18、この秘密の英知が、またどうして「梯子」でるかを説明する

この秘密の観想が梯子と呼ばれる一番目の理由は、ちょうど梯子を伝ってよじ登り、城塞の中にある宝やその他の事物を奪い取る人のように、この秘密の観想によって、霊魂は、どのようにしてかは知らないまま、天上の宝を知り、それを所有するところまで、よじ登ってゆくからである。

この秘密の観想が梯子と呼ばれる二番目の理由は、梯子の段が昇るためにもあるのと同様に、霊魂に行うその交わりが、霊魂を神にまで高めると同時に、霊魂を謙遜に、低くへりくだらせるからである。というのも、真に神からくるこの交わりは、霊魂をへりくだらせると同時に、これを高めるという特質を持っているからである。この道においては、降ることが昇ることであり、昇ることが降りることである。なぜなら、「自らへりくだる者は上げられ、自ら高ぶる者は下げられる」(ルカ14・11)からである。謙遜の徳は偉大である。神は、謙遜のうちに鍛えようとして、霊魂に、この梯子を伝って降りらせるためにこれを昇らせ、また、昇らせるためにこれを降らせるのが常である。このことを知るならば、どうして豊かさを喜び味わった後に、すぐ嵐や試練に見舞われるのかを十分悟ることができるであろう。

このことの原因は、次の通りである。すなわち、完徳の状態は、神に対する完全な愛と自己軽視から成り立っているものであるが、それは、神を知ることと、自分自身を知ること、という二つの要素がそろわない限り、あり得ないものであるから、霊魂は、どうしても、まず、そのどちらにおいても鍛えられていることが必要なのである。すなわち、あるときは、その一つを味合わせて霊魂を高め、あるときは、もう一方を体験させてへりくだらせ、遂には、完全な習性を身につけて、もはや、昇ることも降りることも止んでしまうまで鍛えられなければならないのである。その時、霊魂は、もう、神に到達し、神と結ばれているのであって、神は、この梯子の末端のところにおられ、梯子は神によりかかり、神に支えられている。

この観想を、梯子と呼んでいるかということの最も主要な特質は、それが、愛の知識であるということである。この愛の知識は、霊魂が一段また一段と、創造主である神のもとに昇り着くまで、霊魂を照らし、同時に、愛に燃え立たせる。なぜなら、霊魂を神に結び合わせ、一致させるものは、ただ、愛だけだからである。そこで、このことがもっとはっきり解るために、ここに、この神的梯子の段階を示し、その各々の特徴と効果とを簡単に述べ、霊魂が、自分はそれらのどこにいるかを推察できるようにしようと思う。ここで私たちは、聖ベルナルドや聖トマスがしているように、各段階を、それらがもたらす効果によって識別しようと思う。なぜなら、この愛の梯子は、全く秘密なので、それを測り測量することのできる方は、神のみであるため、各段階をそれ自体において知ることは、自然的なやり方では決してできないからである。