21、「装いを変え」という語を説明し、この夜において霊魂がする変装の色について語る

変装するとは、自分がそれまで身につけていたのとは違った恰好をすることによって、自分を包み隠してわからないようにすることである。これは、別の服装のもとに、自分の心を、外に表して、深く愛している者の恩恵と意志を勝ち取るためである。また、競争相手から身を隠して、自分のしようと思うことを、よりよく果たすことができるためである。

キリストの愛に触れられた霊魂は、キリストに好まれる者になることを望んで、自分の愛情を最も生き生きと表し、敵(悪魔と世間と肉)から、最も確実に身を守ることのできるように変装するのである。ところで、霊魂が着ている衣服は、白と緑と真紅の三色から成り立っている。これらの三つの色は、三つの対神徳である信望愛を示している。これらによって、霊魂は、愛する方の恩恵と意志を勝ち得るばかりではなく、三つの敵から完全に守られて、安全に旅してゆく。

最初に霊魂は白色の肌着を着る。白は信仰を表している。霊魂がこの信仰という着物を着て歩んで行くと、悪魔は霊魂を妨害しようとしても、それを見ることも、襲うこともできない。なぜなら、その白さ故に、悟性の目を完全に眩ませるからである。それゆえ、聖ペトロも自分を悪魔から救うのに、「信仰に心を固めて、これに抵抗せよ」(1ペトロ5・9)と言ったのである。霊魂は、この暗夜から出てゆく時には、信仰のこの白衣を着ていて、悟性は、霊魂に、光による援助を与えるようなことはない。なぜなら、暗夜のとき、霊魂にとって天は閉ざされ上からの光りによる援助を受けず、また彼を教えていた人々は霊魂を満足させることはなかったので下からの光を受けなかったからである。

次に、霊魂は、信仰のこの白い肌着の上に、第二の色である緑の胴着を重ねる。緑は望徳を表している。霊魂は、これによって、第二の敵である世間から解放され守られる。というのも、この希望の緑色は、永遠の生命に関して、熱意と勇気を与えるので、天国で待っていることに比べれば、世間のすべてのことは、乾ききって、色あせた、生命のない、無価値のものと思えるからである。また事実、その通りなのである。そこで、霊魂は、世間的なものを脱ぎ捨て、その心を世間のどんなものの上にも置かず、世間にあるもの、または、あり得るものを何も希望せず、ただひたすら永遠の生命の希望のみを着て生きてゆく。その結果、霊魂は世間から非常に高く上げられた心を持つようになったので、世間は、その心に触れたり、これをとらえたりすることができないばかりでなく、その目にとまることさえないほどである。このようにして、霊魂は、この緑の衣服や変装のおかげで、この世間という第二の敵から、完全に守られて、安全に進んでゆく。

霊魂は、白の肌着、緑の胴着の上に、仕上げとして、第三の色である素晴らしい真紅の上着を着る。真紅は、愛徳を表している。この真紅の上着は他の二つの色を上品にするだけでなく、霊魂を非常に高く上げ、非常に美しいものとして神の近くに置く。この愛徳の衣は、愛する方に対する愛を一層強め、肉という第三の敵から護り、隠すばかりでなく、他の諸徳を力あるものとする。すなわち、信徳、望徳に活力と力を与え、愛する方を喜ばせるために、上品さと優美さとを添えるのである。なぜなら、愛徳がなければ、どんな徳も、神の御前では好ましいものではないからである。

これが、霊魂が「秘密の梯子」を伝って信仰の夜の中を行くとき身につけた変装なのである。そして、これが、その変装の三つの色なのである。これらの三つの色は、悟性と記憶と意志という、霊魂の三つの能力によって、霊魂が神と一致するための、最も適当な準備である。なぜなら、信仰は、すべての自然的な知識から悟性を空にし、暗くし、それによって、これを英知との一致に備えさせるからである。また、希望は、被造物についての所有のすべてから、記憶を空にし、引き離す。なぜなら、聖パウロが言うように、「希望は、まだ所有していないことについてのものだからである」(ロマ8・24)。それで、希望は、所有して得るものから記憶を引き離し、希望しているものの上に、これを据える。このようにして、神に対する希望のみが、神との一致のために記憶を清く整えるのである。これと全く同様に、愛徳も、神でない一切のものから、意志の愛情と欲求を空にし、これらをすっかり無くさせる。そして、これらを、ただ、神のみに置く。こうして、この愛徳は、意志という能力を整え、愛によって神と一致させる。これらの徳は、霊魂を、神以下のすべてのものから引き離すという役割を持っているので、その結果として、霊魂を神に結ばせることになるのである。

したがって、これらの三つの徳の衣を着て、真実に、熱心に歩むことなしには、愛によって神との一致の完徳に達することは不可能である。