3 聖書の解釈者である聖霊

聖書の中では、神は人間的な表現で人間に話されます。したがって、聖書を正しく解釈するには、人間の著者たちが実際に主張しようと意図したことと、神が著者たちのことばを通してわたしたちに示そうとされたこととに留意しなければなりません。

聖書記者たちの意図を発見するために、当時の状況と文化、当時使われていた「文学類型」、当時普通であった感じ方、話し方、物語り方を考慮する必要があります。「実際、種々の方式での歴史的な、あるいは預言的な、あるいは詩的な書において、またその他の表現形式において、真理は違った方法で語られ、かつ表現されています」。

しかし、聖書は霊感によって記されたものですから、これを正しく解釈するには、前述のものに劣らず重要な、もう一つの解釈原理があります。それなしには、聖書は「死んだ文字」にとどまるでしょう。「聖書は、それが書かれたのと同じ霊の光のもとに読まれ、解釈されなければなりません」。第2バチカン公会議は、聖書を、霊感を与えた聖霊に忠実に解釈するため、三つの基準を示しています。

①「聖書全体の内容と一体性」に特別な注意を払うこと。なぜなら、聖書は異なる書から成り立っていても、神の計画の一貫性のゆえに一つだからです、その計画の中心とも心ともいうべきもの、それはイエス・キリストであり、イエスの死と復活以来、それが明らかにされたのです。「キリストの心とはキリストの心を知らせる聖書を指しています。この心は受難の前には閉じられていました。すなわち、聖書の意味は、明らかでなかったのです。しかし、聖書は受難後に開かれました。なぜなら、キリストの受難後、聖書の知識を持っている人々は預言をどのように解釈すべきかを考察し、識別できるからです」。
②「教会全体の生きた伝承」に従って聖書を読むこと。教父たちの教えによると、聖書は、文字どおりに読むよりも、教会の心で読むほうがまさっています。事実、教会はその伝承に神のことばを生き生きと保ち続けており、さらに、「霊が教会に与える霊的意味に従って」聖書を霊的に解釈する力を聖霊が教会に与えるのです。
③信仰の類比に留意すること。「信仰の類比」とは、信仰の諸真理が、それら相互においても、啓示の教え全体においても一貫している、という意味です。

聖書の意味

古くからの一つの伝統に従えば、聖書のことばの意味は、文字どおりの意味と霊的意味との二つに区別することができます。後者は寓意的、道徳的、天上的意味とに細分されます。これら四つの意味は根本的には一致し、教会の中にあって聖書を読むとき、読書を豊かにするものです。

文字どおりの意味。これは聖書のことばが表している意味で、正しい解釈の規則に従う聖書解釈によって考案されます。「聖書のすべての意味は、文字どおりの意味を土台にしています」。

霊的意味。神の計画の一貫性のおかげで、聖書の文だけではなく、また、文が語ることがらや出来事もまた、別のことを示すしるしでありえます。

①寓意的意味。わたしたちは、聖書に示されているさまざまな出来事がキリストに関連づけて何を意味しているかを認めることによって、これらの出来事の意味をより深く理解できます。たとえば、紅海の通過はキリストの勝利を意味し、またそのことから、洗礼を意味します。
②道徳的意味。聖書に記されている出来事は、わたしたちを正しい行動に導くはずです。それらは「わたしたちに警告するため」(一コリント10∙11)に書かれました。
③天上的意味。ことがらや出来事の永遠の意味を考えることもできます。それらの出来事は、わたしたちを天の「祖国」に導くもの(ギリシア語でアナゴゲ-άναγωγή)です。たとえば、地上の教会は天上のエルサレムのしるしです。

中世のある二行詩は、これら四つの意味を次のように要約しています。「字義は出来事を、寓意的意味は何を信じるべきかを、道徳的意味は何を行うべきかを、天上的意味はどこに向かうべきかを教える」。

「このような諸原則に従って、聖書の意味を深く理解し、説明するために努力し、いわば、準備的な研究によって、教会の判断が熟するようにするのが聖書解釈者の任務です。実際、聖書解釈に関するこれらすべてのことは、結局は神のことばを保存し、解釈する神的命令と使命とを果たす教会の判断のもとにおかれています」。 「もし、カトリック教会の権威がわたしをそう促すのでなければ、わたしは福音を信じはしないでしょう」。