4 神との一致のため、感覚の暗夜(=欲望の克服)が大切な理由

愛は愛するもの同士を同じもの、または互いに似たものにする。したがって、神以外の何かを愛するというそのことだけで、もう我々には、神との純粋な一致も、またそれによる変容も不可能になる。なぜなら、創造主の高みと被造物の低さとの間には、闇と光りとの差以上のものがあるからである。

この世のすべてのことにおける心の楽しみ、またその快さというものは、すべて、神という、豊かさそのものの楽しみに比べるならば、この上もない苦痛、呵責、にがみでしかない。また地上のものはすべて、その富も、その光栄も、神という富そのものと比べれば全くの“まずしさ”と“みじめさ”というものでしかない。すべて天のもの、地のものを数えても、神に比すれば無に等しい。

地上のものはすべて神の無限に比すれば無であるように、地上のものに愛着するものは、神の御前において同じく無である。否、無以下のものでさえある。というのは前述のように、愛は二つのものを等しく、また相似たもののとし、更に、愛する人をその愛の対象となるものより、さらに劣ったものとするからである。

したがって、神との一致の妨げとなるすべてのことに対する欲望を失くしてしまうことなしに、神との一致という高い状態にまで達することはできない。また、そうした欲望を失くさないならば神をはなはだしく侮辱することになる。なぜなら、神とは雲泥の差のあるものを、神と共に一つの秤にかけることになるからである。とすれば、そうしたものを神以上に愛するなら、一体どういうことになるであろう?