17 清めという貴重なもの

聖なるロザリオに込められている救い主の生涯と死と栄光に輝く物語ほど人の心に感動を与えるものは、この世全体を振り返ってみても他には決して見つからないでしょう。十五の奥義の劇的場面の中で、主の生涯という主要な奥義が私たちの目前に展開されます。また、主の祈りや天使祝詞よりも優れた崇高な祈りが一体他にあるでしょうか?私たちが求めること・必要なことのすべてが、この二つの祈りの中に表現されているのです。奥義についての黙想しながら行うロザリオの祈りは、あらゆる祈りの中でも一番易しいものです。それというのも、主イエス・キリストの多岐にわたる美徳と奥義を黙想することで精神を強め、心が散漫になるのを避けるのに役立つからです。これらの奥義は最も深遠な教義の源ですが、その中に私達でも十分に理解できる教えを見出します。

観想生活の最も高度な状態に進む前に、私たちはこの易しい黙想の方法を身につけなければなりません。私たちは、聖なるロザリオの祈りのなかで、十五に分けられたあらゆる美徳を黙想し、その黙想のなかで主イエスとマリアを模倣することで、いわば戦場を体験すべきです。 こうすることこそ、人間が神との身に親密な一致に到達する道であります。なぜならば、この一致がないなら、観想は人を惑わせる危険な幻覚の他のなにものでもないからです。

主の祈りと天使祝詞よりも優れた祈りができると考えることは、悪霊の奇妙な幻覚の犠牲となることです。この二つの天の祈りは、私たちの霊魂の支えであり、力であり、保護してくれるものです。神とのさらに完全な一致を求めるという口実を設け、自ら進んでロザリオを唱えるのをやめてしまうのは非常に危険であると思ってください。時々、言葉にできないほど自尊心が強く、崇高な感想生活の高みまで行き着いたと考える者がいます。しかし、その人は、白昼横行する悪霊に欺かれ、自分は今までよりももっと優れた方法を見つけ出したと考えるために、以前行っていた信心を捨ててしまうのです。そして、ロザリオは劣っており、ありきたりで単なる並の信者たち向きだと思うようになります。しかも、この手のものは、大天使が教えた祈りと挨拶にも、また神がお作りになり、私たちに教えてくださった祈り『だからこう祈りなさい。「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように…』(マタイ6-9)にすら故意に耳を貸そうとはしないのです。この状態に達すると、そうゆう者は最初の幻覚からさらに一層大きな幻覚に流され、いよいよ危険に陥ります。

敬愛するロザリオ信人会の信者たちよ、悪霊が祈る者に仕掛ける罠にかかることなく、祈りの高い水準に達したいと純粋に望むなら、毎日ロザリオ一環を唱えるか、少なくとも五連を唱えるようにとお勧めする私の言葉を信じてください。神の恩寵により、すでに高い水準の祈りに到達しておられるなら、また、その状態に留まりたいと願い、ロザリオを通じて謙遜の徳を養いたいなら、聖なるロザリオを唱え続けるようにしてください。毎日ロザリオを唱えるもので、本物の異端者になったり、悪霊に道を踏み惑わされたりするものは決していないからです。