すべてのものに対する欲望を克服するこの「暗夜」を通ることが大切であるかの、聖書から示す。

神との一致の妨げとなるすべての欲望を失くしてしまうことなしに、神との一致という高い状態まで達することができるなどと考えることは、およそ愚の骨頂である。そのことを聖主は、次のように例えて示されている。

「あなた方が塔を建てようと思うとき、
まず座って、それを造り上げるだけの経費があるかどうかを計算しないだろうか。
そうしないで、土台を据えただけで完成しないことになれば、
それを見る者はみなあざ笑って、
『あの人は建て始めたが、完成することができなかった』と言うだろう。
また、どんな王でもほかの王と戦いを交える際には、
まず座って、二万の兵を率いて進撃して来る敵に、一万の兵で対抗できるかどうかを考えないだろうか。
もしできないと分かれば、敵の王がまだ遠方にいる間に、使者を遣わして和を講じるであろう。
それと同じように、一切の持ち物を捨てるものでなければ、あなた方は誰も、私の弟子になることはできない」
(ルカ14・28~33)

すなわち、「なにごとについても所有欲を捨てなければ私の弟子となることはできない」し、これは当然すぎることであるということである。なぜなら、われわれは、他のすべてから離脱しないかぎり、魂は変容されることはなく、神の御子が示された教えを、神の霊自身が持たれる価値で受け取ることができないからである。