3巻 8 神の御前に自分をいやしむ

「塵と灰に過ぎない私ではありますが、あえて主に語ります(創世記18・27)。もし私がそれ以上の者だと思うなら、あなたはすぐ、私に反対し、また私の罪事態もあきらかにそれを訴えて、弁解の余地はなくなります。むしろ、私が自らいやしめ、無を認め、自負心を捨て、元来そうであるように、あるかなきかの自尊心まで、私の無の淵にしずみ、永久になくなるでしょう。あなたは、私が何者であるか、何鋳物であったか、どうなるかを示して下さるでしょう。私は無に等しい者なのに、それに気づかないからです。もし私が、自分の力の限界内に取り残されるなら、私はさながら無であり、弱い者です。しかし、あなたが私を顧みて下さるなら、すぐ私は力づき、新しい喜びに満たされます。そうして私は、自分の重みでいつも低い方へひかれるのに、これほど早く引き上げられ、これほどやさしくあなたに抱かれたことに、驚くでしょう。それをしてくださるのは、私の功徳より早く私を支え、大きな危険から私を守り、実に数えきれない悪から、私を救い出して下さるあなたです。私は不幸にも、自分を愛して道に迷いました。しかしあなただけを求め、清い心をもって、あなたを愛することによって、私は、あなたと自分を同時に見出し、この愛のために、より深く自分の無を悟りました。ああ、やさしいイエスよ、あなたは、私の功徳より以上に、また私が望み求めうる以上に恵みを与えてくださいます。私の神よ、あなたは祝されますように。あなたは、恵みを受ける価値のない者にも、その寛容と、限りない慈悲を恵み、忘恩の徒や、あなたから離れ去った者にも恵みをくださいます。私たちを、あなたの方に向けさせてください。私たちを、感謝を知る者、謙虚な者、信仰ある者にしてください。私たちを救い、力づけ、強めるお方は、あなただからです。