19、聖ベルナルドと聖トマスに従い、神的愛の神秘の梯子の十段階を説明し始める。はじめの五段階について

霊魂が愛によって神のもとに昇るこの愛の梯子の段は十段である。

(愛の梯子の第一段)神が、霊魂に、上からのあり余るほどの熱を送られることによって、霊魂を病気にする。しかし、この病気は、死に至らしめるようなものではなく霊魂の利益となる。なぜなら、この病気のさなかで霊魂は、罪に対して、また、神でない一切のものに対して、神ご自身のために力を失ってしまうからである。病人がどのような食事に対しても食欲を失い、嫌気を感じ、血色が悪くなるのと同様に、愛のこの段階においては、霊魂も、すべてのことに対する味と欲求を失い、ちょうど愛している人がするように、顔色も、過去の生活のさまざまの様式も変えてしまう。すべてのことに対するこの病気と衰弱は、神に行くためのはじまりであり、第一段階であるが、霊魂がこの観想的浄化の階段を昇り始めたとき、霊魂は、味わいや支え、慰め、また、よりどころを、どこにも見出せず、無に帰せられたように感じる。

(愛の梯子の第二段階)第二段階は、霊魂に絶えず神を探し求めさせる。そして、すべてのことのうちに主を探し、見出すまでは、何ものにも立ち止まることはない。霊魂は、あらゆるもののうちに、愛する方を探し求めるほど、非常な熱心さにかられて歩む。何を考えるにしても、直ちに愛する方のことを語り、彼との交わりになってしまう。食べる時も、眠る時も、徹夜する時も、どんなことをする時も、霊魂の注意は余すところなく、愛する方に向けられている。これは、愛の焦燥のうちになされるのである。さて、ここで、この第二段階の愛のうちに霊魂が新たな力を見出し、快方に向かうようになると、これから説明するように、霊魂は、夜のうちに、新しい浄化の、ある段階を通って、直ちに第三段階に昇り始める。これは、霊魂のうちに次のような結果をひきおこす。

(愛の梯子の第三段階)第三段階は、霊魂に業を行わせ、熱を与えて怠ることのないようにさせる。この段階にあって霊魂は、愛する方のためにする偉大な業も、小さなものと見なし、多くのことも、僅かのことのように思う。そして、彼に仕える長い時間も短く感じられる。それは、霊魂が、愛の炎に包まれて燃え立っているからである。ここで霊魂は、神に対して抱いている大きな愛のために、自分が神のためにはほんの僅かなことしかしていないことを非常に情けなく感じ、ひどく苦しむ。そして、もしも神のために何千回でも自分を無にすることが許されるならば、非常に慰められるであろう。それゆえ、霊魂は、することすべてにおいて、自分を役に立たないものと見なし、無駄に生きているもののように考える。ここに、他の感嘆すべき効果が霊魂の中に生じる。それは、霊魂が自分を、他のすべての霊魂よりも確かに悪いものだとみなすことである。その理由の一つは、愛が絶えず霊魂に、神にふさわしいものはどうゆうものであるかを教えるからであり、他の理由は、ここで霊魂が神のために行う業は非常に多いのであるが、霊魂は、それらをみな、欠陥ある不完全なものと認め、これほど崇高な愛のために、自分はなんと低級な仕方で業を行っているかに気づき、それらすべてから、当惑と苦痛とを引き出すからである。この第三段階において霊魂は、自惚れや虚栄心や、他人を非難することなどからは非常に遠く離れている。この第三段階は、以上のような焦燥に満ちた結果を、これに似た多くの結果と共に、霊魂の中にひきおこすのである。それで、霊魂は、ここから第四段階に昇るための勇気と力を汲み取るが、この第四段階とは次の通りである。

(愛の梯子の第四段階)第四段階は、愛する方のために、疲れることなしに常に苦しむという一つの状態を作り出す。というのも、どんなに偉大なことも、重大なことも、愛にとってはほとんど何物でもないからである。霊はここで、大きな力を持つので、肉をすっかり征服してしまい、全くと言ってよいほど肉を問題としない。ここでは、霊魂は、神のうちにも、その他のどんなことのうちにも、自分の慰めや楽しみを決して求めず、また、神の恵みを切に求めることも、それを祈り求めようとすることもしない。というのも、霊魂は、自分がすでに充分なほど恵みを受けていることを、はっきりと知っているからである。そして彼の心遣いのすべては、どうすれば少しでも神のみ旨にかなうことをすることができるかということとに集中している。愛のこの段階は極めて高い。なぜなら、ここでは霊魂は神のために苦しみたいという心で、真実の愛を込めて、常に神の後を歩んでいるからである。それというのも、キリストに対する愛は、自分の愛している方の苦しみを助けずにはいられないからである。これは、霊魂が何ものにも憩いを見出すこともなしに、どこに留まることもせずに、すべての被造物に対して内的に持っている離脱を意味する。この第四段階は、このように霊魂を燃え立たせ、神に対するこれほどの熱烈な望みに燃え上がらせるので、ついに、これを第五段階にのぼらせる。それは次のようなものである。

(愛の梯子の第五段階)第五段階は、霊魂に、激しく神を熱望させ、渇望させる。この段階において、愛する人は、自分の愛する方を知りたい、愛する方と一致したい、という望みがあまりにも激しいので、遅延は、それがどんなにつかの間のものであっても、彼にとっては、恐ろしく長く、苛立たしく、重々しいものとなる。そして、絶えず、愛する方を見出すことのみを考えている。ところが、その望みがかなえられないと見てとると―これはほとんどいつものことなのであるが―、渇望のうちに息も絶え絶えになる。この段階において、愛にとらわれている者は、自分が愛している対象を見ずにはいられない。さもなければ死んでしまう。この飢えの段階においては、霊魂は愛において養われる。というのも、飢えがあればこそ、満たされることもあるのであるから。こうして霊魂は、ここから第六段階に昇る。