十 イエズス将来の失敗を見たもう

主がすべてこれらの戦いを天の御父の意志に心から服従して勝ち得たとき、だれにも犠牲に先立って起こる疑問と心配が主をおそった。わが犠牲の収穫や利益は一体どんなものだろう、と。そして恐るべき未来に関する思いが主のみ心を悩まし始めた。主の霊魂の前に使徒や弟子、友だちの将来のあらゆる苦難が押し寄せて来た。初めのキリスト信者の微々たる数やその成長と共に異端が発生し、教会の一致から分離して行くことが主を悩ませた。- 多くの信者の不熱心・背徳・罪悪・傲慢な教師の吐く種々の虚言や詭弁、悪徳司祭の冒涜的罪、すべてそれらの恐るべき結果、すなわち地上の神の国における惨憺たる荒れ果てた状態。このようなつまずきが太古から今日まで、さらに世の終わりに至るまで、数えきれない一連の幻影となってイエズスの前を通り過ぎた。主はまた救いの手を差し伸べたもうご自身の前を得々として肩をすぼめ、首を振りつつ自分たちを呑み込む奈落に向かって過ぎ行く無数の者を見た。主はまた他の多くのものを見た。- かれらは主を敢えて公然とは否定はしないが、自身は教会に痛手を加えながら、その傷に同情し吐き気を催しながらも、教会の前を行き過ぎてしまうのである。主はまた夜中に強盗や人殺しが侵入して来た時、教会を置き去りにする多くの者を見た。イエスはまたご自身を知らぬ多くの者をごらんになった。主は主に従って十字架を負うことを欲しないことを悲しみ、かれらの代わりに苦しみを忍ばれようとした。その時悪魔がいろいろの物凄い形相をして主の御血によって救われた者を、さらに主の秘跡によって塗油された者さえも、その前で奪い、虐殺するのを見た。これらの幻影の間に誘惑者の声が始終くり返し、ささやいていた。「見ろ、こんな恩知らずの奴どものために苦しむつもりかい。」その時、あらゆる未来に起こる戦慄すべき出来事、嘲りの声が主に押し寄せて来て、ご人性は名状し難い恐怖におそわれた。人の子、キリストは御手を揉みよじった。このような恩知らずの人類のために、たとえようもないことを忍ばねばならない主は、その人間的意志において深く感じ激しくおののいた。そして濃い血のしずくのような汗は地上に流れ滴った。主は苦しみに押しつぶされ、救いを求めるようにあたりを見まわされた。天と地と、天空の光をご自身の苦難の証人として呼びかけているように思われた。主が「ああ、どうかしてこのような恩知らずに耐えることができようか」と、叫んでおられた イエスが悩みのうちに、しばしの間大きく叫ばれたので、三人の使徒が飛び上がり驚きながら手を上げて、主の方に耳をそばだて助けに行こうとした。しかしペトロが他の二人を引き戻し、「待て、おれが行って来るから」と言った。ペトロが急いで洞穴の方へ行きその中に入った。「主よ、一体どうなされたのですか」とかれはお尋ねした。しかし血まみれになって恐れおののく主を見てかれは立ちすくんでしまった。主は何事も答えられず、またかれに気がお付きにならぬようであった。そこでペトロは二人の所に戻り、主が少しもご返事をされず、ただ溜息をついておられたと告げた。するとかれらの憂いはさらに増した。かれらは頭をおおい、ひれ伏して涙と共に祈った。再び恐れに沈みたもうわが天配の方に、忘恩の恐るべき幻影はますます物凄い形相の下に押し寄せて来ていた。主は苦しみに対する人間的嫌悪の感情となお続けて戦った。幾度か主は、「父よ、このような者のために苦難を受けねばならないのでしょうか。おお父よ、この杯がわたしから去るのが不可能ならば、どうぞ思し召しのままに。」とお叫びになった。また頭に冠を戴いた蛇が巨人のように飛び出して来ると、かれと共に、あらゆる階級やあらゆる種族の大軍勢が四方八方からイエスに押し迫って来た。時折、かれらの間に争いが起こったが、再び一致して恐るべき怒りをもって主に立ち向かって行った。それは全く身の毛のよだつ光景であった。かれらは主に向かって嘲笑い、つばきをかけ、罵倒し、不潔物を投げつけ、突き倒し、殴りつけ、剣や槍を振り上げ、振り下し、あらん限りの乱暴を加えた。イエスがこれらの恐るべき軍勢の真只中で、実際にかれらの武器で打たれているかのように恐れ振るえた。主はあちこちによろめき、立ち上がっても直ぐうずくまってしまわれた。この軍勢こそ秘跡の中に真に実在したもう救い主に、あらゆる方法で侮辱を加える数知れぬ人々であった。これらのイエズスの敵の中に、いとも聖なる秘跡、すなわちカトリック教会における主ご自身の絶えることなき実在の生ける保証(御聖体)に対し、冒涜するあらゆる種類の人間を認めた。軽々しさや、不敬や、なげやりに始まり、軽侮、乱用、恐るべき汚聖に至るまでのあらゆるひどい仕打ちをおののきながら見た。これらの敵の間にいろいろな種類の人々、子供さえもいた。- 教育が悪く、しつけの良くない不謹慎な、聖なる儀式中、主に尊敬を払わないミサ答えの子供たちを特に見た。さらに多くの高位、あるいは普通の位の司祭さえその中にいるのを見た。かれらは自分自身を信心深く敬虔であると思っているけれど、いとも聖なる秘跡のうちのイエスに対する忘恩に加わっていた。それは秘跡のうちのイエスの実在を信じ、礼拝し、かつ教えていながら、自分は偉大な秘跡に対しふさわしくふるまわぬ者がいることである。すべてこれらのことは冷淡、怠け、慣れっこ、世俗的な重要でないことに対する好みに基づく。あらゆる祝福の源すなわち生ける神の奥義が、かえって憤怒から冒涜と呪いの言葉を無数の人に吐かせる源となっていた。凶暴な兵士や、悪魔の下僕たちが尊き器を汚し、御聖体を捨てて、それに残酷な虐待を加えたばかりでなく、さらにそれを恐るべき悪魔的な偶像礼拝に使っていた。これらの野蛮な無礼に次いで、また見るもいとわしい無数の細かい不敬を見た。多くの人々の悪い手本や、間違った教えのため、主の御約束への信仰から離れ、救世主をもはや謙遜に礼拝しないようになっていった。またこの軍勢の中に異端者となった大勢の罪深き教師たちがいた。かれらは最初おたがいに争っていたが、結局いっしょになって教会のいとも聖なる秘跡にましますイエスに向かい暴れ狂っていた。またこれらの宗派の多くの頭目が教会の司祭職をそしり、この秘跡中のイエスの実在について異端を唱え、否定していた。そしてかれらの誘いによって無数の人々が - かれらのため主は御血を流されたのであるが - 救い主のみ心から奪い去られて行った。ああこのようなことを見るのは実に身ぶるいするほどの恐ろしいことである。なぜなら教会はイエスの御体で、その離ればなれの四肢もすべて主のご苦難によって結びつけられたはずであるから。教会から離れた団体や、家族、またその子孫などすべてが、聖なる御体から痛々しくもはぎ取られて行く大きな部分のように感じられた。ああ主はかれらの方を非常にいたましげにごらんになった。このようにして多くの民族が主から離れ去り、主がその教会に残した恩恵の宝になんらかかわりを持たなくなってしまった。始めのうちはただわずかの者だけが離れていくのであるが、次第に全民族が離れて行くのを見ることは実にやるせないことであった。そしてこれらの者がすべて教会を攻撃していた。ああイエスにとってそれらはご自身が粉々に引き裂かれてしまうかのように感ぜられた。恐怖すべき事柄はすべて全く身の毛のよだつほど悲惨なものであった。この時、血が濃い滴りとなって主の青白い顔を流れ落ちた。主のいつも滑らかに分けられた髪は血でこびりつき、乱れ、もつれ上がり、そのひげは血にまみれ、むしり取られたようになった。主が逃げるように洞穴から出て再び弟子たちの方に行かれたのは、この幻影の後であった。しかし主の足取りはたしかでなく、重い荷の下に深く身をかがめ、あちらこちらよろめく者のように、あるいは傷におおわれ、今にも打ち倒れそうな者のようであった。主がこうして使徒たちの所に来て見ると、かれらは悲しみと心配と疲れから再び眠りに落ちてしまった。しかしかれらは青白く血まみれになって顔をかがめ髪のもつれた主、全体の様子が形容出来ぬほど変わり果てた主を見た。かれらの疲れ果てた目ではそれが主であるとはすぐには気がつかなかった。しかし主の手はもがくようであった。かれらは驚いて飛び上がり主をその腕に抱き、支えた。主は非常に悲しげにご自分が明日殺されること、一時間以内に人々が主を捕らえに来ること、それからご自身は法廷に引かれて恥ずかしめを受け、嘲られ、鞭打たれ、最後には残酷にも殺されることなどをお話しになった。主はまたかれらに聖母とマグダレナを慰めるようにお願いになった。主はこうして数分間立って話しておられたが、かれらは返事も出来なかった。実際かれらは主のお姿とお言葉に憂い狼狽してしまって、何を言っていいのかわからなかったからである。かれらは主がほとんど正気を失っておられるのではないかと思った。主は再び洞穴に戻ろうとされた。しかしもはや、一歩も歩むことが出来なかった。ヨハネとヤコブは、主をお連れし、そして主が洞穴の中に入ると、再び戻って来た。主が死の恐怖と闘っておられる間、聖母もマリア・マルコの家で恐れと悲しみに苦しんでおられた。聖母はマグダレナおよびマリア・マルコといっしょに庭に出られ、敷石の上にひざまずかれた。聖母は深く考え込まれ、とりわけご自分を取り巻くすべてのものを全く忘れてしまわれた。そしてただ神の御子のご苦難のみを見、それを感じられた。また聖母は主のことについて知りたく思われ、使いを出されたが、その帰りを待ちきれず、不安に閉ざされつつマグダレナおよびサロメと共にヨザファトの谷に出て行かれた。聖母が顔を布でおおって歩まれ、時々手をオリーブ山の方に差し伸べられた。聖母は心のうちで御子が血の汗を流されたのをご存じだった。そして差し伸べた手であたかもイエスの顔を拭こうとされるようであった。聖母の心が烈しく動いておられる時、イエスもまた御母を思い、あたかも助けを求めるようにその方を眺められた。このお二人のおたがいの思いは射し交わす光のようであった。主はまたマグダレナのことをも考えられ、かの女の苦痛もお感じになった。かの女の方に目を向けられるとかの女もそれを感じた。主が弟子たちにかの女を慰めるようにお頼みになったのはそのためである。実際主はマグダレナの愛が聖母に次いで最も大きく、またかの女が将来主のために苦しみ、もはや再び罪によってご自分を侮辱することのないのを知っておられた。そのころ八人の使徒は再びゲッセマネの園の草ぶきの小屋に戻っていた。かれらはたがいに語り合っていたが、間もなく眠ってしまった。かれらの不安は大きく、恐ろしい試練に押しつぶされていた。そして各自隠れ家を求めていた。「もし主が殺されたら自分たちは一体どうすればよいのだろう。持ち物はみなきれいさっぱり捨ててしまった。今の自分たちは本当の文なしで世間の笑いものだ。自分たちは何もかもかれにまかせ切ってしまったのに、そのかれが今はまったく打ちのめされ、無力になってしまっている。実際頼りにならなくなってしまった。」との心配にかれらは悩まされていた。他の弟子たちはまだ歩きまわっていた。かれらは主の最後の恐ろしい言葉を聞いていた。