8 感覚の暗夜に入るために、とるべき方法。

欲望に打ち勝つために
第一には、なにごとにおいてもすべて、キリストにならって、その御生涯に倣おうとするふだんの望みを持つことで、キリストに倣うためには、その御生涯を省察し、すべてのことにキリストと同じ態度をもっていどまないといけない。
第二には、これを立派に行うことができるために、感覚を楽しませるものは、どんなものでも、それが純粋に神の名誉と光栄のためでないのなら、それを退け、イエス・キリストの愛ゆえに、そうしたものに全く無関心でいなくてはならない。

自然の欲情である楽しみ、望み、恐れ、苦しみの四つの感情を抑えるために
すなわち、次のように心掛けること
よりたやすいことよりも、よりむつかしいことに、
より快いことよりも、より不快なことのほうに、
より味わいあることよりも、むしろ、より味気ないことに
休息ではなく、骨の折れることに、
慰めになることよりも、むしろ慰めのないことに、
より大いなることよりも。より小さいことに、
より高く、より貴重とみえるものより、よりいやしく、ないがしろにされるものへと、
この世のよりよいものでなく、より悪いものを探し求め、そして、キリストのために、この世にあるすべてのことから全く裸になり、虚ろく、心貧しくなるように。

こうしたことを心から抱きしめ、それによって意志をうちくだくようにしなくてはならない。というのは、これらのことを、地味に、賢明に、心から実行するならば、短時間の間に大きな喜びと慰めを、そこに見出すに至るであろう。

肉の欲、目の欲、生活のおごりを抑制する方法
第一に、自分を蔑(ないがし)ろにすることにつとめ、すべての人がそうしてくれることを望むことである。
第二に、話す場合にも、自分を卑しめるようにし、すべての人がそうしてくれることを望むことである。
第三に、考えにおいても、自分自身を低く見下げることで、また、すべての人がそうしてくれるのを望むことである。

神との一致の高みに至るための言葉
すべてを味わうに至るためには、何ごとにも嗜好をとどめようとしてはならない。
すべてとなるに至るためには、何ごとにおいても無きものとされるように望まなくてはならない。
すべてを知るに至るためには、何ごとも知ることのないように望まなくてはならない。
味わったことのないものに至りつくためには、何ごとも味わうことなしに通りすぎていかなくてはならない。
まだ知らないものに至りつくためには、何ごとも知らないままに通りすぎてゆかなくてはならない。
まだもたないものに至りつくためには、何ものも、もたないままに通りすぎてゆかなくてはならない。
まだ達していないものに至りつくには、途中、何ものにも足をとめてはならない。

すべてにましますおん者を妨げない方法
なにごとかに心をとめるならば、すべてであるものに、自身をゆだねきっていないことになる。
実際、すべてのあるものに、全く至りつくためには、すべてにおいて全く己を捨てなくてはならない。
すべてであるものをもつに至るときには、何ものも望むことなく、それを持たなくてはならない。
なぜなら、すべてにおいて何かを持ちたいと望むならば、神のうちに、宝を清く保つことにはならないからである。
霊的な人は、この赤裸のなかに、静けさと憩いを見出す。
なぜなら、かれは謙遜そのものとなり、何ものにも、ことさらに望みはないので、上に向かって疲れさせるものもなければ、また、下におしつけるものもないからである。実際、何かをことさらに望むとき、そのことだけで、人は疲れてしまうのである。