15 前進するために、前章の徴がなぜ必要なのか

(前章の第一の徴について)霊的な人が想像や感覚に頼る黙想は心ひかれず、また頭を動かすことができなくなったのは次の二つの理由がある。1、黙想や推理によって、神のことについて見いだすはずの、すべての霊的な宝が、ある意味で全部その人に与えられてしまったからである。2、行為というものは、何度も繰り返されることによって自然と身についたものとなるように、黙想のたびごとに愛にしみとおった知解が“行為”としてなされ、いつもそれを続けていくうちに第二の天性となるからである。そのため、前のように考察やイメージや想像をすると、かえって苦痛となる。

(前章の第二の徴について)この時期に達したものは、塵あくたのようなこの世のものの想像を楽しもうとしないからである。

(前章の第三の徴について)霊魂は、感覚的な能力を通して、推理したり探し求めたり、対象についての認識の働きをもつことができる。また精神能力を通して、感覚的な能力からあらかじめ受け取られた認識を、精神的機能は感覚的機能が停止のまま、受け取り楽しむことができる。この感覚的機能、精神的機能を両方停止してしまうのであるなら、霊魂は働いているとは言えない。したがって黙想と考察の道を捨てるためには、前章の第三の徴、すなわち、愛に満ちたひとみをそのまま神の方に注ぐようになるという認識が必要である。