6 永遠の生命に至る道が狭いことについて

「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」 (マタイ7・14)

この言葉のなかで、「なんと」の上にどれほど強調と切願が込められているか注意すべきである。すなわち、その道は、あなたたちが考えるよりもずっと狭いということである。
また注意すべきは、最初に「門は狭い」と言われていることで、キリストの門に入るためには、何ものにも超えて神を愛し、感覚的及び現世的なすべてのものに対し、心をひきしめ、そうしたものからまったく離れないといけないことで、これは感覚の暗夜に属することである。
それからすぐに「その道は細い」という言葉がある。これはすなわち、完徳のことで、完徳の道を通って行くためには、感覚的なものだけでなく、精神的な面からも、すべて引き離すことが必要であることを示している。

「それを見いだす者は少ない」は、その原因に注意を注がないといけない。というのは、精神の徹底した赤裸と無一文の境地に入ろうとし、これを望む人が少ないからということである。

完徳の高い山の小径は、上に行くに従って狭くなるもので、われわれの低い欲求がその重さをますもの、また高い欲求がさまたげになるような一切のものを持とうとしない旅の人でないといけない。