14 記憶にある霊的知解について

霊的知解は、記憶がとらえる第三の形のものであり、他の知解とは異なって形ある映像をもたない。霊的知解はイメージのような体の感覚に属するものではなく、霊的なことを想い起こす場合に生ずるものであり、霊魂のなかで思い起こすことのできるものである。霊的知解は、形あるものへの知覚が、体の感覚に残すイメージや映像によるものではなく、霊魂の中に刻まれて残ったもの、または霊魂から生じたもの、それらを知的、または霊的に思い起こすことである。その刻まれて残ったものは、一つのまとまった考えとか霊的な意味を含んだイメージであり、それを思い起こすわけである。そのために私は、霊的知解を記憶のうちにいれるわけである。 これらの知解とはどんなものであるか、また、神と一致するために、こうした知解に対してどういう態度をとるべきかについては、第二部の二十七において、知覚に関し十分説明したので、それを参照してほしい。霊的知解はつくられたもの、つくられていないものの二種ある。神との一致に至るために、これらの知解に対して記憶がとるべき態度は、前章において述べたのと同じく、それがよい結果をもたらすものならば、それらを思い起こしてよい。それを思い起こすことで神の愛と理解とを、ますます生き生きとしたものにするためである。しかし、それらのことを思い起こすことが、よい結果をもたらさないのならば、決してそれらを思い起こしてはいけない。しかし、つくられないものについては、できるかぎり思い起こすといい。というのは、それは大きな実りをもたらすからである。前章で述べたように、つくられていないものを思い起こすことは、神との一致の接触であり、われわれが霊魂をその方に向かわせようとしているものである。これらのことを記憶が思い起こすのは霊魂に刻印されている何かのイメージや形や姿あるものではない。なぜなら創造主との一致からくるこのような接触と心の動きは、そうした形をとるものではないからである。ただ光や愛や、喜びや、霊的な新鮮さなどをつくりだすためで、それらを思い起こすたびにそのうちの何かが新しくよみがえってくる。