなたの苦しみを私から奪わないでください。あなたが二人の弟子に言ったように「メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入る」(ルカ24・26)ことを理解させてください。おお、この日にイエスの復活を見て、触れ、御足を抱きしめ、そして崇拝した聖なる婦人たち、恵まれたマグダラのマリア、聖なる使徒と弟子たち、私の愛する父聖ヨセフ、聖なる家父長、栄光の救世主によってリンボから解放された旧約の義人たち、あなたたち全ては、この私の魂の周りで賛美、感謝、愛、祝福の賛歌をこの共通の解放者のために繰り返してください。おおマリア、この日あなたの御子の勝利とともにあなたは勝利を収めたので、もはや苦しみの母ではありません。あなたのたくさんの苦しみと人となられた神のたくさんの御血を必要としたこの魂を失わないために、彼の復活によって、私を罪の死から復活させてください。おお主よ、私も全人類の体の復活を待ちます。あなたのご復活は、審判の日である私の復活の模範です。あなたの御体は栄光と不死の賜物とともに復活しました。私の体もまた、そのような賜物をもてますか?あなたの息子である私は右もしくは左、どちら側に行くのでしょうか?おお、憐れみ深い御母よ、あなたは私の希望、罪人と神との仲裁者、罪人の拠り所です。あなたは、私が神に誠実で忠実になるように取り次いでくれます。従ってこの聖体拝領によって、私の女王、私の救い、私のやさしい母であるあなたを崇めるために、最後の審判の日に至福の状態で復活できますように、祈ってください。アーメン。(あなたに必要な恩恵を祈る)。

栄えの玄義2 ご昇天

① 復活したイエスは、実際の復活の信仰を確認してもらうために40日間地上に栄光に満ちたまま、使徒たちに姿を見せることを望まれました。しかし全ての場所に神がいて、聖体の秘跡の中に人となられた神がいることを信じることに慣れてもらうために、常に明らかに現れることを望みませんでした。ついに予定された時が来ました。主は全ての権限を使徒たちに与え、全ての国民を教え洗礼を授けるように命令された後、オリーブ山に集まるよう命じます。「彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである』。さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる』」(使徒1・4~8)。愛する人よ、天国に昇ろうとする救い主を崇拝しなさい。天国にいる御父と全ての至福の霊魂から歓迎されるために行く、主の輝かしい大勝利を、主と共に喜びなさい。そして今から、熱意と供に彼に強い信仰を求めなさい。そして、この心をもってエルサレムに行きなさい。救い主は、恩知らずの町エルサレムから離れ、御母マリア、使徒たち、弟子たちと婦人たちの500人以上を引き連れ、オリーブ山から天に昇られます。主は、天国への昇天の信仰を人類に確かめてもらうためにたくさんの証人を望まれました。あなたもマリアのあとに従い、オリーブ山まで一緒に行きなさい。そして使徒たちに、復活と聖霊の約束をしたイエスの最後の言葉を聞き、天に昇る前のイエスに目を向けなさい。たくさんの涙を流し、そして十字架の上で弱りはてた神の御目は、今、太陽よりももっと輝いています。尊ぶべき御頭は、もはや御血で濡れた茨の冠ではなく栄光の冠をされています。御体を醜くさせた全ての御傷は今や神の輝きとなります。全てが見えるように手を上げ祝福し、少しずつ天に上り始めているイエスを、天の熱意に燃やされ、生き生きとした希望に支えられているマリア、使徒たちとともに見なさい。

②「手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ24・50)。なんという素晴らしい光景!なんと驚くべきこと!弟子たちは、今まで、これほど素晴らしい光景を見たことはありません。弟子たちは主が湖を歩き、閉じていた部屋の真ん中に突然現れたのを見たことはありました。しかし、ここでイエスは弟子たちとともにいて、彼らと話をしながら天に上がります。弟子たちは彼を見ますが、誰も触れることはできません。白い雲が彼を取り囲み彼らの視界を取り去ります。イエスが何回も言っていたので、弟子たちは、彼が行くところをよく知っています。彼は天国に昇り、彼を送った御父のもとに戻ります。弟子たちが今行くことが出来ないところ、そしていつの日か行かなければいけないところに彼は行きます。彼は、主に従う全てに報いる場所を準備するために行きます。イエスは御父の右に座り、彼と供に住むために私たちを呼ぶまで待ちます。なぜ私はそのような素晴らしい光景に感動し続けないのか?主よ、冷淡な私の心を開いてください。ゆるぎない希望と共に、常に私の目を天に固定するため、地上から引き離してください。天使、大天使、天上の全ての権威は、王であるあなたの前に来ます。あなたとともに蘇った全ての義人、アダム、イブ、アベル、メトシュラ、ヨブ、トビアス、イサク、ヤコブ、そして予言者イザヤ、エレミヤ、ダビデ王、養父ヨセフ、マリアの母アンナとヨアヒム、洗礼者ヨハネ、ザカリア、エリザベト、三賢者、老人シメオンとアンナ、よき泥棒などは、栄光の勝利の凱旋に同伴するために合流します。「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主」(詩編24・7、8)。 それは殺害された神の子羊です。それは勝利に満ちたライオン、ユダ族のライオン、力の主、栄光の王です。これは、あなたが御父の右に座りに行くときの称号です。主よ、あなたは、御父の右に救われた全ての人を座らせます。そして御父の右で、あなたを信じ、あなたの罪の贖いを利用する全ての人を待ちます。何とたくさんの人がそこにいることだろう!彼らはこの世と人類がしている全てのことを見ています!したがって天国で私の魂をよく見ています!天国にいる聖人たちよ、死ぬべき旅の終わりとして、休息の場として、魂と心が常に天に向かうよう支えてください。

信仰は教えます。「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです」(ヘブライ13・14)。愛する人よ、まったく短い期間しか留まることができないこの地上はあなたの祖国でなく寄留地であること、そして永遠の天国で神があなたの帰りを待っていることを考えなさい。そしてこのことを信じ、心を堕落させる世の偽りの善と幻想に反対することを教えるキリスト教の信仰で元気になりなさい。信仰はキリスト教の判断の目であり、永遠の救いの土台です。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11・1)。 信仰は天国を約束します。「信じて洗礼をうけるものは救われる。しかし信じないものは罪に定められる」(マルコ11・16)。信仰によってイエス・キリストは私たちのうちに住むことを知り、私たちも彼のうちに住みます。信仰によって、イエスは私たちの中で働かれていることを知り、信仰よって、彼の神秘と彼の命を私たちに伝えます。

③愛する人よ、もし約束された報酬のことを強く望むのなら、全ての苦難を軽いと考え、全ての弱さに耐えることができるでしょう。そして、貧しさと快適な生活の不足に耐え、侮辱にあっても平和のうちに住み、この世の偽りの輝きに目を閉じることができるでしょう。なぜなら、信仰はこの世のすべての栄華と栄光は灰に終わることを常にあなたに示し、それらがあなたを魅了しないからです。体から離れた霊魂は、その行いに応じて裁ばかれます。良い場合は天国の栄光に、悪い場合は地獄の苦罰の判決が下ります。永遠に対する考えを失わないために、聖マカリウス、聖アントニオ、柱頭修行者は、町から離れ砂漠に住みました。聖ベネジクト、聖ベルナルド、聖ドミニコと聖フランシスコは修道院に住み、自らを聖化することで、隣人を聖化しました。愛する人よ、全ての考え、全ての行いをイエス・キリストに狙いをつけるために、永遠の生命に魅了された使徒たちについて考えましょう。「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる』 」(使徒1・10、11)。さて使徒たちは、その瞬間に動くことはなく、地上で起こる全てのことに無関心で、天以外のことを少しも考えず、天の熱意に燃やされ、喜びに満ちた希望に支えられていました。イエスを、全く見ることは出来なくなっても、去ることなく天の方を見ていました。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、オリーブ山から大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神を褒めたたえていた」(ルカ24・52 使徒1・12)。その後、使徒たちは、大きい喜びにより、祈りながら行動し、行動しながら祈る(絶えず祈る)ことに従順になります。使徒たちは天使の知らせに従いました。そして日常生活であなたは、天使の代わりにあなたの近くにいる上司に従いなさい。あなたに対し神の意志であるあなたの義務に従いなさい。神があなたに要求する日常の仕事に戻るため、考えを聖なる山に残すことを恐れてはいけません。イエスは受難を始められたオリーブ山の頂上から天に昇ったことを思い出しなさい。先生である主は、この山のふもとで瀕死に見え、その後、犯罪者として連行されました。そして彼は、私たちが侮辱したことに悔い改めと赦しを与えたあと、天の栄光の高みへ昇ることになります。おお、イエスよ、栄光の大勝利をあなたとともに喜びます。私の救い主よ、あなたは私を買い戻すために御血をたくさん流し、私に天国の場所を準備するために天に昇りました。この天、切望の王国にたどり着くために、主よ、あなたの恩恵で支えてください。天国の王国に着くことを邪魔する全ての敵にうち勝つために、あなたの要塞で武器を与えてください。マリア、美しい希望の母よ、あなたの愛とあなたの恩恵とともに天国に導く道に従順になるようにしてください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り)おおイエスよ、あなたは栄光のなかに場所を準備するために天に昇りました。しかしあなたの燃える御心は地上の孤児を放っておくことはありません。あなたはこの秘跡であなたの全てを私に残します。何もない奈落の底で弱り切っている私の魂はあなたを崇め、父のなかで最も愛情があり、兄弟のなかで最も甘美な、愛する者のなかで最もやさしい贈りもの、神であるあなた自身を与えるこの恩恵を感謝します。この聖体顕示台に、私は、永遠の生命の水が湧き出ている井戸を認めます。ここで私の邪悪に疲れ、そして常に忍耐強く温厚なあなたは、汚れのない御体と御血で私の魂を元気にし永遠の生命に導くため、サマリアの女性を待っていたように待ちます。あなたを裏切り偽証したこの魂は、不貞な婦人に与えたあなたの赦しを、あなたの恩恵とともに待ちます。 あなたのもとに来た時、私ははっきりと言います。「神様、罪人であるわたしを憐れんでください」(ルカ18・13)。あなたがサマリアの女に言われた「今日あなたの罪は赦された、あなたはたくさん愛したので」。その甘美な言葉を心に聞くために、悔悛の涙であなたの足元を濡らしたいと思います。 そして主よ、あなたは次のことも言いました。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」…「あなたの罪は赦された」(ルカ7・47、48)。しかし、私は大きい愛を持っていません。主よ、私にその愛を与えてください。あなた以外の一体誰がその大きい愛を与えることができますか?無限の愛よ、私を引きよせてください。あなたとともに、あなたを立派に受け取るために準備をさせてください。聖なる父祖、聖なる使徒と弟子よ、救い主の大勝利の証人よ、天国に同行した天使たちよ、堕落から回復し天国に迎え入れられるために、無限の愛によって神と結びつくこの瞬間にあなたたちの感謝と崇拝、愛、祝福を貸してください。そして天に昇る御子を見て、天国への希望で一杯の無原罪の乙女、私の最愛の御母よ、私の信仰に火をつけ、希望を満たし、愛を強めてください。私が行うことを祝福し、受け取り、そして、天の永遠の王冠である、この聖体拝領に値するために最終堅忍を取り次いでください。この日、イエスと一緒に天国に昇り、彼と同じ栄光の輝きに迎え入れられた栄光の聖ヨセフ、私がイエスから決して離れることがないく、強い愛で結びくことができるように祈ってください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り)おお、イエス、慈しみ深い救い主、私の魂の最も甘美な配偶者よ、あなたは私の全てです!この荘厳な瞬間、神であるあなたは、あなたの被造物と全て一つになりました。あなたを崇拝する天にいる全ての前で、私は永遠にあなたを愛するために、私に不足する全てを与えてくれる希望のなか、あなたの愛の中に自分を捧げます。あなたは天国に昇ることにより、そこに到るための道を明らかにし、そこに昇るための信仰を私に残しました。私は使徒トマスのようにあなたの御傷に触れることを求めません。「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)。あなたのこの言葉だけで十分です。イエスよ、この世であなたを見ることを望まず、信仰と希望によって生きたいのです。そして今、天と地の全ての前で、あなたが真の神であり人であり、父である神の御独り子、至聖なる三位一体の第二のペルソナ、最も純潔なマリアの胎内で人となられた神の御言葉、マリアの唯一で真の御子であることを信じます。33年に渡って、私の愛のために、あなたは貧困、苦難の生活をおくり、そして私を救うために、あなたの御血の全てを与え、さらに最も素晴らしい奇跡によって、愛の奇跡によって、あなたはこの秘跡によって私のなかに常に留まることを望んでいることを信じます。あなたの力によって栄光に復活し、そして今、御父の右に座っているあなたは、あなたに従うものに、地上で言ったとおり信仰の褒美として天国を準備し、栄光に満ちた王座を振り分けていることを信じます。私の神よ、ローマカトリック教会にあなたが明らかにした全てのことを信じます。しかし使徒とともに言います。「私の信仰を増やしてください」(ルカ17・5)、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(マルコ9・24)。ええ、主よ、使徒と殉教者たちが示したような英雄的な不変の信仰、最も危険な誘惑の中で堕落することのない信仰、逆境と迫害の中で倒れることのない信仰、もしあなたがそれを求めるなら、常に苦しみ、財産を捨て、血を与えることをおしまない強く燃えるような信仰を与えてください。 そして、信じたため至福であり、生きた信仰の鑑、全てのキリスト信者の模範であるマリアよ、隣人のために償いそして愛のために働く生きた信仰を取り次いでください。私は地上の全てのことを愚行として見なし、世の偽りの喜びから私の心を遠ざけ、そして全ての行いを信仰の光で自制します。それは永遠の褒美を願うことの基礎です。この信仰のために血を流した聖なる殉教者よ、復活と命のこの食物に対し、あなたたちがもつ愛は強いので、この貧して弱い私の信仰を支えてください。将来罪の贖い主が来ることをリンボで信じ、待ち続け、キリストの昇天の日に彼とともに天に昇った聖なる父祖、聖なる預言者、聖なる王よ、私の死の時、そして永遠にわたって、あなたたちと一緒に賛美することができるように祈ってください。そしてリンボのなかで族長のアブラハムの懐で休みながら、あなたが育てたイエスの栄光を待ち、この日に彼の栄光を身に着けた父ヨセフよ、天国にあなたとともに住むために地上から離れて生きることができるように祈ってください。死の時点で待つ、イエスからの祝福を、今日、私のために取り次いでください。おお、私の救い主、あなたの栄光の昇天の記念を称えるこの日、聖なる祝福をあなたに求めるために、あなたを信じ、あなたの足元にひれ伏す私を見て下さい。使徒たちに同意したように、それを私に許してください。おお、イエスよ、天国にあなたとともに昇るのはいつですか?そしていつ、私はあなたと離れることがなく、あなたと一致しますか?私の目標は天国であり、そのときは遠く離れていません。どれだけ下劣で卑劣か!地上よ!どんな時でも私は天を見つめます。おお、天よ!私の希望の甘美なものよ!私の心を所有し、私の考えを奪い、私のため息を終わらせ、私の望みの唯一の対象となりますように!アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)。

栄えの玄義3 聖霊降臨

①イエスは天に昇る前に使徒に言いました。「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒1・5)。「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒1・12~14)。「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカ24・53)。使徒たち、弟子たち、婦人たちは、聖霊降臨が早く実現するために、聖母と共に心を一つにして祈ります。ここに聖霊の恩恵を受けるために効果的で必要なことが三つあることがわかります。一つ目は、聖母と心を一つにして祈ることです。彼女は主イエスの母です。この唯一の称号は神の恩恵と力の約束です。 二つ目は、熱心で忍耐強い祈りです。使徒たちは10日間、寝食を忘れて全身全霊で祈っていました。三つ目は、共同で祈ることです。こうすることで、すべての信者は、主キリストを頭とする体であり、信仰と愛の一致を表明します。

おお、聖霊の恩恵で満ち満ちたマリアよ、聖霊を引き寄せるために、あなたと共に祈らせてください。そして、あなたのように、生きた信仰、深い謙遜、不変の忍耐、熱烈な愛とともに、決して祈ることを止めないために、御母よ、私の心に入り、そして神の火の矢で私の心を射ぬいてください。そして、あなたのように聖霊の恩恵で満ち満ちることができるように祈ってください。

②神である救い主は、旧約の義人たちの熱心な願いによって引き寄せられました。神である聖霊も、同じように弟子たちの願いとともに引き寄せられることが必要でした。しかしこの善き神は、被造物の願いよりも常に先に行います。このことを、神は預言者に語りました。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、そして、私はあなたの極貧に触れたので、あなたをもてなす」(エレミア31・3)。そしてイエスも使徒たちに言いました。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12・32)。 

愛する人よ、聖霊降臨の日に神が先に行なったことを見ましょう。「一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(使徒2・1、2)。風が雲を払拭するように、そして空気を浄化するように、聖霊は魂に進入します。聖霊は、最初に悪い考えと地上の愛着を浄化し、知性の闇を減らし、その後、神の生命として使徒たちの魂を生き返らせます。また、この時、神である聖霊は、教会に新しい命を与え、永遠に留まります。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ」(使徒2・34、35)。彼らに留まった「炎のような舌」を見なさい。…ここに神の恩寵の表現があります。舌の象徴のもと、聖霊は降臨します。人の傲慢はバベルの塔で言語の混乱を引き起こし、人々の分裂になりました。聖霊は、全ての人々がカトリック信仰で一致するために、使徒たちに言語の賜物を与えます。そして愛の源が生きているため「炎のような舌」は聖霊です。火が金属の不純物を破壊し純化するのと同じように、聖霊は全ての不純物から魂を清めるための燃え盛る火です。その燃え盛る火は、むなしい利益、人への愛着、虚栄心、快楽への願望など、神を愛することに障害となる全てを破壊します。その後、愛情と考えは天に昇り、心をこめて神を賛美するようになります。また聖霊は、私たちが神に対して犯した罪と悪意と普段の忘恩を明らかにします。従って聖霊は精神を照らす火です。また心に侵入し、燃え上がらせる甘美な火です。最後に、愛の炎とともに天に昇る火です。この火は、御父から、そして御子から、愛の道によっても進んで来ます。その後、聖霊は持っている全てのもの、すなわち彼そのものを伝えることを望み、霊魂に愛と熱意を注ぎ込みます。これは聖霊の性質で重要です。

おお、神の恩恵はなんと崇高で偉大であることか!ギリシア人とローマ人の知恵の前に教養がなく、愚か者と見なされていたユダヤの12人の漁師によって、イエスの真理は伝えられ、教会は広がります!粗野で無学であり、受難の時に卑怯にも主を見捨てたその人たちは、聖霊が与えたこの神の火で燃え、救い主の名を全ての国の言葉で話します。「すると、一同は聖霊に満たされ、〈霊〉が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒2・4)。彼らはエルサレムで十字架につけられたイエスの福音を全ての国の言葉で説教します。「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(使徒2・5、6)。使徒たちは全ての人にイエスの偉大さと素晴らしさを宣言します。激しい熱意に導かれた彼らは英雄のように戦い、ひどい苦痛に会い、死にさらされます。しかし暴君に対しても全く怯えることなく、ひどい苦痛を耐え忍ぶことにより、人間の全ての知恵、全ての力に大勝利します。私たちは使徒たちの不誠実さ、臆病、逃げ出したことを立派にまねことはできます。しかし、聖霊を引き寄せた、絶え間ない黙想と祈りをまねようとしません。したがって愛する人よ、今日あなたの上にも来る聖霊に熱心に祈り、熱烈な精神と熱意の実を求めなさい。 

③聖なる教父たちは言います。その熱意は、愛の道によって絶え間なく神に一致するように天に向かい、天との一致を妨げとなる障害に打ち勝つ超自然的な魂の働きです。その熱意は神の火、聖霊から流出した天の炎です。聖霊は、熱意となり、全ての困難にかかわらず、神が望む全てのことを引き受け実行するのにすばやく勇敢な霊魂にします。愛の行為が増えるに伴い、心は神と結びつき、もし被造物から離れる強さがない場合、使徒と同じように全ての被造物に勇敢に立ち向かうための力が与えられます。「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう」(ローマ8・35)。それは剣、空腹、苦悩、暴力でもありません。自分自身に常に用心深く、自分にあるこの世の喜びの全てを取り除きます。配慮の欠いた言葉は暗黙の叱責を生み、もし愛する神に向けられたものでないなら、被造物に好奇心のたった一つの眼差しさえ許しません。聖パウロとともに、まだ地上にいる亡命は長いと叫びます。しかし熱烈な望みは天に向かって絶え間なく上昇します。聖ベルナルドは言います。「愛する方の存在から決して離れることはなく、生活し、沈黙し、働き、休むようになります」。神の愛は、全てが燃えることを望みますが、常に穏やかで、常に慈悲深く、隣人のために祈り、隣人のために苦しみます。しかし私たちの心にあるよこしまな欲望の全てを捨て去らないなら、この神聖で清い霊は、私たちを聖なる者にしないでしょう。私たちの心は隙間のままではいられません。自分自身と被造物を捨てるにつれ、神は彼の霊でその魂を満たします。しかし悲しいかな、私たちは自分を捨てようとしないし、少しのことで自分を捨てることを止めます。おお、神の霊である聖霊よ、あなたの愛で、私の心に火をつけてください。私は、あなたの声を耳からではなく、私の魂で何度も聞いています。私があなたの声に従順ならば、私にある全ての悪徳は根絶され、多くの美徳を手に入れることができるでしょう。そして、このような急速な進歩で私は完全な者になるでしょう。私の神よ、私の心の中の全てがあなたで一杯であるならば!しかし私はこの惨めな地上のもので一杯です。神の愛に熱心であるならば、しかし私は無気力で、あなたに祈ろうとしません。おお、神の霊よ、私の過去の不誠実の全てを許してください。私があなたに常に従順でいるために、私が持つ愛着のすべてを無くし、あなたのところに導いてください。天から下り、とるにたらない私のところに来てください。そして惨めな被造物である私を所有してください。私は喜んであなたを迎え、あなたに従順であり続けます。天の火よ、私の心を清めてください。おお、聖なる使徒よ、私のために祈り、あなたたちの堅い信仰、燃えるような熱意を教えてください。あなたたちとともにしっかりと信じて、主イエスのためにたくさん働き、そして天国で永遠に彼とともに住むために、あなたたちのように聖霊が降臨するように祈ってください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り)おお、マリア、あなたは聖霊降臨のとき高間にいました。そのとき、あなたは、使徒たちが聖霊によって聖化されるという最初の仕事を支えていました。御母よ、あなたは胎に宿った瞬間から、すべての恩恵と聖霊で満たされ、さらに恩恵の作り手である神の御言葉を宿し、恩寵で満ち満ちていました。そのあなたは、聖霊降臨の日に、聖霊で満ちていませんでしたか?あなたを褒めたたえます!あなたは全ての恩恵の管理人であり分配者です。聖ベルナルドは言います。「もし私たちが恩恵を必要とするなら、マリアを通してそれを求めなさい。彼女は聖霊の最愛の花嫁です。忠実で汚れのない花嫁が、やさしく気前のよい花婿にどうして力を持たないことがあるだろうか?」。私は、聖霊の花嫁であり、最もやさしい私の御母であるあなたに、私に不足している全ての恩恵を求めます。私の魂は、自分の救いに価値のない高慢・うぬぼれ・世間の知識で一杯です。私は、とても貧しく醜い者であり、神のために真の愛を持っていません。しかし、あなたは美しい愛の御母、憐れみの泉です。今日あなたは、この聖体拝領であなたの御子イエスとあなたの天の花婿からその愛を私に獲得させるでしょう。あなたは、私の魂が風にゆれる葦に似て常に不安定で、常に苦難によって揺れ、わずかな敵の誘惑ですぐに倒れるのを見ます。あなたは無数の盾がかかっているダビデの塔であり、あなたが守る人は必ず救われます。ですから、私を守り、剛毅の賜物を獲得させてください。よこしまな欲望で曇った私の知性は、この世界の嵐の海のなかで、信頼できる相談者、天の光により案内される必要があります。あなたは私の魂の誠実な支援者・相談者・海の星です。ああ、お願いだから、知恵の徳をあなたの花婿から取り次いでください。あなたは、全ての知恵で照らされています。私は、あなたのもとで悪徳と戦いたいと思います。しかし私は、自分を苦しめることをすぐに悲しみ、嫌悪します。御母よ、憐れんでください。剛毅の賜物と知恵の賜物を私に引き寄せてください。主だけが、私の甘美であり、楽しみであるようにしてください。御父の娘、御子の母、聖霊の花嫁よ、全てのことを、あなたを通して願います。そして主イエスよ、あなたは私のところに来たとき、私の邪悪に目を閉じました。この地上であなたにとって、すべてにおいてあなたに満足を与える住まいは、聖霊の賜物と美徳で満ち満ちている聖母の御心だけです。そして今日、私は彼女の手からあなたを頂きます。慈しみと愛である聖霊よ、私の罪の鎖を壊し、私の魂を浄化し、私の心を燃やしてください。私は、あなたに、高間に集まった聖母と使徒たち、そしてすべての聖人たちとともに、全ての祈りを捧げます。彼らの祈りを歓迎したあなたは、現在、貧しい私の祈りを快く聞いてくれます。おお、聖なる使徒よ、私とあなたたちのイエスを、最もふさわしく迎えるために、あなたたちの信仰、あなたたちの熱い願望を貸してください。アーメン。(あなたが欲する恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り)空と大地、天使と聖人、造られたもの全てよ、主を称えてください。今、無限に偉大で、拝むべきお方は、無限に貧しく下劣な私のところに降ってくれました。今、主は、私の中にいます。全てのものを造り、無限の神は、今、私を完全に占領しています!おお、マリア、あなたの祈りで私を強くし、あなたの感謝で補い、あなたの賛歌の声を貸してください。今あなたと共に言います。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1・46、47)。全ての恩恵で豊かな聖霊の花嫁よ、忠実な花嫁に最も力のある花婿は、あなたの求める恩恵を否定することができますか?神の霊・全能の神・父と子の愛である聖霊を、心をつくして崇め、愛します。慈しみ深い神よ、私の貧しい霊魂に生気を与える聖霊と共にあなたの恩恵を与えてください。来てください、きらめく火の舌とともに、私に聖人の話した言葉を教えてください。来てください、言いようもない光とともに、私を照らし、あなたの火で清め、心を燃やし、熱烈なあなたの愛を与えてください。渇き、不毛な私の魂を、生ける泉に浸し、酔わせてください。真理の霊よ、あなたなしで誤りの中にいます。愛の霊よ、あなたなしでは全てが冷淡です。生ける霊よ、あなたなしで私は死んでいます。聖なる火、比類のない清さ、あなたの炎で、私のすべての欠点を壊してください。よき神よ、あなたの霊の実を与えてください。私の荒々しさを破壊するために柔和を、悪から善に戻るために良い心を、平和を手に入れあなたを愛するために忍耐を、私が純真で全てにおいて慈善心に富むために善を、隣人を教え導くために謙虚さを、五感と欲望を抑え、あなたの目に清くあるために、節制と純潔を与えてください。これらの美徳を、聖霊よ、あなたは与えることが出来ます。「神よ、私のうちに清い心を創造し、新しく、確かな霊を授けてください」。私は罪を悔いた王とともに続けます。「御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください」(詩編51、12~14)。「わたしの心があなたの掟に照らして、無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう」(詩編119・80)。そして、使徒聖パウロとともに「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ローマ8・35)と叫ぶことができるように、聖霊よ、あなたと一つになることができる愛を与えてください。怒ることなく、相手を軽蔑することなく、復讐する心もなく、穏やかに甘美な笑顔で、不屈の心で、イエスに命を与えた聖なる使徒そして聖なる殉教者、乙女と童貞、そして反抗的な肉と五感に対しての戦いの勝利者である聖人と聖なる乙女よ、私が欲望に打ち勝ち、あなたたちと一緒に、御父に、御子に、聖霊に永遠の栄誉を与えるために、あなたのたちの信仰、愛、熱意、純潔、剛毅が得られるように祈ってください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る) 

栄えの玄義4 聖母被昇天

①愛する人よ、マリアにこの世から神の国に移る時間が来たことを考えましょう。多くの苦しみのあと、彼女も永遠の喜びに入ることになります。御子の昇天のあと、彼女は福音史家聖ヨハネとともにエルサレム、エフェソに住みました。彼女は、神の掟を完全に果たし、絶え間なく黙想し、祈り、全ての美徳(特に対神愛、隣人愛)を完全に行います。しばしば御母は、御子によって聖別された場所を訪問しました。そのとき彼女は幸福に満たされ、愛と希望のなかで歓喜します。この瞬間、彼女は最高の善である神と永遠に結びつくことを望みます。愛する人よ、あなたは、どうしてこの地上の惨めさに縛られているのか?どうして至福の祖国を熱望しないのか?この世はあなたに何を与えるのか?この涙の谷で何があなたを魅了するのか? 御母のように、この世から離れ、永遠に対する願望を得られるように、彼女に祈りなさい。ヨハネは、聖母が最後の時が来たことを彼女から聞くと、主の昇天のときにシオン山に集まったようにたくさんの弟子が駆けつけることを予想しました。それでヨハネは彼女の最後のときに、使徒たちが彼女に愛情を示し最後の話を聞くために、御母がどうしたいのかを、彼女の願いに身を委ねました。ところが、神の御心によって、福音宣教のため世界に散らばっていた聖なる使徒たちをすぐに見つけました。全ては慈悲深い御母、力ある保護者、先生の別れを泣きました。祝福された乙女は援助と執り成しを約束し、最も甘美な愛で全てを慰めました。あなたもまた、聖なる使徒たちがしたように、この最も憐れみ深い女主人に近づき、あなたの望みを彼女に示し、助けてもらうように祈りなさい。そしてその祈りは必ず聞き入れることを疑うことなく信じなさい。もしあなたが、神に対しての愛の行い、そして隣人愛、すべての霊魂の救いを御母に願い、祈るならば、彼女は、あなたに常に好意的であることを確信しなさい。おお優しい母、私もまたあなたの幸福な死に立ち会えたのなら!私はあなたの足元にひれ伏し、あなたの保護を願ったことでしょう。しかしその時、この幸運を私は持っていなかったので、今あなたの王座の前にひれ伏し、栄光に満ちたあなたに身を委ねます。憐れみによって、私の苦い死のときに、会いにきてください。そしてあなたの死とあなたの勝利を崇拝するこの時間を愛することで、私の永遠を決める恐ろしい死のとき、私を助けてください。

②マリアの死の時がくるまえに、彼女の息子であり神である主が、セフィラムの巨大な集団とともに天国から降りてきて側にいたことを考えましょう。天使たちが「恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる」(雅歌2・10、11)と歌っていることを考えなさい。彼女は私への愛のためにたくさん苦しんだ後、今、この涙の谷を出るところです。全ての天使は、美しいマリアの姿に歓喜しました。そして聖母は神の御子イエスに喜び、そして言います。「主のはしためを見てください。私の中で神の言葉は新たに成就します。あなたの手に、御子よ、私の霊魂を捧げます。(ルカ1・38、ルカ23・26)あなたに似せてつくられ、罪から守ったこの魂を、あなたとともに受け入れてください」。この直後に御母は、目を閉じられ、息が絶えられました。愛する人よ、すでに天に出発しているマリアを見なさい。そこにいた全てのものは振り向き、マリアは母親らしい祝福を彼らに与えます。あなたもまた彼女の足元に近づき、恩恵を願いなさい。私の母よ、私は、あなたの無限の栄光を心から喜びます。おお、マリアよ、あなたは、生涯、神を愛し、称えること以外のことをしませんでした。ですから、あなたが、このように神から無限に愛され、称えられるのはとてもふさわしいことです。しかし、あなたの地上からの出発は、絶望的な孤児たちを残すという母の最期の思い出でもあります。私の惨めさを憐れみ、イエス・キリストに私を推薦してください。あなたの一つの視線、一つの推薦、一つの祈りは、全ての恩恵を私に獲得させるために十分です。私の死すべき人生を憐れみ、そして私の死のときに私を忘れないでください。死の苦しいときに助けに来てください。愛する人よ、もしあなたが死のときにマリアに近くにいてもらうことを望むならば、人生において、マリアを愛し、マリアの忠実な子供でいなさい。そしてもしあなたが、死のときにイエスが立ち会ってくれることを願むなら、あなたの心はイエスと離れることはないでしょう。もし人生でイエスとマリアを愛したのなら、おお何という幸せ! もしイエスとマリアの腕の中で死んだのなら、おお何という至福か!私の神よ、私はあなた以外を愛さないし、あなた以外のことを考えません。マリアよ、私は、私にとって恐ろしい死の瞬間をあなたにゆだねます。

主は、ご自身のときのように自分の力によってではなく、神の力によって彼女が天に昇ることを望まれました。御母は御子の手引きのもと神の国に入ります。それを見た天使たちは、讃美歌のメロディーによって皆に知らせました。天使たちは称えます。「永遠のドアよ、開いてください。栄光の王が入ります。そして彼の最愛の人であり、私たちの女王が彼と共に来ます」(詩編24・9参)。別の者たちは言います。「曙のように姿を現すおとめは誰か。彼女は満月のように美しく、太陽のように輝いています」(雅歌6・10参)、「荒れ野から上って来るおとめは誰か。煙の柱が近づいて来るかのよう。それは隊商のもたらすさまざまな香料、ミルラや乳香をたく煙」(雅歌3・6)。聖母は、全く美しく、天使たちの賛美となります。聖母は原罪を免れ、どんな小さい罪でさえ犯すことがなかったので、罪の影により美しさを失うことはありませんでした。神は、聖母に善を前もって行われました。それは、神の母になるという特権と無原罪の御宿りという特権です。その結果、彼女はアダムの血を宿した状態でしたが、全く罪がなく、全てが清く、そして乙女のままで母となりました。このことは他の被造物には許されていません。ええ、それゆえ、主イエスの次に、霊だけでなく体も天に上げられることは正しいことでした。

③光は太陽と分けることができませんでした。光は、恩寵が豊かなマリアの魂でした。そして太陽は汚れのないマリアの御体でした。そこから聖霊は御言葉の人性を形成しました。教会は選ばれた乙女を太陽のようであると言います。なぜなら全ての被造物の上の特権をもつからです。日没の太陽が金色の光を残すように、マリアの死の旅の夕日は全ての徳、特に四つの清さの光を私たちに残します。一つ目は体の清さです。その状態で、彼女は神の母になりました。二つ目は心の清さです。それによって、彼女は魂の最も純潔な愛のなか聖霊の喜びとなりました。三つ目は信仰の清さです。それは神のなかで汚れなく生き生きと保っています。四つ目は望みの清さです。それによって、彼女は全てを神に狙いを向け、忠実な婢(はしため)として神の手からすべてを受けます。彼女は、貞潔と呼ばれる体の清さだけではなく、どんな悪徳でも排除するという心の清さを持ちます。彼女のことを詩編で歌います。「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、心には真実の言葉があり正しいことを行う人」(詩編15、1、2)。「どのような人が、主の山に上り聖所に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し救いの神は恵みをお与えになる」(詩編24、3、4)。マリアは全てにおいて汚れがなく、誕生した瞬間から天使たちよりも優れていました。そして神は、その瞬間から19世紀後に無原罪の御宿りと聖母被昇天の教義が定められる時を見ていました。おお、無原罪の母、乙女マリアよ、私は十分な言葉であなたを称えることはできません。それで教会とともに叫びます。おお、最も甘美な貴婦人、あなたは地上から去り、天国で女王の任につきます。私はあなたの天の女王という、とても高い栄光と名誉を喜びます。しかし、あなたがそれほど高い地位を与えられたのは、私たち罪人のためであることを、あなたはよく知っています。したがって、あなたの憐れみは失われることなく、さらに大きくなります。マリアよ、あなたが支配している偉大な玉座からあなたの憐れみの目を向けてださい。そして私を見て、助けてください。人生の終わりまでに、私が出会わないといけない多くの危険を見てください。あなたの至福の死の功徳によって、恩恵の状態でこの人生から出るために、体の清さ、心の清さ、信仰の清さ、望みの清さとともに完全な愛を取り次いでください。そして主の日に、あなたと同じように私の体もまた栄光に復活することができますように。そしてその後、至福の霊たちとともにあなたを称えて、あなたの栄光を歌い、天国であなたの足にひれ伏しに行けますように。アーメン。

(聖体拝領前の祈り)イエスよ、あなたを胎内に迎えるのに値し、そして死すべき巡礼の終わりにあなたが称えるために天国から降りてくることに値した御母の信仰と清さを、誰が私に与えますか? 主よ、最も清い乙女の胎内にお宿りになったあなたを称えます。そして欲望と悪徳の中心である私のうちに、あなたを迎えいれます。 主よ、私は百人隊長と言います。「主よ、わたしはあなたを自分の心にお迎えできるような者ではありません。ただ、一言おっしゃってください。そうすれば、わたしの心はいやされます」(参マタイ8・7~10)。ここで、私は、あなたの前で、あなたを苦しめる私の汚れを洗うために聖なる悔悛の涙を頂きたいのです。おお、聖母の出発を泣いた使徒よ、あなたたちの涙を貸してください。そして私が神から離れて、この最高の恩人に対するひどい忘恩を私とともに泣いてください。おお、美しい愛の母よ、あなただけが、この神の愛の火で燃えることはありません。ですから、あなたの心に燃えている火で、私も燃やしてください。主イエスよ、私はあなたを愛します。そして私の望みは、あなたの愛によって使い果されることです。あなたはそれを望み、そして与えることが出来ます。主よ、あなたが望むことをできるように、その力をお与えてください。おお、マリア、罪の贖い主の御母よ、天国の道、扉、そして海の星よ、罪で倒れたこの魂を助けてください。創造主を生み、全ての天使の上にいる乙女よ、この罪人を憐れんでください。あなたは最も美しく、原罪の汚れはありません。したがって、この地上においてでさえ、あなたは天国にいる全ての天使そして最も高いセラフィムを上回り、最も完全に達していました。御母よ、あなたの肉である肉、あなたの血である血を呈している神の御言葉と全く同じであるご聖体をふさわしく受けるために、あなたの清さを貸してください。それどころか、私の母よ、あなたの最大の清さと謙遜とともに彼を受けるために、司祭の手を通して渡されるとき、あなたの手を通してイエスを受けさせてください。そして栄光の被昇天の日に天の女王を祝うために集まった天国の天使たちと聖人たちよ、マリアが、彼女の御父、彼女の御子、彼女の花婿に会いに行く、この幸せな瞬間に、私に付き添ってください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り)
ちりの中で衰弱した私は天使たちと聖人たちとともに、イエスよ、あなたを崇めます。イエス・キリストよ、あなたは唯一の主であり、神です。全ての権限とともにパンの外観のしたに隠されている神であるあなたを崇拝します。あなたは、このホスチアとともに私の魂を聖なるものにします。イエスの知恵、私の知恵を清めてください。イエスの意志、私の意志を清めてください。イエスの記憶、罪の記憶を清めてください。最大の敬意に値するイエスの御体、あなたの汚れのない御肉で、罪で汚れた私の体を清めてください。イエスの最も清い感覚よ、私の感覚を清めてください。イエスの慎ましい目よ、私の目を清めてください。イエスの最も清い言葉よ、不潔な私の言葉を清めてください。イエスの御耳よ、常に世界のニュースを捜している私の耳を清めてください。イエスの御手よ、あなたの純潔を与えてください。イエスの最も貴重な御血よ、私の全ての罪の汚れを洗い、喜びで私を酔わせ、あなたの聖なる愛で私を夢中にさせてください。イエスの、御脇腹から流れた御水よ、私を洗ってください。おお、イエスの最も敬意に値する苦しみよ、私に勇気を与えてください。おお、イエスの燃える御心よ、私を愛で燃やしてください。あなたの望むことへの従順、罪への憎悪、自分に対する嫌悪、死ぬまで常にあなたにおいて喜ぶ恩恵を私の心に刻んでください。おおイエス、あなたの母の栄光に満ちた被昇天を記念するこの日に、私の信仰を蘇らせてください。私が地上にあるもの全てのものを軽蔑し、天国であなたに再開する希望で私を奮い立たせてください。どんなに私は非難に値し、私の惨めさはどんなに痛々しいことか! 私は、私の傷、私の弱さの天の医者であるあなたを見つけます。罪の原則は、私の中で生き、あなたの意志に抵抗します。私は、信仰によって、あなたが教えることを全て信じます。しかし、その後私は肉の欲望に負けます。世間の全ては、虚栄、高慢と偽りであることを知っています。そして私はそれに続きます。無秩序な傾向が私に迫り、私はそれに引きずられるままです。あなたの掟は私の義務です。そして私の日頃の習慣は私に暴力を加えます。あなたが私に要求するもの、そしてこれまで私が好きだった全ては、私の心を引き裂きます。その結果、私は自分を捨てることができていません。おお、平和の王子、神の解放者よ、この内部の戦いを静め、この苦悩から解放してください。「どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしは、あなたに感謝の生贄をささげます」(詩編116・16、17) 。おお、マリアよ、あなたは現在、天国で御子の右に座ります。そして永遠にそれを所有しています。私もまた、今この瞬間に、主を所有しています。しかし、この後永遠に、主を所有することができますか?あなたは全ての美徳の模範です、そして私は全ての悪徳の巣窟です。あなたは福音書にある御子の全ての教えを厳密に守りました。そして私は守っていません。「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」。そして私は地上の快適なものと富をとても好み、それらで心を満たします!「柔和な人々は幸いである。その人たちは地をうけつぐ」。そして私は、隣人にも憎しみをもたらすほど、きつく、短気で、高慢です。「悲しむ人々は幸いである。その人たちはなぐさめられる」。そして私は慰めることのできる地上の楽しみを常に探します。「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る」。そして私は御子以外を見て、清くありません(参照マタイ5・3~8)。御母よ、栄光に満ちたあなたの御体が天国に昇天した理由があります。あなたは、全く清く、全て純潔で、全く罪はありませんでした。私の体は、そのような栄光の状態で復活しますか? 憐れみの女王、あなたは海の星ばかりでなく、偉大な神の母であり、乙女なかの乙女、天国の門、罪人の弁護者です!おお、マリア!おお、マリア!最も賢明な乙女、強力な女主人、あなたの名前は私の救いです。もしあなたが望むなら私を救うことが出来ます。従って、あなたが母であることを示してください。そして、とるに足らないものを抱きしめ執着しているこの魂を、これらの束縛から解放してください。私の盲目の魂の光となり、悪を追い払い、そして善を引き寄せてください。おお、全ての中で最も甘美な乙女よ、私を罪から解放し、従順で純潔になるように祈ってください。常に純粋な信仰、常に高潔な望み、汚れのない良心、常に清純な心で、清い生活に導き、人生において敵の罠から安全である小道を与えてください。そして私の死の時に、あなたが人生の最後のときにイエスから迎えられたように、私が最も清いあなたの案内によってイエスに会うようにしてください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る) 

栄えの玄義5 天の元后、マリア

① 被昇天において、聖母に与えられた栄誉、天使たちの敬意、御子の喜びは、言葉で十分に説明できないほど大きいものでした。主イエスのご昇天の後、天国にいる天使や聖人たちは、聖母が天国に来ることを熱望していました。そして被昇天において、天の市民の望みはかなえられます。神は、聖母が天国に入るときに盛大に祝うことを望まれました。聖ベルナルドは言います。「主ご自身が天国のすべての従者とともに彼女に会いに来ました。これによって、聖母の被昇天は、彼自身の昇天よりも盛大でした」。 

マリアは、迎えに来た皆と一緒に地上から離れ、天に昇り、三位一体の王座に着きます。美しく栄光に満ちた彼女を見た至福の霊たちは尋ねます。「暁のように広がり、月のように美しく、太陽のように輝き、軍勢のように恐るべきもの、それはだれか?」(雅歌6・10)、「煙の柱のように、没薬や乳香や、異国の香料がけぶるように、荒野から上がるものはだれだろう?」(雅歌3・6)。同行する天使たちは答えます。「この方は、私たちの王の母であり、私たちの女王です。彼女は神に最も愛され、女の中で祝別され、恩恵にあふれ、罪がなく純潔な方です。そして全被造物の中で最も聖であり、最も美しく清い方です」。それを聞いた至福の霊たちは賛美します。「あなたはエルサレムの栄光、イスラエルの大いなる誉れ、我らの民の偉大なる誇り」(ユデット記15・9)。地上で乙女マリアの胎内が、御子に最もふさわしい神殿であったように、天国で彼女は御子から女王にふさわしい最も高い王座を与えられました。彼女は御子の右に座を与えられ、イエスの母として、聖霊の配偶者として、贖いの協力者として、そして天と地の女王として、神ご自身の支配に彼女を参加させるため、全人類と全天使より上に置かれます。おお、栄光に満ちた乙女よ、あなたが御子の右に座り、天と地の女王につかれます。私は、あなたが持つ大きい栄光を称えます。天と地の女王よ、私は、あなたの御子と真の教会を信じ、あなたを自分の母、女王として認めます。そして、愛情あふれる母であり、力に満ちた女王であるあなたが、神の近くにいることは、私に力と喜びを与えます。

②三位一体である神は、マリアに最も高価な冠を授けます。永遠の御父は、イエス・キリストの次に天国、地上、地獄の全ての被造物に対しての統治権を授けるために彼女の頭に権力の冠をのせます。それで闇の下にある霊魂たちは彼女の名前に震えます。彼女に詩編の言葉を用いることが出来ます。「栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるようにその足もとに置かれました」(詩編8・6、7)。 御子は、天使そして御血で買い戻された人類の女王として知恵の冠をかぶせ、その実の全てを彼女の手の中に置きます。そして憐れみの女王として、神の憐れみの鍵を彼女に預けます。聖霊は、美しい愛の母として、神への愛だけではなく隣人への熱烈な愛を彼女に注ぎながら、隣人の救いの燃える熱意とともに愛の王冠をのせます。全ての天使と聖人たちの驚きと称賛になっている彼女を見なさい。さらにその乙女は純潔、殉教、学者の知恵とともに戴冠しました。なぜなら彼女は乙女の中の乙女であり、神の御子の愛の殉教者であり、信仰の神秘を教える私たちの先生だからです。最後にこの貴婦人は、「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(ヨハネ黙12・1)とヨハネの黙示録で言われている十二の星の王冠を戴冠されました。その十二の星は、天国にいるすべての聖人たちの徳を表します。父祖の信仰と希望、預言者の希望と観想、使徒の熱意と愛、殉教者の剛毅と寛大、聖人の忍耐と償い、教会博士の知恵と思慮深さ、聖職者の神聖さと清さ、隠者の孤独と祈り、修道士の清貧と従順、乙女の愛と清さ、やもめの謙遜と忍耐、そして結婚した聖人の誠実と一致、これら全ての徳は、彼女の中で最高に輝きます。その戴冠が終わると、至聖三位一体の神は、すべての天使たちと聖人たちの前で、彼女が女王であると宣言します。それを聞いたすべては、彼女を褒め称えます。そのとき、至福の賛歌のメロディーが鳴り響きます。偉大な乙女は御子の右に座わり、そして地上の私たちにも話しかけます。「主は、はしための謙遜を見ます。そして彼は、私のなかにある恩恵の豊かさを喜んでいます。ですから涙と苦しみの谷で抑圧され苦しんでいるあなたたちの全て、私のところに来てください。私はあなたたちを慰めます。なぜなら、神は私をあなたたちの喜びの原因としているからです」。ええ、最愛の母よ、あなたの招待にむかう私を見て下さい。しかし、私は私の罪の重さに圧迫され、罪の鎖にしばられ抜けられません。女王よ、私をつないでいるこの鎖を解いてください。おお、天国に昇り、至福の栄光の魂と体で支配している母よ、私はあなたを信じ、あなたを崇め、あなたを愛します。おお、マリア、夜の暗闇の中に埋葬されたように、横たわっている私の精神を照らす光を送ってください。美徳、熱意で、この生ぬるい心に火をつけるために、あなたの熱烈な愛の光線で貫いてください。神の母よ、暗闇の中でこの私の魂が死ぬことを許さないでください。私は犯した罪によって全ての不幸と罰に値します。イエスと私の間にあなたの功徳を置くことで、あなたの善は、私が当然受けるべき罰を遠ざけ、失われた好意を私に手に入れさせます。

③この女王に、アダムとエバ、父祖のノア、アブラハム、ヤコブ、それから、彼女の親類エリザベト、ザカリア、洗礼者ヨハネ、彼女の愛する親ヨキアムとアンナ、最も貞節な配偶者ヨセフが来ます。そして殉教者と聖人たち、預言者と全ての聖なる乙女、天国の全ての聖なる人が挨拶をしに来ます。「彼女を見ておとめたちは祝福し、王妃も側女も彼女をたたえる」(雅歌6・9)。愛する人よ、このときの大きな喜びと慰めを見なさい。そして、誰がこれら全ての喜びや慰めの言葉を説明することができますか?愛する人よ、あなたもまたこの至福の集団の仲間になりなさい。そして、彼らの声に合わせなさい。「アベマリア、天の女王、アベマリア、天使の女主人、救いの門と源、あなたは世界に光をもたらします。お喜びください、栄光に満ちた乙女、すべての女性の中で最も美しい方」。もし、私たちがマリアの被昇天と戴冠について黙想しないならば、神が愛している人々にマリアと同じように天国を準備していることを理解することは難しい。そして、私たちが理解しないなら、いったい誰が、神に愛された者たちに与えられる栄光に達することができるだろうか?私たちが天国に行くために、マリアの被昇天と戴冠における栄光と、すべての天使、すべての聖人の栄光、そして地上でマリアに従った人々の天国での栄光を、私たちが黙想することを、マリアは好みます。なぜなら、それらの黙想は、天国に行くために聖人たちが行っていたことに対して、私たちを駆り立てるからです。それゆえ、聖母が、あなたが美徳の道を歩み続けるために、この黙想を行なうことは、彼女が天国からあなたを招いていると考えなさい。あなたがその招きに答えるならば、偉大な母はその至福の王国の中に御自身とともに常にあなたを所有するでしょう。それゆえ天国に目を向け、あなたのように弱く、あなたのように誘惑され、主の恩恵とマリアのとりなしで永遠の至福に達した、あなたの励ましと慰めになる多くの聖人たちを見なさい。そして永遠にイエスとマリアとともに生きそして君臨するという無限の利益に到達できる全てのことを何も省略しないようにしなさい。あなたが美徳に欠如しているならば、彼女の栄光にみちた勝利のこの日のマリアにそれらを頼んでください。とりわけ救霊の確かな保証金である「絶えず祈る」という恩恵を求めてください。聖アルファンソが繰り返し言った。「マリアに粘り強く祈るものは誰でも(特にロザリオにおいて)最終堅忍を獲得するであろう」。また、同じように聖アウグスティヌスが教えます。「最終堅忍は、自ら獲得するものではなく、たゆまぬ根気強い祈りの褒美として吹き込まれる贈りものです」。この二人が言ったことを覚えてください。そしてマリアが、私たちのために御子に向ける祈りの効果はどのくらい大きいですか?おお、最も栄光に満ちた貴婦人よ、あなたの王座の足元にひれ伏し、私は、あなたをこの涙の谷から崇めます。今すでに、あなたは惨めな僕である私を忘れることなく、天と地の女王の任についています。そしてあなたは恩恵の根源に最も近くにいるので、私たちにたくさんの恩恵を与えることが出来ます。天国からあなたは私の惨めさがよりよくわかります。したがってあなたは私を憐れむことができます。天国であなたを賛美しに行くことができるために、この地上で私をあなたの忠実な僕にしてください。私が全世界の女王であるあなたを黙想する今日、私はあなたに自分を捧げます。私をあなたの子として受け入れ、慰めてください。あなたは私の母です。そして母として、あなたは私を救うに違いありません。御母よ、毎日、ロザリオを祈る恩恵を与えてください。そして最終堅忍を獲得させてください。神のうちに喜び、神とともに喜ぶという比類ない栄光と天上の至福のために、至福の霊魂たちと天国の全ての聖人たちと一緒に私は祝います。私もまた同じ栄光に定められています。しかし私はあなたたちの美徳に達することはできません。それゆえ天使、父祖、預言者、使徒、殉教者、信仰を守りぬいたもの、乙女、隠遁者、全ての聖人よ、彼女の執り成しで、永遠にあなたたちとともに神を見つめて、神を賛美し、彼女とともに永遠に神を祝福することができるように、あなたたちの女王に祈ってください。アーメン。

(聖体拝領前の祈り)主イエスよ、私の忘恩を誰が測ることができますか?なんと多くの回数、私はあなたを捨てたことか!私はあなたを捨て、あなたから逃げたにもかかわらず、あなたは、常に愛の甘美な鎖で私を引止め、私のみじめさに服をきせ、私に糧を与えるためにパンにかわり、あなた自身の栄光を私に分け与えます。無限の優しさ!罪人である私は、かつてこの地上で私のような罪人であった全ての聖人とともにあなたの足元にひれ伏して赦しを求めます。「あなたを愛することを望み、あなたを愛します」と私はくり返し、今から生活を改めます。「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを探し求め、わたしの魂はあなたを渇き求めます」(詩編63・2)。このように、私の肉はあなたに渇きます。最高の道はあなたの憐れみなので、道がなく、水もない、人気のない土地で、私は、あなたに自分を差し出しました。そして、主キリストよ、私はあなたに降参するでしょう。私は、あなたの影に歓喜し、あなたの後ろについて行くことを望みます。のどの渇いた鹿が生ける水の泉を求めるように、私の魂は神であるあなたを強く望みます。主よ、今日、あなたの力を示し、救いに来てください。私の心はあなたを受ける準備できています。ですから、遅れることなく来てください。女の中で祝福を受けた方よ、私たちはあなたの香りにかけつけます。なぜならあなたの仲介によって、私たちは生命の実を得ることができるからです。聖母よ、ご聖体の近くにいる私をみてください。そしてあなたは、平和と愛の聖なるホスチアで、無限の愛であり私の喜びである御心を私に与えるでしょう。私たちの女王よ、全てのものは、あなたを賛美し、喜び祝います。なぜならあなたは人類と地獄の上に力があり、あなたの御手は、みじめなエバの子供にたくさんの憐れみを注ぐからです。あなたの王座の奴隷としてつながれている私の魂を見てください。私の魂は、あなたとあなたの神の息子の愛が一杯になるまで休まないでしょう。しかし、私はイエスを歓迎するのにふさわしくないので、今、この愛を私にください。崇高な貴婦人の命である至福の天の集団、全ての位階の天使たち、そして特に天使の王子ミカエル、神の力ガブリエル、神の癒しラファエル、神に祈り賛美する天使たち、天の恵みを運ぶ天使たち、常に神の王座の前で見守り、マリアの勝利と戴冠を称えた選ばれた霊たちよ、全能の神が最も哀れな被造物にまで身をかがめる愛の勝利であるこの瞬間に立ち会ってください。守護の天使、聖ヨセフ、私の名前の聖人と私を守護する聖人、この日、イエスとマリアから私が期待する全ての恩恵の印として、いただく御聖体に近づく間、私に付き添ってください。私が、あなたたちと一緒に彼女を褒めたたえるために、あなたたち全てが私を最後の苦しみに付き添い、最も栄光に満ちたあなたたちの女王の王座の足元にあなたたち全てが私を示すまで、祈ってください。アーメン。(ここであなたが求める恩恵を祈る)

(聖体拝領後の祈り)私の神よ、あなたを所有することは何と豊かなことか!おお天よ、地よ、全ての創られたものよ!ここで、私とともにあなたたちの神を崇拝しましょう。そして、この無限の愛の働きを賛美しましょう。無限で巨大な、全てに存在する方は、私の貧しい心にいらっしゃいます。天使よ、私はあなたたちの運命をうらやましいとは思いません。私は神-人の関係であり、あなたたちは神-天使の関係であり、私は、あなたたちが持たない全てをもっているからです。それゆえ私のなかにいる、友であり、人類の仲間であり、みじめさの慰めであり、あなたたちに幸せをもたらす方を、崇めてください。おお、愛である神よ、私を完全に所有してください。そしてその後、あなたが望む全てのことを私にしてください。あなたと共に、あなたのうちに、私が苦しもうとしないため、あらゆる苦しみの海に私を浸し、全ての種類の苦しみで私を鞭打ってください。愛である神よ、私の哀れな声を聞き入れてください。あなたは、私の魂が望む全てのことをあなたに求めることを望んでいるので、ここで、私が、全く私と知り合うことはなく、あなたのなかで私を見つけることができるように、あなたのなかで私を変えてください。おお、神のエルサレムよ、マリアに新しい賛歌を歌ってください。地上の全てのものよ、あなたの貴婦人に歌ってください。天よ、マリアに歌い、そして栄光に満ちた彼女の名前を称えてください。そして、マリアの同意によって人類に救いが入ってきたことを毎日告げてください。国民のなかにマリアの栄光を、全ての人にマリアの称賛を告げてください。なぜなら彼女に栄光と輝きがあり、彼女の王座には神聖さと並外れた美しさがあるからです。愛する人よ、マリアに、あなたたちの心、愛情と生活の全てを彼女に捧げなさい。それで天よ、称えてください。地よ、喜んでください。海よ、祝福と歓喜とともに波打ってください。田畑は歓喜し、そして全ての木々は狂喜するでしょう。なぜなら、ナザレの乙女、アダムの娘である乙女マリアは、天使の階級の上で褒めたたえられ、天上の婚姻を引き受け、国王の中の国王が星で飾られた王座に座るからです。主の天使よ、あなたたちの女王を賛美してください。おお天よ、あなたたちの門である人を賛美してください。太陽と月と天の星よ、太陽より気高く、海の星、朝星である月より美しい人を賛美してください。山と丘よ、シオンの住まいであり、エルサレムの宮殿でありレバノンの杉のように上がり、シオン山の糸杉のようにそびえている人を賛美してください。雨と露、火や熱、氷や雪、光と闇、海と川よ、湖の近くにある広場のスズカケの木みたいに彼女の保護の枝を広げ、またケードのヤシのように彼女の力の枝を広げている、この世界の女主人を称えてください。地の芽、豊かな植物、そして木よ、花よ、あなたたち全て、汚れのないエリコのバラのような、そしてかぐわしい香油と選ばれた没薬の匂いを発散するオリーブの実のような彼女を称えてください。あなたたちの女王の美しさを称えてください。そして、正しい魂、聖職者と地上の王、童貞たちと処女たちよ、マリアの名前を称えてくだい。なぜなら彼女は強く、彼女の栄光は天と地にわたり広まっているからです。喜んでください、聖人たちよ、栄光の中で、あなたの席を喜んでください(詩編109・5)。おお栄光の聖人たちよ、私たち全てが救われるように祈ってください。タンバリンとシターンの幸せなハーモニーによってマリアを称えてください。そしてサタンの手で地獄に値する、ずたずたに引き裂かれたこの魂も彼女の栄光に合流するために、彼女の王座にこの奴隷の魂を結び付けてください。おお、マリア、惨めなこの谷から、追放された私の魂は嘆く一方、私は、天に住んでいるあなたに目を上げます。見てください。「はしためが雇い主の手に目を向けるように、私はあなたに私の目を注ぎます。女王よ、女主人、そして私の母よ、あなたの憐れみを待ちます」(詩編123・2)。最も甘美な母よ、私を謙遜にさせ、地上から離れさせ、神の意志に従順になるよう取り次いでください。神への清い愛、良き死、天国が得られるように祈ってください。女主人よ、罪人を聖人に変えてください。たくさんの盲目者を照らし、そしてたくさんの死者を復活させる名誉を最もあなたに与えるこの奇跡を行ってください。あなたは、神の近くにいて、とても力があります。それは、あなたが恵みに満ち満ちていて神の母であると言うだけで十分です。どうして、あなたを否定することができますか?おお、最も美しい女王、私はこの地上であなたに会うことを望みません。しかし、私は天国であなたに会うことを望みます。あなたはその恵みを獲得させるにちがいありません。今、あなたの前に弱り果てている私を見て下さい。私はあなたを私の女王そして母として認めます。そして私に残っている全ての日、私の魂と体、愛情、私の感動、希望、私に待ち構える困難、不安、悩みをあなたに捧げます。そして、あなたに捧げたこの魂に大勝利をおさめさせてください。敵の攻撃から守り、遠ざけ、美しいマントの下で覆い、幸せな死と至福の永遠に導いてください。それで私は期待します。そしてそれはそのようになります。アーメン。(あなたが必要とする恩恵を祈る)

ポンペイのロザリオ 福者バルトロ・ロンゴ