二三  ユダ

裏切り者はあまり遠くには行かなかった。かれは証人らの騒ぎを聞き、また通りすがりの者の言葉を耳にしていた。たとえば「今かれをピラトの所へ引き立てていったぞ。 - 衆議所はあのガリラヤ人に死刑を宣告した - かれはきっと磔刑になるに違いない。かれらはかれがもう生き延びられないように準備していたからねえ。 - かれの忍耐深さにみなあきれてしまったぜ。 - かれはただ自分がメシアだ。そして神の権威の右に座すると言っただけだ。もしかれがそれを言わなかったら、みなはかれになんら死の罪を発見できなかったろうになあ。かれを売った人間のグズはかれの弟子だった。そいつはかれといっしょに過越しの羊をさえ食べていたんだぜ。おれだったらそんな仕事の仲間入りはまっぴらだ。あのガリラヤ人は、たとえどんな人間だったにしろ、もちろん自分の友だちを金のために死に渡すようなことは決してしないだろうなあ。あの人間のグズは全く吊されるに値する」。今まさに不安、痛悔また絶望がユダの心の中で戦っていた。サタンはかれを駆り立てて急いで走らせた。その帯の銀貨はかれにとって地獄の拍車のようであった。かれは走る時その財布が体にぶつかってジャラジャラ鳴らないように手で押さえていた。そしてかれは裏切りの報酬から逃れ、自分の責任を逃れようとして大急ぎで走った。かれは神殿に急いだ。そこでかれはちょうど裁判所から戻って来ていろいろと指図している議員たちに出会った。かれらは驚いてたがいに顔を見合わせ、見下し、軽蔑の笑いを浮かべながら裏切り者をジロジロ見つめた。ユダはすっかり狂ったようになって、その前に進み出、右手を突き出し、銀貨を差し出した。そして激しい不安におそわれながら言った。「あなたがたの金を取って下さい。あなたがたはこの金で義人を渡すように私を誘惑したのです。あなたがたの金を受け取ってください。あの人を放免して下さい。わたしは罪のない血を売って大罪を犯してしまった。わたしはあの約束を取り消します」。しかし司祭たちはかれに対して軽蔑的な態度を明らかにあらわした。かれらは手を挙げ、その裏切りの報酬によって汚されたくないかのように、銀貨の前から後ずさりして言った。「おまえが罪を犯したってわれわれの知ったことではない。おまえが罪のない血を売ったと信じるなら、そう思ったらいいじゃないか。それはおまえの勝手さ。われわれはどんな人間をおまえから買ったか知っている。われわれはあいつが死に値することを知っているのだ。おまえの金はおまえが持っていろ。そんなものは、われわれはほしくない。」かれらは矢継ぎ早にこう浴びせかけながら、厄介払いをしようとそっぽを向いてしまった。その仕打ちにユダはすっかり激怒して絶望して全く狂気のようになってしまった。かれの髪は逆立ち、両手で銀貨を神殿の中に投げ付け、街の方へ逃げ出した。かれは気違いのようになって再びヒノンの谷を走り回り、またサタンが恐ろしい形相でそのそばにつきまとってかれの耳に、絶望に落とし込もうとささやいていた。かれがケドロンの小川に来てオリーブ山をちらっと見るや、震え上がって目をそらした。「友よ、何のために来たのか。ユダ、おまえは接吻で人の子を売ろうとするのか。」という言葉を再び聞いたような気がしたからである。かれの魂は恐怖に包まれ、感覚は混乱した。その敵はかれにささやいた。「このケドロンを渡ってダビデはアブサロムから逃げたんだぞ。アブサロムは木にぶら下がって死んだんだ。ダビデはおまえのことをこう歌っているんだぞ。
かれは恩を仇で報いたりき
冷酷な裁き手かれを待たん
サタンはかれの右に立たん
すべての裁きはかれを罪せん
ただ数日のみかれは生きながらえん
他の者かれの地位につかん
主はかれの父たちの悪と母たちの罪を
清くされん
そはかれ慈悲なくして
哀れなる者を苦しめ
悲しむ者を殺したればなり
かれは呪いを好めり
かれは呪いを衣のごとくまとい
水のごとくその腸に入れ
体に油のごとく塗りたり
呪いはまとえる衣のごとく
永遠にまとえる帯のごとし
このような良心の呵責の下にユダは「つまづきの山」の荒れ果てて寂しい所に来た。そこでかれを見ている者はだれもいなかった。街の方からは時々やかましい騒音が響いてきた。サタンはかれにささやいた。「今かれは死刑に処せられたのだ。おまえはかれを売ったのだぞ。おまえは律法に書いてあることを知っているか。 - 自分の兄弟イスラエルの子らの魂を売り、その代価を受けたる者は殺されるべきである - とあるのを。死んでしまえ、人間のグズ!死んでしまえ。」ついにユダは、自暴自棄になり、帯を木にいわき、首をくくった。かれがぶら下がると、腹は裂け、腸は地一面に広がった。