序文 カテジークスとは

神は、無限に完全、他によることのない至福そのものであって、ただいつくしみによる計画から、ご自分の至福ないのちにあずからせる人間を自由に創造されました。したがって、いつ、どこでも、人間に親身に心を配り、呼びかけ、人問が全力を尽くしてご自分を求め、知り、愛することができるよう助けておられます。神は、罪によって四散したすべての人をご自分のただ一つの家族、教会のうちに呼び集めておられます。そのため、時が満ちたときに、御子をあがない主、救い主としてお遣わしになりました。神は御子のうちに、御子によって、すべての人を招き、聖霊において、ご自分の子とし、したがってご自分の至福のいのちの相続人となるように呼びかけておられます。

この呼びかけが世界中に響きわたるよう、キリストはご自分で選んだ使徒たちに福音を告げ知らせる任務を与え、彼らを派遣されたのです。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ 28∙19-20)。この使命を受けた使徒たちは、「出かけて行って、至るところで宣教し〔まし〕た。主は彼らとともに働き、彼らの語ることばが真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しに」(マルコ 16∙20) なりました。

神の助けにより、キリストの呼びかけに耳を傾け、これに自由に応じた人々が、今度は、キリストの愛に駆られ、世界の至るところで福音を告げ知らせるようになりました。使徒たちから受けたこの宝は、後継者たちによって忠実に守られました。すべてのキリスト者は信仰を告げ、兄弟姉妹として分かち合いのうちに信仰を生き、典礼と祈りの中で祝いながら、この宝を代々に伝えていくように招かれています。

教会は、人々を弟子とし、人々が信仰によってイエスのみ名によっていのちを得るためにイエスを神の子として信じるように助け、またその生き方を導き、教えて、キリストのからだを築くために力を尽くしています。これらはまとめて、早くから、カテケージスと称されていました。

「カテケージス(要理教育)は、一般的にいって、児童、青年、大人の信仰教育で、これは信者をキリスト教的生活に導くために、普通は組織的かつ体系的に行われるキリスト教教理の教授を特徴としています」