1 信仰による従順

啓示によって、「見えざる神は、大きな愛によって、あたかも友に対するように、人間に話しかけ、彼らと住まいをともにしています。それは、彼らを自分との交わりに招き、これにあずからせるためです」。この招きに対するふさわしい回答が信仰です。

信仰によって、人間は、その知性と意志とをまったく神に従わせます。人間は啓示する神に心底から同意します。聖書は、啓示する神への人間のこの応答を「信仰による従順」と呼んでいます。

信仰によって従う(「従う」oboedireは「傾聴する」ob-audireに由来)とは、聞いたことばに自由に自分をゆだねることにほかなりません。その真理が、真理そのものである神によって保証されているからです。アブラハムは、聖書が示しているこの従順の模範です。おとめマリアは、それをもっとも完全に具現したかたです。

アブラハム「信じるすべての人の父」
 ヘブライ人への手紙は、先祖たちの信仰をたたえる箇所で、とくにアブラハムの信仰を力説しています。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(ヘプライ11∙8)。信仰によって、アブラハムは約束の地で寄留人、旅人として暮らしました。信仰によって、サラは約束の子を懐胎することができました。信仰によって、アブラハムは一人息子を犠牲としてささげました。

ヘブライ人への手紙には「信仰とは、望んでいることがらを確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ11∙1)だと述べられていますが、アブラハムはこの信仰の定義を具現しています。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(ローマ4∙3)。この「強い信仰」のおかげで、アブラハムは「信じるすべての人の父」(ローマ4∙11,18)となりました。

旧約聖書では、この信仰をあかしする人の話を数多く読むことができます。ヘブライ人への手紙は、「神に認められ」(ヘブラィ11∙2,39)るようにさせた昔の人々の模範的な信仰をたたえています。しかし、「神は、わたしたちのために、さらにまさったものを計画してくださった」(ヘブライ11∙40)のです。すなわち、「信仰の創始者また完成者である」(ヘブライ12∙2)御子イエスを信じる恵みです。

マリア「信じたかたは、なんと幸いでしょう」
マリアは、信仰による従順をもっとも完全に具現します。信仰をもって、マリアは天使ガブリエルによるお告げと約束を受諾しました。「神にできないことは何一つない」(ルカ1∙37)ということばを信じ、「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように」(ルカ1∙38)と同意したのです。エリサベトはマリアに、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じたかたは、なんと幸いでしょう」(ルカ1∙45)とあいさつしました。マリアはこの信仰のゆえに世の人からも幸いな者と宣言されるのです。

マリアの信仰は生涯にわたって、ご自分の御子イエスが十字架上で死ぬという最後の試練に遭ったときですら、揺らぐことはありませんでした`マリアは神のことばの「成就」をいつも信じていました。ですから教会は、マリアを信仰をもっとも純粋に生きたかたとして敬うのです。