7 記憶にある超自然的なイメージや知解からも離れないといけない

記憶のなかにある超自然的なイメージや知解について述べる。これらのものが霊魂を通りすぎると、そのイメージや形や考えとなって記憶や想像の中に極めて生き生きと刻み込まれる。そして、これらが神と一致することに妨げとならないため、一言しておく必要がある。神と一致するために、超自然の道によって、霊魂を通りすぎた、目に映るものに関して、その形やイメージや知解を、いつまでも保っていてはならない。われわれは常に次の原則から出発しなくてはならない。すなわち、自然的なものにせよ、超自然的なものにせよ、はっきりとものを捉えれば捉えるほど、信仰の深みに入る力と心の素地をますます失う。なぜなら記憶の中に入ってきた超自然的なイメージや知解は神ではないからである。だから、神にゆきつくためには、神ではない全てをむなしくしてゆかなくてはならない。そして望徳のうちに神と一致するためには、これらのイメージや知解の記憶のすべてから離れていなくてはならない。所有するということはすべて望徳に反するもので、望徳とは、聖パウロの言うように、「未だ所有しないものについて」言われることだからである(ヘブライ11・1)。そこで、記憶を捨てれば捨てるほどますます望徳を豊かにもつことになり、望徳をもてばもつほど、それだけ神との一致することになる。なぜなら、神に関して、望めば望むほどより多く獲得することになるからである。自分をもたなくなればなるほど望徳は増し、自分を全く所有しなくなるとき、神的一致における神の所有は完全なものとなる。しかし、何かを思いだしては味わう快さや甘味さを失うことを欲しない人々が多い。かれらは最高のものの所有や、完全な甘美に達することがない。なぜなら、所有しているものを、「ことごとく捨てさらないものは、その弟子となることができない」からである(ルカ14・33)