3 気が散ることと闘うこと

ロザリオがふさわしく唱えられると、それは、ますます、イエスとマリアに栄光を増し、しかもこの祈りには、他のどの祈りよりも霊魂のための功績となります。ただし、ロザリオの祈りは、とりわけ同じ言葉の絶え間ない繰り返しのせいで、どうしても気が散るのが避けられないために、適切に、また飽きることなく、唱えることが難しい祈りです。ロザリオ以外の祈りを唱えるときには、多様な言葉や表現のために用心深くなるので、想像力がさまよい出すのを防ぎ、適切に唱えることが容易なのです。これに反して、ロザリオの祈りは、形の変わることのない「天にまします」と「めでたし」とを絶え間なく繰り返すのですから、うんざりしたり、眠気をもようし、もっと面白味があって、飽きがこない祈りがしたいと考えないようにするだけで大変です。その大変さに屈さずロザリオを唱え続けるには、はるかに強い信心が必要です。

私たちの想像力は、ものの一分も大人しくはしていません。それがロザリオを唱えることを一層難しくします。その上、私たちの気を散らして祈りを邪魔し続けるのを絶対にあきらめることのない悪霊というものが存在します。私たちが悪霊に対抗してロザリオを唱えている間、なんとかしてそれを妨害しようとするのです。人間は、すぐに飽きてしまったり、いい加減になったりします。しかも悪霊たちは、ロザリオを唱えている間は、ますます、その傾向が強くなるように働きかけます。まだ祈り始めてもいない間から、うんざりさせ、気持ちを散漫にさせたり、疲れを感じさせたりするのです。そして祈りはじめるとすぐに、悪魔はこうした傾き全部を強めて祈る者を悩まします。大変な苦労をし、散々気を散らせて、やっと祈りはじめると、悪魔は「お前が、今、していることは何の役にも立たない。ロザリオを唱えても何の利益もない。他の信心業をどんどんやった方がいい。祈りに注意を払わないで祈っても、時間の無駄にしかならない。30分の黙想とか、霊的読書をした方がずっと役に立つ。明日、今ほど疲れていない時に、祈ろう。明日までロザリオをやめておこう」というのです。この手の策略で、悪魔は私たちにすっかりロザリオの祈りを止めさせるか、そこまでは行かなくとも、ほとんど唱えさせないため、ロザリオのことを忘れさせるか、何か別の信心に変えるよう仕向けます。

敬愛する皆様、悪魔の言葉には耳を貸さないで、ロザリオの祈りの間、想像があなたを悩まし、ありとあらゆる気を散らす想いで頭を一杯にしても、心を穏やかに保っていてください。そんな想いが浮かんだら、すぐ懸命に追い出すようにしてください。ロザリオの祈りは一番価値のある祈りであり、祈ることに骨が折れれば折れるほど、簡単に祈ることよりも一層価値があるのだということを、いつも忘れないでください。この祈りを、唱えるのが面倒に感じられ、たとえるなら、小さなアリがムズムズはい回る感触、ハエが飛び回る煩わしさを覚えて祈る気にならず、またロザリオの祈りの真の価値をわからない時には、なお一層難しいものです。たとえ、ロザリオを一環唱える間中、ずっと気が散り続けるのと闘わなければならなくても、手には武器であるロザリオをしっかりと握って敢然と闘ってください。唱えることが辛くて、まったく信心が感じられないとしてもこの祈りを止めてはいけません。それが、どんなに厳しい闘いか、私には痛いほど分かっていますが、忠実に闘う者は報われます。あなたの武器であるロザリオを手放して祈りをやめるならば敗北を認めたことであり、闘いに勝った悪魔は意気揚々として、あなたを置き去りにして姿を消してしますでしょう。しかし、最後の審判の時、神への不忠実さと、勇気が欠けていたことのために悪魔はあなたをあざ笑うでしょう。

「小さなことに忠実な者は、大きいことにも忠実である。小さいことに不忠実な者は、大きいことにも不忠実である」とルカの福音に記されています。ほんのささやかな祈りを唱える時でも忠実に、あくまでも気を散らすことと闘う者は、大きいことに対しても忠実です。このことは絶対確かなことです。ですから、主イエスと、聖処女マリアの下僕である皆さまは、毎日ロザリオを祈るという立派な決心を保つようにしてください。ハエ(ロザリオの祈りの最中に、あなたに気を散らすように闘いを挑んで来るものを、私はハエと呼んでいます)のためにイエスやマリアとのお付き合いを捨ててしますような臆病者になってはいけません。ロザリオを唱えている時、あなたは必ずイエスとマリアの御前にいるのですから。