1 だれが挙行するのか

典礼についてのカテケージスは、第一に、秘跡による救いの営みを理解させることです(第1章)。その理解を通して、この祭儀の新しさが明らかになりました。したがって、本章では、教会の諸秘跡の挙行について取り扱います。多様な典礼伝承において現れる七つの秘跡の挙行に共通するものを考察することになります。各秘跡に固有なものについては次の第2部で取り上げます。秘跡祭儀に関するこの基本的なカテケージスは、信者が提起する次のようなおもだった質問に答えるためものです。
――だれが挙行するのか。
――どのように挙行するのか。
――いつ挙行するのか。
――どこで挙行するのか。

典礼は全キリスト(totus Christus)の「行為」です。現在典礼を挙行している人々は、しるしを超えて、すでに天上の典礼に加わっています。その典礼は完全な交わりであり、祝祭です。

天上の典礼の挙式者

教会の典礼で読まれるヨハネの黙示録は、まず、天に設けられた玉座と、その玉座の上に座っておられるかた、「主」(イザヤ6∙1)を示します。次に「ほふられたように立っている小羊」(黙示録5∙6参照)を示します。十字架につけられて復活されたキリスト、真の聖所の唯一の大祭司、「ささげ、ささげられ、与え、与えられる」かたです。最後に、黙示録は「神と小羊の玉座から流れ出る……いのちの水の川」(黙示録22∙1)を示します。それは聖霊のもっとも美しい象徴の一つです。

キリストにおいて「一つにまとめられた者」は、神への賛美の奉仕とその計画の実現とに協力します。それは天使、すべての被造物(四つの生き物)、旧約時代と新約時代のすべてのしもべたち(二十四人の長老)、神の新しい民(十四万四千人)、とくに「神のことばのために」(黙示録6∙9)殺された殉教者たち、至聖なる神の母(〔竜から追われる〕女、小羊の花嫁)、また、「あらゆる国民、種族、民族、ことばの違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」(黙示録7∙9)などです。

わたしたちが諸秘跡の中で救いの神秘の祭儀を行うときに、聖霊と教会はわたしたちをこの天上の永遠の典礼に参加させてくれるのです。

秘跡の典礼の挙行者

挙行するのは、その頭と一つになったキリストのからだ、すなわち、全共同体です。「典礼行為は、個人的行為ではなく、『一致の秘跡』、すなわち、司教のもとに一つに統合された聖なる民である教会の祭儀です。そのため、典礼行為は教会のからだ全体のものであり、これを表し、これに働きかけるとともに、その個々の肢体に、序列、役割、現実の参加の違いによって,それぞれ異なったしかたで関係します」。したがって、「儀式が、それぞれの特性に基づいて、信者の集まりとその行動的参加を得て、共同体的祭儀として行うことができるものであるときには、この共同体的祭儀を、同じ儀式の個人的、いわば私的挙行に、可能な限り、優先さすべきことが強調されなければなりません」。

祭儀を行う集会は受洗者の共同体であり、彼らは「再生と聖霊の塗油とによって、霊的な家および聖なる祭司職となるよう聖別されるのであって、それは彼らがキリスト信者のあらゆるわざを通し霊的いけにえをささげるものとなるためです」。この「共通祭司職」は唯一の祭司キリストのもので、そのすべての肢体がこれにあずかっています「母なる教会は、すべての信者が、典礼の執行への、充実した、意識的な、行動的な参加へ導かれるようせつに希望しています。このような参加は、典礼自身の本質から要求されるものであり、キリストを信ずる民は、『選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民』(一ペトロ2∙9)として、洗礼によってこれに対する権利と義務を持つのです」。

しかし、「からだのすべての部分は同じ働きをしていません」(ローマ12.4)。ある人々は神によって、教会の中で、教会を通して、共同体の特別な奉仕に召されています。この役務者たちは叙階の秘跡によって選ばれ、聖別されます。聖霊はこの役務者たちが教会に属するすべての人に奉仕するために頭であるキリスト自身として行動することができるようにしてくださいます。叙階された役務者は、祭司であるキリストの、いわば「像(イコン)」です。教会の秘跡が完全に現れるのはエウカリスチアにおいてですから、なによりもエウカリスチア(聖体祭儀)の司式において、司教の奉仕の務め、また司教と一つになった司祭や助祭の奉仕の務めの意味が明らかな形で現れてきます。

信者の共通祭司職の任務に従事するための、叙階の秘跡によって聖別されてはいないそれ以外の特別な奉仕職もあります。その役割はそれぞれの典礼伝承や司牧的必要に基づいて、司教が決定します。「侍者も、朗読者も、解説者も、聖歌隊に属する者も、真に典礼的奉仕を行うのです」。

したがって、諸秘跡の挙行にあっては、集会全体が「典礼の挙行者」です。各自はそれぞれの役割に従いながら、すべての者のうちに働く「霊と結ばれて」、これを果たすのです。「祭儀においては、司祭も信者も、各自が自分の役割を果たし、そのことがらの性質と典礼上の規定によって、自己に属するところのみを、そしてそのすべてを行うべきです」。