三 過越しの羊

三頭の過越しの羊は神殿で屠られた。それにまだ四頭目があった。使徒と弟子たちは詩編118を唱えた。ついでイエスはモーゼの犠牲と過越しの羊の意味が成就される新しい時代について語り、「それ故に、この羊はエジプトにおける羊と同様に屠られなければならぬ。そしてかれらも今こそ奴隷の地を出て約束の地におもむくのである。」と説明された。すでに容器類や一切の道具が用意されてあった。そこに冠で飾られたかわいい羊が連れて来られたが、その冠は取りはずされ、羊が屠られその血は鉢に受けられた。イエスは一人が持って来たイソプの枝を血の中に浸してから広間の入口に行き、両方の柱と扉に血で印を付けた。枝は扉の鴨居にさされた。その時主は厳かに語られた。また「死の天使はここを通りすぎよ」とも仰せられた。「真の過越しの羊なるわたしがやがて犠牲になったなら、その時こそみな誠心をもって、ここで静かに祈らねばならぬ。今こそ新しい時代・新しい犠牲が始まり、そしてそれはこの世の終わりまで続くであろう。」と仰せられた。ついでかれらは広間の反対側の過越しの窯に行ったが、そこにはすでに火が燃えていた。イエスはこの窯にも血を注いで清め祭壇とされた。残った血と脂は炎の中に注がれた。次にイエスは詩編を唱えながら使徒らとともに広間をめぐりつつ祝別してその広間を新しい神殿とされた。扉は全部閉ざされていた。その間羊は、すっかり準備され串にさされ、他の三頭の羊といっしょに窯で焼けるようにした。この時、ユダはが帰って来た、そして時刻が近づいてきたので食卓が準備された。みな玄関に用意してあった祭日用の衣服を着けた。 - 別の靴をはきシャツのように長い上着とマントに着かえた。着物をはしょり幅広い袖を折り返し、それぞれ自分の組の食卓に行った。かれらは二人ずつ組になって歩き、みな手に杖を持っていた。そして各自の場所につくと、その杖を腕にかけ両手をあげ『イスラエルなる神は祝せられたまえ』『主は賛美せられよかし』という詩編を唱えた。食卓は半円形で狭く、座っている人の膝の上十五センチほどの高さであった。イエスはその外側の中央に座られ、そのちょうど前の半円の内側は料理の持ち運びのためにあけられてあった。主の右側にはヨハネ、大ヤコブ、小ヤコブが立ち、同じ右側の狭い端にはバルトロメオ、そこをまわって内側にトマスとイスカリオテのユダがいた。主の左側にはペトロとアンドレア、タデオ、狭い端にはシモン、それに続く内側にはマテオとフィリポがいた。食卓の中央には大皿に載せられた過越しの羊がおいてあった。その頭は交叉した前足の上に載せられ後足は長く伸びていた。食卓の片方には真直に立てた青い野菜の皿があり、他方には苦い野菜の小束の入った皿が置いてあった。主の前には黄色い緑がかった野菜の入った器と茶色のスープの入っている器とがあった。受け皿として丸いパンが置いてあった。食事の時かれらは骨でできたナイフを使った。給仕は祈りがすむとイエスの前に羊を分けるための包丁とぶどう酒を満たした盃を置いた。また二人ずつの間にあった他の六個の盃に壺からぶどう酒を注いだ。イエスはぶどう酒を祝して飲まれ、使徒らは一つの盃から二人で飲んだ。それから主は過越しの羊をさいた。弟子たちはパンを出して各自その上に羊を受けた。かれらは肉を骨製のナイフで削りながら非常に急いで食べた。骨は後で焼かれた。さらにかれらはニラとスープに浸した青い野菜を食べた。過越しの羊は立ったままで食べた。イエスは過越しのパンをさき、その半分に被いを掛けて残し、他の半分を分けられた。かれらはまたパン菓子も食べた。それからさらにぶどう酒の入っている盃が運ばれて来たが、イエスは礼を言われただけでお飲みにならず、「ぶどう酒をみなで分けるように。わたしは今から神の国が来るまでもはやぶどう酒は飲まないから」と仰せられた。かれらがぶどう酒を飲み終えると聖歌を歌った。それから主は祈りをされた。ついで手を洗い、再び食卓についた。イエスは聖婦人たちに分ける過越しの羊をさいた。それから野菜やスープなどをとった。イエスは非常に親しくまた楽しげにしておられ、使徒たちにあらゆる心配事を忘れるようにすすめられた。別の部屋で食事をしていた聖婦人たちとともにおられた聖母もまた晴れやかな様子だった。イエスはみなが野菜を食べている時、なお楽しそうにみなと語られていたが、次第に厳粛にまた悲しげになられた。そして「おまえたちのうちの一人がわたしを裏切るだろう。その者の手は、わたしといっしょにテーブルの上に置かれている。」と言われた。主が裏切り者のことを語られるとみな非常に驚いた。主はこの言葉をもってユダを戒めようとされたのである。そしてさらに「今や人の子は、かれについて書き記されている通り去って行く。しかし人の子を裏切る者は禍である。生まれ出なかった方がかれにとってよかったものを。」と言われた。 - 使徒らはまったく狼狽し次から次へと「主よ、それはわたしですか?」と尋ねた。みな主が何を意味されたのか完全に理解しなかった。しかしペトロは、ヨハネの方に身体をまげて、主にだれであるか尋ねるように目配せした。それはかれが今までたびたび主から叱られていたから自分のことかも知れないと心配したからである。そのときヨハネの頭は、イエスの御胸に一番近い位置にあった。ヨハネは主の方に身を少しく寄せ「主よ、それはだれですか」と尋ねた。主は、「わたしが一つまみの食べ物を浸して与えるのがそれだ。」と答えられた。ヨハネは主が一片のパンを紫蘇で包み、スープに浸してユダに大きな愛情をこめて与えられた時にそれを悟った。裏切り者はしかし自分から「主よ、わたしですか。」と尋ねた。主はその時、心からいとしげにかれを見つめ、さりげない返事をなされ、みなの前でその秘密をあばくようなことはされなかった。ヨハネは主から知ったことをペトロに告げなかったが、ペトロに目配せして安心させた。