10 神との一致へのふさわしい手段は信仰である

知性が神と一致とに整えられるためには、感覚のなかに入ってくるすべてのものから洗い清められ、それから離脱するとともに、知性のなかに、はっきりした形でとらえるすべてのものから離れきって、神と霊魂との一致にふさわしい唯一で身近な手段である信仰に集中し、全く、しんから、しずかに落ち着いてしまわなければならない。

というのは信仰と神との間にある類似は非常なもので、見られる神と、信じられる神ということのほかに違いはないくらいだからである。

神が無限の御者であるならば、信仰も、やはり神を無限のものとして示す。また、神が三位であると同時に一体でいるならば、信仰もやはり、われわれに、神を三位にして一体のものとして示すからである。また神は、われわれの知性にとって闇であれば、信仰も、またわれわれの知性を盲目にし、またその目をくらませるものである。このようにして神は、すべての知性をこえた神的ひかりの中に、この信仰という唯一の媒介によって、われわれに自らをお示しになるのである。

したがって、信仰が深ければ深い程神との一致も大であるということになる。これが、聖パウロのことばで、「神に一致するものは、神を信じなくてはならない」(ヘブライ11・4)ということである。すなわち、信仰のみとなって、知性はその目を閉じ、闇の中にとどまっていないといけないということである。というのは、この闇の下において、知性は神と一致し、この闇の中に神は隠れているからである。