精神の三つの能力(知性・記憶・意志)を完成させる対神徳(信仰、希望、愛)について

精神の能力である知性・記憶・意志は、信仰・希望・愛と関連していて、信仰は知性のうちに、希望は記憶のうちに、愛は意志のうちに、それぞれ生み出される。これら三つの対神徳は、精神の三つの能力のうちに空白をつくり出す。信仰は知性のうちに不知の暗黒、希望は記憶を空にさせ、愛は意志において神ならぬすべてのものに対する愛着と楽しみを洗い落とす。

信仰は知性をもって理解できないことを告げるものである。聖パウロは「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11・1)といった。つまり信仰とは、望んでいることの事柄への確信、知性がそれを確実なものとして堅く信じるにしても、理性によって見出されるものではない。なぜなら、もし見出されるなら、それは信仰でなくなるからである。信仰は、知性を強くしてくれるが、それを照らし出すというよりも、暗黒にするものである。

希望は、記憶からこの世のこと、あの世のことなどすっかり忘れさせ、目を閉じさせる。希望とは、まだ所有していないものについてであり、聖パウロも「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」といっている。つまり、この徳も空白をつくり出す。それは、所有しているものではなく、まだ所有していないものに関するものだからである。

愛徳もまた、意志において、すべての事物から心を空白にさせる。というのは、愛徳は、われわれに、すべてに越えて神を愛する義務を負わせるので、われわれの愛着をすべて切り離さないと、神を愛することができないからである。

したがって、われわれは、この三つの能力の各々を、獲得にしたがってかため、それぞれを赤裸にして、それぞれを、対神徳以外のすべてのものに目を閉じさせて、この三つの精神能力を、三つの対神徳へと導いていかないといけない。これが精神の暗夜である。