18、この秘密の英知が、またどうして「梯子」でるかを説明する

しかし、まだここに、第二の点を見てみる仕事が残っている。すなわち、それはこの秘密の英知が、なぜ梯子であるのか、ということである。これに関しては、さまざまな理由によって、この秘密の観想を梯子と呼ぶことができるということを知らなければならない。まず第一に、これが梯子と呼ばれるのは、ちょうど梯子を伝ってよじ登り、城塞の中にある宝や金銀やその他の事物を奪い取る人のように、この秘密の観想によって、霊魂は、どのようにしてかは知らないまま、天上の宝や金銀を知り、それを所有するところまで、よじ登ってゆくからである。このことは、預言者であるダビデ王によってよく言い表されている。彼は言う、「あなたの恵みと助けをもつものは幸いである。彼らは主が定めたところまで、涙の谷の中を、あなたのみもとに昇るきざはしを、その心の中に据えたからである。そこで掟の主は祝福を与えられ、彼らは段を上るように、徳から徳へと進み、シオンにおいて神々の中の髪を見るであろう」(詩84・6~8)と。神とは、シオンの城塞の宝であり、シオンとは、すなわち天国である。

梯子の段が昇るためにもあるのと同様に、この秘密の観想も、霊魂に行うその交わりが、霊魂を神にまで高めると同時に、霊魂を自らにおいて謙遜に、低くへりくだらせるのであるから、わたしたちはやはり、この秘密の観想を「梯子」と呼ぶことができるのである。というのも、真に神からくるこの交わりは、霊魂をへりくだらせると同時に、これを高めるという特質を持っているからである。この道においては、降ることが昇ることであり、昇ることが降りることである。なぜなら、「自らへりくだる者は上げられ、自ら高ぶる者は下げられる」(ルカ14・11)からである。謙遜の徳は偉大である。それだけでなく、神は、謙遜のうちに鍛えようとして、霊魂に、この梯子を伝って降りらせるためにこれを昇らせ、また、昇らせるためにこれを降らせるのが常である。それは、このようにして、「霊魂は高められる前にいやしめられ、いやしめられる前に高められる」(格言18・12)という賢者の言葉が成就するためである。

今このことを自然的に話すと、もし、このことをよく洞察する霊魂ならば(感じることのできない霊的な面を除いて)、霊魂は、この道において、どれほど多くの高いものと低いものとを感じ、苦しむことかを、また、豊かさを喜び味わった後には、どれほど、すぐ、嵐や試練に見舞われるかを十分悟るであろう。その苦しみはあまりにもひどいので、あのような静けさと繁栄が与えられたのは、あとから来る困苦欠乏を備えさせ、勇気を貯えさせるためであったのだと思えるほどである。そして、惨めさと嵐のあとには、また何という豊かさと静けさが続くことであろうか。それで、祝祭を迎えさせるために、まず、徹夜をさせたのだというふうに、霊魂には思われるのである。これが、静穏の状態に達するまでの観想の段階の普通の型であり、進み方である。これは、決して一つの状態に停止していることはなく、すべては昇ることであり、また降りることである。

このことの原因は、次の通りである。すなわち、完徳の状態、それは、神に対する完全な愛と自己軽視から成り立っているものであるが、それは、神を知ることと、自分自身を知ること、という二つの要素がそろわない限り、あり得ないものであるから、霊魂は、どうしても、まず、そのどちらにおいても鍛えられていることが必要なのである。すなわち、あるときは、その一つを味合わせて霊魂を高め、あるときは、もう一方を体験させてへりくだらせ、遂には、完全な習性を身につけて、もはや、昇ることも降りることも止んでしまうまで鍛えられなければならないのである。その時、霊魂は、もう、神に到達し、神と結ばれているのであって、神は、この梯子の末端のところにおられ、梯子は神によりかかり、神に支えられている。というのも、この観想の梯子は、すでに述べた通り、神から出てくるもので、ヤコブが眠っているあいだに見たあの梯子によって象られている。その梯子を伝って、天使たちは、神から人間の方へ、また、人間から神の方へ上り降りしていたのであった。神は、その梯子の端において、梯子を支えておられた(創28・12)。聖書は、これらのことすべては、夜中に、ヤコブが眠っている間に起こったと記しているが、それは、この道と神の方へ昇ることが、どれほど秘密のものであるか、そして、人間の知識とはどれほど異なったものであるかを示すためである。このことは、全く明らかなことである。なぜなら、大抵の場合、人は、自分にとって最も利益となること―すなわち、自分自身を失くして、無となること―を、何にもまして悪いことのように考え、その反対に、最も価値のないこと―すなわち、自分の慰めや味わいを見出すこと(霊魂は、そうすることによって、得をするよりも、むしろ、損をするのが常であるのに)―を、最も良いことだと思うものだからである。

しかし、今ここで、この秘密の観想の梯子について、一層本質的に、また正確に話すならば、この観想を、ここではなぜ、梯子と呼んでいるかということの、最も主要な特質は、それが、愛の知識であるということにある、と言うべきであろう。この知識は、すでに述べた通り、神についての愛のこもった注賦的知識であって、霊魂が一段また一段と、創造主である神のもとに昇り着くまで、霊魂を照らし、同時に、愛に燃え立たせる。なぜなら、霊魂を神に結び合わせ、一致させるものは、ただ、愛だけだからである。そこで、このことがもっとはっきり解るために、ここに、この神的梯子の段階を一つ一つ示し、その各々の特徴と効果とを簡単に述べ、霊魂が、自分はそれらのどこにいるかを推察できるようにしようと思う。ここで私たちは、聖ベルナルドや聖トマスがしているように、各段階を、それらがもたらす効果によって識別しようと思う。なぜなら、この愛の梯子は、前にも言ったとおり、全く秘密なので、それを測り測量することのできる方は、神のみであるため、各段階をそれ自体において知ることは、自然的なやり方では決してできないからである。