2 典礼の源泉であり目的である御父

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、み心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたぢがたたえるためです」(エフェソ 3:6)。

祝福(賛美)とは御父を源とする神的働きで、いのちを与えるものです。神の祝福は、ことばとたまものとが一体となったもの(εύ よく-λογία いうことくエウ‐ロギア〉)です。人間が神を賛美する(祝福する)という表現は、感謝を込めて創造主を礼拝し帰依することを意味します。

時の始めから終わりに至るまで、すべての神のみわざは祝福なのです。最初の創造を述べる詩から天上のエルサレムで歌われる賛歌に至るまで、聖書記者たちは救いの計画を神の尽きることのない祝福として告げています。

創造の初めから、神はいのちある者、とくに男と女を祝福されました。ノアおよびすべての生き物と交わされた契約は、地を「のろわれたもの(悪くいわれたもの)」とした人間の罪にもかかわらず、繁殖の祝福を新たにします。そして、アブラハムに至って初めて、神の祝福は死に向かいつつあった人類の歴史に浸透し、これをいのちに、その源に戻らせることをはかり、この祝福を喜んで受け入れた「信じる者の父」であるアブラハムの信仰によって、救いの歴史が始まったのです。

神の祝福は、驚くべき救いをもたらす出来事に現れます。イサクの誕生、エジプト出国(過越と脱出)、約束の地の付与、ダビデの選び、神殿における神の臨在、清めの流謫と「わずかな残りの者」の帰国など。選ばれた民.の典礼を織り成す律法の書、預言書、および詩編は、このような神の祝福を想起させると同時に、それにこたえる賛美と感謝の祝福の祈りなのです。

教会の典礼の中で、神の祝福は全面的に明らかにされ、伝えられます。すなわち、御父は創造と救いのすべての祝福の泉ならびに目的として認められ、礼拝されます。わたしたちのために人となり、死んで復活されたみことばにおいて、御父はわたしたちを祝福で満たし、みことばによって、わたしたちの心にすべてのたまものの最高のもの、聖霊を注がれます。

こうして、御父がわたしたちに与えられる「霊的祝福」への信仰と愛の応答である、キリスト教典礼の次の二面が分かってきます。すなわち、一方では、教会はキリストに結ばれ、聖霊に動かされて、礼拝と賛美と感謝により、「ことばではいい尽くせない贈り物」(ニコリント9∙15)のゆえに神を祝福します。他方、教会は神の計画が完全に成就するまで、「神がお与えになった供え物」をたえず御父にささげ、その供え物の上に、教会の上に、信者たちとすべての人々の上に聖霊を遣わしてくださるよう懇願します。それは、祭司キリストの死と復活に一致することによって、また聖霊の力によって、この神の祝福が「神〔の〕輝かしい恵みをたたえる」(エフェソ1∙6)いのちの実を結ぶようになるためです。