3巻25 心の平和と神の霊的進歩はどこにあるか

「子よ、私はこういった、『あなたたちに平和を残そう、あなたたちに、私の平和を与える、私が与える平和は、世間が与えるものではない』(ヨハネ14-27 )。誰しも平和を望むが、真の平和を得させることに、気を止めるものは少ない。私の平和は、心の謙虚な、柔和なものと共にある。あなたはこの平和を、忍耐を持って、自分のものにせよ。あなたが私の声を聞いて、それに従うなら、豊かな平和が味わえる」。「それなら主よ、私はどうしたらよいのでしょうか?」。「自分が何をし、何を言うかに常に注意せよ。そしてあなたの意向は、私の好むことだけに向けられ、それ以外の何も望まぬようであれ。他人の行いと言葉と、軽々しく判断せず、自分の責任のないことに関わるな。そうすれば、めったに平和を失う事は無い。いつも不安を感ぜず、心と体との悩みを経験しない人は、この世にあるものではない、永遠の幸福の状態に置おいてだけである。また、どんな敵もないからといって、万事が好調に進んでいると思うな。万事が思いのままに行くと言って、全て完全だと思うな。信心と心の喜びと感じても、神の愛を受けていると思うな。本当に徳を愛するものは、そういうことでわかるのではなく、人間の霊的進歩もそこにはない」。「それなら、どこにあるのですか、主よ」。「それは心から神のみ旨にゆだねること、小事にも、大事にも、この世でも、来世でも、自分の利益を求めないことにある。こうすれば、好運の時も、不幸な時も、万事を同じ目で見、同じ判断で計り、常に神に感謝しつつ、生きることができる。すべての慰めを奪われても、それ以上、辛いことを忍ぼうと心を強め、希望に堅く立ち、自分はこれほどの苦しみを受ける人間ではない、と弁解することをやめ、どんな場合にも、私の正義を認め、神のみ旨をほめたたえるなら、あなたは、まことの平和の道を歩んでいる証拠である。そうすれば、私の顔見る希望が持てる。もしあなたが、自分自身を完全に軽視する境地になれば、さすらいのこの世においても、心の平和を、豊かに味わえるのだ」。