3巻55  肉の堕落と神の恵みの結果  

「主なる神よ、私をあなたにかたどってつくられた神よ、救いに必要な偉大なものだと示されたその恵みをお与えください。罪と滅びに惹きつけるこの汚れた肉に勝つためです。私の肉体の中には、精神の法に反対し、感覚に服従させようとする罪の法(ローマ7・32)があるのです。私の心に注がれる至上の恵みに保護されなければ、私は肉の欲に抵抗できません。悪に傾く肉に勝つためには、あなたの恵み、偉大な恵みが必要です。人間の本性は、人祖アダムによって堕落し、以後罪によって汚され、その汚れの罰は全人類に染み込みました。こうして、あなたが、善いもの、汚れないものとしてつくられた人の本性は、悪となり、汚れた肉となりました。肉の欲をそのままにしておくなら、人間は、悪と俗世に引きつけられます。その火は、人間の理性ですが、それは深い霧に包まれています。それは善悪を区別でき、真と偽りを見分けることができますが、しかし、善と認めることを実行しきれず、真理に満ちた光もなく、心の愛情も健全ではなくなっています。ですから、神よ、私は、霊の人(ローマ7・22)に従うとき、あなたの法を喜び、あなたの掟が善であり、義であり、聖であることを知り、全ての悪と罪と避けねばならないことがわかります。しかし不幸にも私の肉体は、罪のほうに従い、理性よりも邪欲に引きずられます。悪よりも善を行いたいという意志はあっても、それを実行する力がないのです(ローマ7・18)。いろいろ善いことを行うと覚悟しても、弱さを助ける恵みがないので、最初の妨げに負けて退き、失望して倒れます。同様に私は、完徳の道を知り、行うべきことも知っていますが、堕落した肉の重さに押されて、完全なものに昇れません。ああ主よ、善を行い、すすめ、それを完成させるために、私にとってどれほど、神の恵みが必要でしょう。それがなければ、私には何事も出来ません(ヨハネ15・5)。だが神の恵みによって力づけられると、私には何でもできます。実に神の恵みこそ天のものです。それがなければ、私たちの功徳はなく、それがなければ自然のどんな賜物も無価値です。主よ、それがなければ、芸術も、富も、善も、強さも、才能も、雄弁も空しいものです。自然本来の賜物は、人の善悪にかかわらず、与えられますが、神の恵みは、選ばれた人々に与えられる特別な賜物です。神の恵みは寵愛のしるしであり、これをもてば、人間は永遠の生命に迎え入れられます。神の恵みは、まことにすぐれたもので、それなしには、預言の特能も、奇跡も、崇高な観想も、無価値に等しいのです。そればかりではなく、信徳も、望徳も、その他のあらゆる徳も、愛徳と恵みを伴わなければ、あなたに受け入れられません。心の貧しいものを徳に富ませ、財産あるものを心の貧しいものとする神の尊い恵みよ、私の心に下ってください。私の霊魂が疲れ、味気無さに倒れてしまわないように、あなたの慰めをもって、私を満たしてください。主よ、御前に受け入れられる者にしてください。私の肉が、他のどんな願いを拒けられたとしても、私には神の恵みだけで十分です(コリント後12・9)。誘惑され、患難にあっても、それさえあれば、私はどんな災いも恐れません。神の恵みは私の力であり、私に忠告し、力づけるものです。どんな敵よりも強く、この世のどんな知者よりも賢いものです。神の恵みは真理の師、規律のもと、心の光、悩みの解消であり、悲しみを追い、おそれを退け、信心を養い、罪を泣かせます。それがなければ、私は投げ捨てられる無用な枯れ木、枯れ草にすぎません。主よ、神の恵みを常に私の先に立たせ、私に伴わせ、善業に従事させてください。御子イエス・キリストによって、アーメン」。