コンソラータ「最も小さい愛の道」7~9章マニュアル案

■目次

神を完全に愛する

「愛の祈り」を絶え間なく祈ることは、神を完全に愛するための効果的方法である。

完全な愛とは、純粋な愛で、絶え間なく、神を愛することである。 

純粋な愛とは、自分のためではなく、神のためにのみ愛することである。

絶え間なくとは、生き生きとした、燃えるような愛を起こし続けることである。

神を完全に愛するために効果的な方法をイエズスをコンソラータにお教えになった。 

その方法とは、次の「愛の祈り」を絶え間なく祈ることである。 

イエズス、マリア、あなたを愛します!霊魂を救ってください!(愛の祈り) 

イエズスは、この愛の祈りをコンソラータに教え、絶え間なく祈るよう、願われた。 

この祈りの意味

  1. イエズスへの愛、マリアへの愛、霊魂への愛を表す。  
  2. 「あなたを愛することができますように」という願いの祈りにもなる。 
  3. 煉獄の霊魂を含む、すべての霊魂の救いを願う。  

この祈りを絶え間なく、愛を起こしながら祈ることで、神を完全に愛することができると、イエズスはコンソラータにお教えになる。

愛こそすべてである

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ私が、預言する力を持ち、あらゆる秘義とあらゆる知識に通じていても、また、山を移すほどの信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい。また、全財産を人に分け与えても、焼かれるためにわが身を引き渡しても、愛がなければ、私には何の益もない。 

1コリント13・1~3

あらゆるよいわざ──学問、信仰、施し、犠牲、殉教すらも、愛がなくては、無価値で、無に等しい。

つまり、ただ愛のみが重要で、すべてである。

イエズスを愛するなら、すべてをささげることになる

「私を愛しなさい。コンソラータ、私だけを愛しなさい! 愛はすべてだから、私を愛すれば、あなたは私にすべてを与えるのだ。」

「あなたが私を愛する時、私がその被造物から望むすべてをささげているのだ──愛を!」

愛の祈りは、常に、愛の心を起こしながらとなえる

「愛の心を起こす」とは、愛したいと望み、イエズスを霊的な目で見て、その目をそらすことなしに、イエズスに集中し、愛することである。

※「起こす」ここでは「ある感情や意などを心の中に生じさせる」の意味。

イエズスを愛することを強く望む

「愛したいと望む」コンソラータの例

私はあなた(イエズス)を今までだれもそれほど愛した者がなかったほど、またこれからもないほど愛したいのです。 (14章)

「私はすべての霊魂において、あなた(イエズス)を、完全に、絶え間なく愛したいと望んでいます。…無神論者であれ、異端者であれ、彼らすべての心のうちに、ただあなたの弱いコンソラータの心の愛のみをご覧になってください。」(14章)

*コンソラータは、イエズスを愛さない者に変わり、その人の分まで愛することを望んでいる。

イエズスから目をそらすことなしに、イエズスに集中する。


「たとえどんな理由があっても、私から目を離さないようにしなさい。そうすれば、永遠の岸にもっと早く着くだろう!」

「私はあなたに何を望んでいるか? それはほんの一瞬間も気をそらすことのない、絶え間なき一致です。人と会話しないといけない時でも、いつも私と一致していなさい。」

イエズスを愛することだけを考える

「私の心は、あなたの愛とともにあなたのあらゆる考えを渇望している。……私はあなたのすべて、最も小さいことまでよくしてあげるから、あなたの考えを全部私に向けなさい。」

「すべてのこと、すべての人を忘れ、ただ私をもっと愛することだけを考えなさい! この愛することだけに、考えとことばと心の慎みのあらゆる努力を集中しなさい。」

絶え間なく、愛の祈りをとなえる

どのような状態においても、絶え間なく、愛の祈りをとなえる 

愛の祈りは気分に関係なく、愛を少しも感じなくても、誘惑と戦っていても、苦しいとき、疲れているときでも、変わらず忠実に祈り続けなければならない。 

絶え間なく愛の祈りをとなえることは、本性に反する必死の努力を要するこの戦いは非常に激しい。

自分の弱さのために、愛の祈りをやめても、すぐに祈りを再び始める


「最高度まで奮励努力しなさい。ただひとつの愛の祈りもおろそかにしないと、断固として決心しなさい。愛の祈りがとぎれても勇気を落とさず、また新たな努力をもって戦闘を開始しなさい!」

仕事、義務で祈れない場合、その妨げにならない限り、愛の心を起こすことを続ける

「コンソラータ、私があなたの考えとことばの責任をとってきたように、愛の祈りにも責任をもってあげよう。あなたが私に他の祈りをする時も、書く時も、黙想している時も、愛の心は絶え間なく続いている。心はその時、ことばとして愛の祈りを唱えられなくても、祈り、働く時間を、絶え間ない愛の心の続きとみなしてあげよう。」

仕事、義務で祈れない場合でも、それらの許すかぎり愛の心を起こすことを続ければ、霊魂も仕事、義務に妨げられない。

祈り、黙想をしても、仕事、務めに励んでも、隣人愛、礼儀作法のため会話しても、精神を全部集中しなければならない仕事をしても、愛の心は、常に絶え間ないものである。

愛の祈りを妨げる三つの障害と戦う

無益な考えを退ける

イエズスを愛することを妨げる無益な考えは、イエズスとの一致を妨げる。

一つの無益な考えが、一つでも、心の中に入るのをゆるさない。

「私の心は、あなたの愛とともにあなたのあらゆる考えを渇望している。……私はあなたのすべて、最も小さいことまでよくしてあげるから、あなたの考えを全部私に向けなさい。」

イエズスが『最も小さい霊魂』のために、細かいことまですべて考えてくださると約束なさった瞬間から、どんな考えも不必要となる。

無益な話を退ける

無益な話については、必要、義務、隣人愛、礼儀作法によって、どうしても話さねばならない場合以外は、時間の損失となる。

あらゆる無益な言葉は、常に考えを散らし、イエズスとの一致を破る。 

沈黙を愛すること。 

不健全な興味を退ける

考えと言葉を抑制できない原因は、他人に対する興味から離脱していないことである。 

「コンソラータ、私への愛を妨げるものはなんだろうか?それは無益な考えと、他人の事柄に対する興味です」

他人の事柄に対する不健全な興味をすべて退け、イエズスを愛することだけに集中する。 

*これはお互いに全然かまわず助け合わないという意味でなく、まず第一に、神に対する完全な愛の道を歩まなければならないという意味である。 

すべてのことを多くの愛をもって行う

ある日コンソラータは黙想の時、聞いたことばに深く感動し、イエズスに尋ねた。「イエズスよ、もしある人が仕事に不熱心な時、非難されるなら、熱心に励んだなら祝福されるはずでしょうか。」

イエズスはお答えになります。「熱心に励むよりも、多くの愛をもってするように努力しなさい。あなたは働くにも、食べるにも、飲み、眠るにも、すべてのことを多くの愛をもってやりなさい。私は愛にかわいている。愛こそあらゆる仕事の中に私が求めているものである。」

「いや、コンソラータ、違う!私はあなたに大きなわざではなく、小さなわざを求めているのだ。でもその小さなわざを愛のかぎりを尽くしてささげなさい!」 

イエズスは、私たちの行いの成否よりも、その行いに添えられた愛を見られる

イエズスを、常に愛するものは、豊かな善徳を得る。

愛の祈りをとなえる霊魂に、イエズスは引き寄せられる。

イエズスは、その霊魂に、ご自身の善徳をお与えになる。

霊魂が、愛の祈りを、純粋な愛で、絶え間なくとなえるほど、イエズスはご自身の多くの善徳を、その霊魂にお与えになる。

霊魂が、愛の祈りのうちに、イエズス内に常に住み、イエズスとの一致に至るまでになると、イエズスご自身の善徳が、その霊魂のものとなる。

いろいろな善業のわざによって完全な愛に到達するのではなく、愛によって善徳のわざを行うことができるようになる。

「私はぶどうの木で、あなたたちは枝である。私がその人の内にいるように、私にとどまる人は多くの実を結ぶ。私がいないとあなたたちには何一つできないからである」。 

ヨハネ15・5

「豊かな実を結びたいと熱望するなら次のことをよく覚えておきなさい。聖福音のなかで私は『もしあなたが特別の苦業をすれば多くの実を結ぶだろう。』とは言わず、『もしあなたがわたしのうちにとどまるならば、多くの実を結ぶだろう。』と言っている。だからぶどうの木である私としっかり一致して離れないようにあらゆる努力をしなさい。ただひとつの考え、無益なことばで、『イエズスのみ!』という考えから離れてはならない。私があらゆることを考えてあげよう!」

愛の祈りを怠らないという十字架は、自己放棄に導き、また霊魂のために最も効果的なものである


「あなたの自己放棄のうえに私はすばらしいことを行なう。自己放棄にはどうしたら達しられるだろうか? 絶え間ない愛の祈りによって! 絶え間ない愛の祈りによってあなたのものは何もなくなり、すべてが私のもの、私のためだけのものとなる!」

「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りをひとつも怠らぬよう努力することは十字架である。だがこの十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。」

この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、すべての十字架の中で、この愛の十字架こそ私と霊魂のため、最も効果的なものである。」

愛の祈りを絶え間なくとなえることで、イエズスと共に、無数の霊魂を救うことができる 

愛は使徒職の最も効果的方法である

十字架上のイエズスが、過去、現在、未来にわたって、血のいけにえなるご苦難の無限の功徳によって、霊魂を救い続けたもう。

イエズスの恵みによって私たちは、救霊の協力者となるが、それもイエズスを愛し、イエズスと一致する度合いに比例して協力する。

イエズスに対する愛なしには、私たちの努力は全然価値も効果もない。

コンソラータは、神と霊魂に対する愛に燃えていたがために、イエズスとともに無数の霊魂を救うことができた。

純粋な愛の最も小さなひとつでも、神のみ前に、外部的なわざのすべて(例えば説教、苦業、教理の教授など)を足したよりも、教会と霊魂にとって効果的である。

愛は使徒職の最高位、かつ、最も効果的な方法であるかる。

したがって、コンソラータは絶え間ない愛によって、最も絶え間なく使徒職に尽くしたわけである。

「ただひとつの愛の祈りによってひとりの霊魂の永遠の救かりが決定されることをよく覚えなさい。ひとつひとつの愛の祈りが、ひとりひとりの霊魂の救いをきめるのだから、一度でも怠けて、『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください。』と祈ることを怠れば、良心の苛責を感ずるはずです。」

「少しも時をむだにしてはいけない! ひとつの愛の祈りがひとつの霊魂なのだから!」

愛が霊魂に犠牲を覚悟させる

救霊のために犠牲は非常に大切だが、愛こそ霊魂に犠牲を覚悟させる。

愛の祈りは犠牲と苦しみへの飢えかわきを増す最も効果的な手段である。

「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱えることにすベてを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きにすべて従う力を与えるのだ。」

愛が、苦しみを感謝と喜びをもって耐え忍ぶことへ導く

苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。

苦しみが愛へ導くのではなく、愛が、犠牲精神へ、苦しみを感謝と喜びをもって耐え忍ぶことへ導くのである。

そしてそのとうとい苦しみは、愛の増加の源となる。

「絶え間ない愛によって、きたるべき苦しみに備えなさい。愛することをもしやめたら災いなるかな!私はあなたを愛のいけにえとして選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」