3巻54  肉と神の恵みとのことなるはたらき

「子よ、あなたの肉と私の恵との働きに注意せよ。この二つは相反しているが、ほとんど意識できないほどである。霊的な人が、内的な光に導かれている時だけ、その二つを区別できるだろう。全ての人は善を好み、その言葉と行いとに、いくらか善があると皆考えている。だから、その善に、人はだまされるのである。肉は狡猾で、人を引きつけ、おとしいれ、だます。そしてその唯一の目的は、常に自分である。ところが神の恵みは、単純に行い、悪をことごとく避け、罠をかけず、その最高の目的として、ただ神への愛を置き、そこに休みを見つける。肉は人から無視されること、抑えられること、服従させられることを好まず、進んで他人に服従し、その下につくことを望まない。ところが神の恵みは、自分を抑えようと努め、邪欲に逆らい、服従することを望み、負けることを喜び、自由に振る舞うのを避け、命令されることを好み、人の上にも立とうとせず、常に神の下におり、生き、望み、神への愛のために、誰にも謙虚にへりくだろうとする。肉は、自分の利益のために働き、他人からどんな利益を受けるかを重視する。ところが、神の恵みは、自分だけの利益と楽しみを求めず、むしろ他人の利益を求める。肉は、名誉と尊敬とを喜ぶが、神の恵みは、名誉と尊敬とを、ただ忠実に神に帰する。肉は、辱めと軽蔑と恐れる。しかし神の恵みは、イエスの御名のために辱められることを喜びとする(使徒5・41)。肉は、何もせずに、体を休ませることを好む。ところが神の恵みは、働かないでいることを嫌い、喜んで苦労をとる。肉は、珍しいもの美しいものを望み、安価な質素なものを嫌う。ところが神の恵みは、質素な粗末なものを喜び、荒布も古服も嫌わない。肉は、地上の富を渇望し、この世の利益を喜び、損害を嘆き、一言の侮辱にさえ気にする。ところが神の恵みは、永遠のものに心を置き、地上のものに執着せず、物質的な損害に動ぜず、無礼な言葉にも憤らない。なぜなら自分の宝と喜びととを、何一つ失われることのない天に置いているからである。肉は、貪欲で、与えることより、受けることを喜び、自分だけの特物を好む。ところが神の恵みは、他人を愛し、他人に自分のもの分け、目立つことを避け、少しのもので満足し、受けるよりも与える方が幸せだと考える(使徒20・35)。肉は、被造物と自分の虚栄と遊楽とを好む。ところが神の恵みは、神と徳とに向かい、被造物を捨て、世間を離れ、肉欲をいとい、放心を抑え、人前に出るのを好まない。肉は、感覚の快楽となる世俗の慰めを探し求める。ところが神の恵みは、神にだけ慰めを求め、この世の全てを超え、最高の善を楽しみとする。肉は、万事を自分の利益のために行い、無報酬で奉仕するのをいとい、行ったことに相当する、いやそれ以上の利益や賞賛や報いを得ようとし、自分の行いや恩恵が尊重されることを望む。ところが神の恵みは、この世の事は何も求めず、神以外のどんな報いも要求しない。生活する上に必要なものであっても、永遠の報いに役立つものだけを求める。肉は、多くの友人知己を持とうとし、家門や家柄を誇り、権力にへつらい、富に追従し、自分に似たものをほめあげる。ところが神の恵みは、敵をも愛し、多くの友人を持っていても誇らず、徳がとても伴わない限り、家門や家柄を重視せず、金持ちよりも貧しい人に好意を持ち、へつらうものよりも真実な人を喜び迎え、いっそう完徳にすすみ(コリント前12・31)、ますます神の子に似るようにと、常に良い人々にすすめる。肉は、不足な物や煩わしいことにすぐ不平を鳴らすが、しかし神の恵みは、忍耐強く欠乏を耐え忍ぶ。肉は、自分一個の利益に全てを帰し、自分のために戦い、自分のために議論する。ところが神の恵みは、本源である神に全てを帰し、善業を一切自分に帰せず、うぬぼれて過信せず、争わず、自分の意見が一番優れているとは思わず、自分が考え、そして理解すること全て、永遠の知恵とその判断に従わせる。肉は、秘密を探り、新しいことを聞きたがり、外に自分を見せびらかし、感覚によって多くの経験を得ようとし、自分の名声と賞賛を上げるような事に働きかける。しかし神の恵みは、新しいことや珍しいことを無視する。この世で起きる事は、過去の出来事の変形に過ぎず、真実に新しいことを永続する事は無いからである。そこで神の恵みは、感覚を抑え、虚栄心と見せびらかしをさけ、賞賛と感嘆に値することを覆い隠し、すべての知識から、神の光栄と賞賛となることだけを求めよと教える。神の恵みは、自分自身、あるいはそこから出るものが、賞賛されることを望まず、無償で全てを与える神の恵みだけが、賞賛されることを望む。神の恵みは、超自然的な光、神の特別な賜物であり、選ばれた者の印、永遠の救いの保障である。またそれは、地上から天への愛に自分をかけ上がらせ、肉のものから霊のものに変わらせる。つまり、肉に勝てば勝つほど、神の恵みは大きくなり、日々の新しい訪れによって、内的な人間が、神の型に沿って完成するのである」。