13 十五の奥義

奥義とは、人知では理解の及ばない聖なることです。主イエス・キリストは神であられると同時に人でいられるために、主の御業はすべて神聖で天からのものです。いとも聖なる処女の御業は、聖処女が、被造物のなかで最も完全で・清いので、非常に畏敬されるべきものです。主の御業と、御母の御業は、聖霊が、それらの奥義を尊ぶ謙遜で素朴な人たちに顕された驚くべきことと、あらゆる類の完全さに満ちており、深く崇高な真理であるために奥義と呼ばれて然るべきなのです。イエス・キリストの御業は、また不思議な花とも呼ばれています。しかし、それらの御業の香りと美しさは、それらについて注意深く考え、勤勉で誠実な黙想によってそれらの花弁を開かせ、その香りを深く甘受するものにしか真価を見出せません。ロザリオは、私たちの主と聖マリアのご生涯を、お二方の数々の美徳と最も大切な出来事を表示する十五の奥義に分けています。これらは十五の劇的場面であり、その一つ一つの細部が私たちの生き方を導き、生気づけてくれるのです。それらは、この地上での人生を送っている間中ずっと私たちの足元を照らし導いてくれる十五本の燃え立つ松明です。それらはイエスとマリアを知ると同時に、私たちを知るために役立つ十五面の鏡であり、またお二方の愛の火を私たちの心の内に灯してくれます。また天上の炎で完全に私たちを燃え尽くすことのできる赤々と燃えている十五の竈(かまど)です。この素晴らしい祈りは、キリスト教徒の熱意を呼び覚まし、その心の中に聖なる主の愛を蘇らせます。聖母は福者アランに出現されて、「人々が百五十の天使祝詞を唱える時に、ロザリオは本当に役に立ち、私にとって素晴らしい贈り物となります。でも、この祝詞を唱えながら、イエス・キリストのご生涯と死とご受難について黙想するならば、さらに一層私を喜ばせることになります。これらの黙想はロザリオの祈りの魂なのですから」とお伝えになりました。

ロザリオの最初の部分は五つの奥義からなっています。第一の部分は聖処女に対する大天使ガブリエルのお告げです。第二は、従姉妹のエリザベトへの聖マリアの訪問です。第三はイエス・キリストのご降誕、第四は寺院での初子イエス・キリストの奉献とマリアのお清め。そして第五の部分は、ご両親が探し求めていた少年イエスを神殿の博士たちの中で見いだす場面です。これは全宇宙に与えた喜びのため喜びの奥義と呼ばれています。聖母と天使たちは、神の御子が托身されたとき、喜びに圧倒されました。聖エリザベトと胎内の洗者聖ヨハネはイエスとマリアの訪問を受け、喜びに満ち溢れました。天地は私たちの救い主の誕生の喜びに湧きました。聖シメオンは大きな慰めを感じ、聖なる御子を胸に抱き取った時、喜びに満たされました。神殿の博士たちは、彼らの質問に対するイエスの答えに驚嘆して舌を巻きました。また三日間行方がわからなくなっていた御子イエスを見出した時の、聖母マリアと聖ヨセフの喜びを誰が描写できましょう?

ロザリオの第二部は苦しみの奥義と呼ばれる五つの奥義からなっています。なぜならそれらの奥義は私たちに、苦しみに打ちひしがれて、心の傷に覆われ、侮辱と苦痛と苦悩に苛まれているイエスと聖母を私たちに見せてくれるからです。苦しみの奥義の第一は、ゲッセマニの園でのイエスの祈りと憂いで、第二は鞭打たれた主、第三は茨の冠を押し被らされたイエス、第四は十字架を担ってゴルゴダへ歩まれるイエス、そして第五は十字架につけられてカルワリオ山上で命を捧げられたイエスです。

ロザリオの第三部は栄えの玄義と呼ばれる五つの奥義から成っています。それが栄えの奥義と呼ばれる訳は、これを唱える時、私たちは勝利と栄光の内におられるイエスとマリアについて黙想するからです。その第一の奥義はイエス・キリストの復活であり、第二は主のご昇天、第三は使徒への聖霊降臨、第四は栄光に満ちた聖母の被昇天、第五は天使と人類との元后としての冠を受けられた聖母の奥義です。これらは神秘のバラの木に咲く十五輪の香り高いバラであり、信心深い者たちはその花の蜜を集めて堅固な信仰をつくりあげるために、賢いミツバチのようにそれらの花々に向かって飛んでいくのです。