17、この暗い観想がどれほど秘密なものであるかを説明する。

暗闇の中に安全に、 装いを変え、秘密の梯子で、

「秘密」と「梯子」という語は観想の暗夜に属している。「変装」という語は、この夜にあたっての霊魂の有様であることから、これは霊魂に属する。はじめの二語に関して、霊魂は、愛の一致に向かって出て行くために通るこの暗い観想を、「秘密の梯子」と呼んでいる。この暗夜にある二つの特質から、そのように呼ぶのである。すなわち、それが、秘密であることと、梯子であるということからである。この二つについて、それぞれ別々に説明しよう。

まず霊魂は、この暗い観想を「秘密の」と呼んでいる。それは、これが神秘の体験である限りにおいてであって、これを秘密の英知と呼ぶ。この英知は、愛によって霊魂に与えられが、悟性その他の諸能力の働きからは隠され、闇の中で秘密に行われる。霊魂はそれを知りもせず、どういうことなのか悟ることもないので「秘密の」と呼ばれるのである。そして誰もそれを知らないのであり、悪魔さえも知らない。それは、霊魂を教育する師が霊魂の中に実体的に現存されるからで、そのようなところへは悪魔も、自然的感覚も、悟性も達することができないのである。

このためばかりでなく、この愛の英知が霊魂を浄めるとき、霊魂はその英知について何も言うことができないし、その後の照らしにおいても、それを言い表そうとしても、霊魂には、それを語る気を起こさせない上に、語ることもできない。なぜなら霊魂は、これほど崇高な知識や、これほどデリケートな霊的感動を描き出すことができるための手段も方法も、それに合致した比喩も見出せないからである。それで、たとえ霊魂がそれを口に出して言いたいとどんなに思っても、また、それを述べるためにどんなにいろいろの表現を用いても、それはあくまでも、秘密のまま、言い尽くされないまま残るであろう。純粋の観想は、ことばで言い表すことのできないものであるからである。それだからこそ、「秘密の」と呼ばれるのである。

また、この観想の英知は、神から霊魂に向けられる言葉、すなわち、純霊から純霊への言葉であるから、霊以下のもの、たとえば五感のようなものは、これを受けられない。したがって、霊以下のものにとって、それは、秘密なのであり、霊魂は、この英知を知らず、また、それについて語ることもできない。そして、それを見たことがないので欲望も起こらない。

またこの夜が「秘密の」と呼ばれるのは、時として、神は、霊魂を吸収し、自分の秘密の淵に沈ませるからである。そのとき、霊魂は、自分があらゆる被造物からはるかに遠く運び去られ、それらからすっかり離れ去っていることを明らかに悟るようになる。それで霊魂は、自分が、どんな被造物も近づくことができない果てしなく広がる砂漠のような、極みなく深く広い孤独の中に置かれているような気がする。それが一層深く、広く、孤独であればあるほど、それは一層楽しく、快く、愛にあふれたもので、そこにおいて霊魂は、自分がこの世のあらゆる被造物を越えて、高くあげられているということを悟るとき、自分が全く隠されていて、秘密であることを見出す。そのとき、この英知の淵は、愛の知識の鉱脈の中に霊魂を深く入れて、霊魂を大いに高め、高揚する、それで、霊魂は、この最高の知識と神的霊感に対しては、被造物のあらゆる性質は、非常に卑しいものであるということを知らされるばかりでなく、この世で神に関することがらを述べるために使われるあらゆる言葉の語句が、いかに卑しく、不足だらけであり、ある意味で不適当であるかを悟る。また、この注賦的観想の照らしによるのでなければ、たとえどんなに崇高に博識を傾けて語ったとしても、自然的な方法や手段によってでは、神に関することをあるがままに知り、感じるのはどれほど不可能なことであるかを知る。

この神的観想が、「秘密である」という特質と、自然的容力を越えているという特質を持っているのは、ただこの観想が、超自然的であるばかりでなく、それが霊魂を、神との一致という完徳にまで導き運ぶ道であるためでもある。完徳は、人間的知識をもっては知ることのできないことであるから、霊魂としては、人間的には何も知らないまま、また、神的には、無知のまま、完徳に進んでゆかなければならない。というのも、神秘的な言い方をすれば、神的なことがらや完徳は、人がそれを探しつつあるときや、実行しつつあるときに、それがどのようなものであるかを知られたり、理解されたりするものではなく、それがすでに見出され、すでに実行され終わったとき初めて知られ、理解されるものだからである

霊魂が神に行くために通るこの道は、肉体の感覚にはその通り道も、足跡も隠され、知られないのと同様に、霊魂の感覚にとって、全く秘密であり、隠されているものである。神が、ご自分の英知との一致のうちに偉大なものにして、ご自分に近づけようと望まれる霊魂の中に与えられる痕跡と足跡は、不可知のものであるという特質を持っている。