4 どこで挙行するのか

新約時代の「霊と真理」(ヨハネ4∙24)による礼拝は、特定の場所に限定されてはいません。全地が聖なるもので、人間にゆだねられています。信者が一堂に会するとき、大切なのは、「霊的な家」に造り上げられるために集まった「生きた石」(一ペトロ2∙5)である人々です。復活したキリストのからだは霊的神殿であって、そこからいのちを与える水がほとばしり出ます。聖霊によってキリストに合体されたわたしたちこそ、「生ける神の神殿」(ニコリント6∙16)です。

信教の自由の行使が妨げられなければ、キリスト者は礼拝用の建物を建てます。見える教会堂は単なる集会の場所ではなく、その場所に生きている教会、キリストにおいて人問と和解し、人間とともにおられる神の住まいを表すものです。

「祈りの家は聖体祭儀がそこで行われ、聖体が安置され、信者たちがそこに集まり、わたしたちのためにいけにえの祭壇においてささげられたわたしたちの救い主なる神の子の現存が信者の助けと慰めのために礼拝される場所なので、清らかで、祈りと典礼にふさわしいものでなければなりません」。この「神の家」では、建物全体に利用されているデザインやシンボルなどは、教義とも合致し、しかもそこに現存して活動しておられるキリストを全体的に調和が取れた形で現すものでなければなりません。

新約の祭壇は、過越の神秘の諸秘跡の源であるキリストの十字架です。教会堂の中心である祭壇上で、パンとぶどう酒の形態のもとに十字架の犠牲が現在化されます。これはまた、神の民が招かれている主の食卓でもあります。幾つかの東方教会典礼では、祭壇は聖墓の象徴(キリストは実際に死に、実際に復活されたことを意味するもの)でもあります。

聖櫃は「聖堂の中の尊い場所に尊敬を尽くして」安置されなければなりません。聖櫃の品位、位置、安全性などは、聖体の秘跡に真に現存されるキリストの礼拝を助けるものでなければなりません。塗油によって聖霊のたまものの霊印を示す秘跡的しるしに用いられる聖香油は、伝統的に聖堂の安全な場所に納められ、崇敬を受けることになっています。洗礼志願者の油と病者に用いる油も、そこに置くことができます。

司教の座席(カテドラ)および司祭の座席は、「会衆の座長としての役割と、祈りを指導する役割とを表〔すもので〕なければなりません」。朗読台。「神のことばはその尊厳のゆえに、教会堂の中にふさわしい場を設け、そこから告げ知らせ〔られる必要があり〕ます。それは、ことばの典礼の間、信者の注意が自然に向けられる場所でなければなりません」。

神の民の集まりは洗礼によって始まります。したがって、教会堂には洗礼を行う場所(洗礼盤)と、洗礼の時の約束を思い出させるもの(聖水)を備えなければなりません。
洗礼でいただいた神のいのちを新たにするには、悔い改めが必要です。したがって教会堂には、悔い改める人が罪を告白し、ゆるしを受けるための適切な場所を備えなければなりません。
教会堂はまた、潜心と、エウカリスチアの祈りを深め内面化するための静かな祈りの場所でもなければなりません。

教会堂には終末的な意味もあります。神の家に入るには、敷居をまたがなければなりません。この敷居は罪によって傷つけられた世界から、すべての人が招かれている新しいいのちの世界に移ることを象徴しています。見える教会堂は、御父の家を象徴するものです。神の民はその家に向かって歩み、そこで御父は、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださ」(黙示録21∙4)います。したがって、教会堂は神のすべての子らに扉を大きく開き、歓迎してくれる神の家でもあります。