(被造物の答)
無数の美をまき散らしながら
これらの林をいそいで過ぎてゆかれたのです。
そして通リすがリにごらんになったのです。
かれはみ顔を向けただけで、
かれらに美をまどわせ、あとに残してゆかれたのです。
解説
この歌のなかで、被造物は霊魂に答えている。この答とは、考えながら質問している霊魂に向かって、神の偉大さや卓越 性について、被造物が、みずからにおいて与える証明である。この歌のなかに含まれていることを要約すると、神は万物をきわめて容易に、かつ短時間でお造りになり、それらのなかにご自分がどういうものであるかの、薄い反映をお残しになった。神は被造物をただ無からお引き出しになったばかりでなく、それらを数えきれない美と長所とをもってお飾りになり、それら相互の間に簡単すべき秩序と、不可欠の相互依存とを定めて美化なさった。そしてそれはみな、ご自分の上知のわざなのであり、上知とはすなわち、万物がそれによって造られたかれの御独子、聖言葉である。そこでいう。
無数の美をまきちらしながら
ここで、まきちらしながらゆくといっている無数の美とは、無数の被造物を意味し、その数のおびただしいことをわからせるために無数という最上級の数が用いられているのであり、美と呼ぶわけは、被造物に与えられたあまたの美のためであり、まきちらしながらとは、これらのものを世界のいたるところにお住まわせになったとの意である。
いそいで、これらの林を過ぎてゆかれたのです
林を通り過ぎてゆくとは諸要素(土、水、火、空気)を創造することで、ここではこれらの諸要素をさして林と呼んでいる。そして無数の美をまきちらしながらそれらを通り過ぎていったとは、優雅な被造物でそれらをお飾りになったからである。なお、その上、それらに、すべての被造物の増殖と保存とに協力することができる力を賦与なさったのである。そして、”通り過ぎてゆかれた”といっているのは被造物は神の足跡のようなものであるからで、かれらは、神の偉大さ、能力、上知、その他の神的完徳の何かしらを反映しているから。また、”いそいで”通り過ぎてゆかれたといっているのは、被造物は神の小さい作品であり、ちょっと通りすがりにお造りになったようなものであるから。神が御みずからをいっそうよくあらわされ、いっそう注意深くなさったみわざとは聖言のご託身やその他のキリスト教の信仰上の奥義である。これらに比べては、他のすべてのことは通りすがりに、いそいでお行ないになったようなものである。
そして通りすがりにごらんになったのです。
かれはみ顔を向けただけで
かれらに美をまとわせ、あとに残してゆかれました
神は、ただ、その御子のみ顔をもってのみ、すべての被造物をお眺めになった。すなわち神は、これによって、かれらに自然的有と多くの自然的美とのたまものを与えられ、かれらを仕上げて、完全なものになさったのである。創世記に、「神はご自身が造ったすべてのものを見られた。それははなはだよかった」(創世記1・31)といわれているとおりである。これらを、はなはだよかったと見るとは、これらをその御子、聖言葉においてはなはだよいものとしてお造りになることである。そして、かれらをごらんになることによって、かれらに自然的有と、美とをお与えになったばかりでなく、さらに、ただ御子のみ顔を向けただけで、かれらに、美をまとわせて、あとに残してゆかれた。すなわち、聖言葉のご託身に際して、かれらに、超自然的有を賦与なさったのである。このとき、神は人間を神的美にまでお高めになり、また、人間において、すべての被造物をお高めになった。なぜなら神は人間において、すべての被造物の自然性に一致なさったからである。それで神の御子は御みずから、「私が地上から上げられるとき、すべてを私に引きよせるであろう」(ヨハネ12・32)とおおせられたのである。そこで御子のご託身と、そのご肉体の復活の崇高な奥義によって、御父は、被造物に部分的な美をお与えになったばかりでなく、さらにあますところなく完全に、美と尊厳とをかれらにおまとわせになった、ということができるであろう。
次の歌についての注
さて今、われわれは、観想的感覚と情感とにしたがって語っているのだが、霊魂は、このように被造物を観想するとき、そこから汲み出す生き生きした認識によって、かれらのうちに、神のたまものであるあまりにも豊かな魅力と完全さと、美とを発見する。それがため、これらの被造物は、神のみ顔の超自然的無限の美から由来する自然的美と、完全さとを着せられているように見えるのである。神が、ごらんになるとき、全地上はおろか、全天国は美と歓喜で包まれるのである。ダヴィドも「あなたは、み手を開いて、あらゆる生物を祝福でみたされる」(詩篇144・16)といっているではないか?被造物のうちに発見する愛人の美の足跡によって、愛に傷つけられた霊魂は、可見的美が生ぜしめた不可見的美を見ようとの望みにかられて、次の歌を述ベる。