6 主の祈り 説明2

主の祈りの言葉の一つ一つは、神の完全さに対して私たちが払う称賛です。私たちは、父という御名で神の豊かさをたたえるのです。父よ、永遠にわたって、あなたは、あなたと同じ神である聖子をもうけられました。あなたと同質で永遠、同じ権能と至上善、上智を備えられた霊的実在を。あなたがたお二方は‥‥聖父と聖子であり、お二方の相互の愛が、これもまた神である聖霊を出されました。三つの神格に分れておられても、お一方の神でいられます。私たちの父、この言葉は人類の父であるという意味です。私たちを創造し、養い続け、また私たちを救ってくださったからです。神は罪人に対しては慈悲に富む御父であり、正義を愛する者にとっては友であり、天国で福楽をえているものたちには栄光に満ちた聖父でもあります。私たちが天におられると唱える時には、神という霊的存在の無限と広大さと豊かさを讃えているのです。神は、「在る。彼は在るというものである(出エジプト3・14)」と呼ばれるのも当然です。神は本質的に永遠に実在されます。なぜなら、神は全ての存在するものの本質であり、全存在の原因だからです。 神は卓絶したご自分のうちに、あらゆる存在の極点を所有しておられ、その本質により、存在により、またお力によってそれら全部の内におられ、しかもそれらの限界に縛られることがありません。私たちは天におられる、すなわち、「玉座につき、正義によって全人類を支配しておられるお方」という言葉で、この方の崇高さと、栄光と、威厳を讃えるのです。み名が聖とされますようにと唱える時には、神の聖なることを崇拝して、神の王権に敬意を表し、み国が来ますようにという言葉によって、天国で天使たちが神に従うように、この地上で人間達が神に従順であることを願いながら、神の戒律に頭を下げるのです。私たちは日ごとの糧を求めることで、神の摂理に信頼していることを示し、私たちの罪をゆるしてくださいと願う時には、慈悲をお与えくださいと神に懇願しているのです。私たちを誘惑におちいらせずと祈る時には、神の素晴らしいお力を頼りにしており、必ず悪からお救いくださいという私たちの希望によって神の至上善を信仰していることを表します。神の聖子はご自身のわざにより常に聖子に栄光を加えるとともに、聖父をたたえることを人々に教えるためにこの世に来られました。聖子は、自らの口からお教えになったこの祈りで、聖父を賛美する方法を私たちに教えられたのです。従って主の祈りを唱えるのは私たちの義務なのです。主が教えてくださった時の精神を込めて、うやうやしく、慎重にこの祈りを唱えなければなりません。