6 洗礼の必要性

洗礼が救いに必要なことは、主ご自身が断言しておられます。キリストは弟子たちに、すべての民に福音を告げ、洗礼を授けるようお命じになりました。福音が伝えられてこの秘跡を願うことのできる人々の救いのためには、洗礼が必要です。教会は永遠の幸福の保証を与えるための、洗礼以外の手段を知りません。したがって教会は、洗礼を受けることのできるあらゆる人々を「水と霊によって」生まれさせるために、キリストから受けた使命をなおざりにしないように努めています。神は救いを洗礼の秘跡に結びっけられましたが、神ご自身は秘跡に拘束されることはありません。

教会が初めからつねに確信してきたのは、信仰のためにいのちをささげる人々は、洗礼を受けていなくとも、キリストのために、キリストとともに死ぬことによって、洗礼を受けるということです。この血の洗礼は、秘跡ではありませんが、洗礼の望みと同様、その効果をもたらします。

洗礼を受ける前に死んだ求道者については、洗礼を受けたいという明白な望みに罪の痛悔と愛とが伴っていれば∙洗礼の秘跡によって受けるはずの救いが保証されます。

「キリストはすべての人のために死なれたのであり、人間の究極的使命は実際にはただ一つ、すなわち神的なものですから∙聖霊は神のみが知っておられる方法によって、すべての人に過越の神秘にあずかる可能性を提供されることをわたしたちは信じなけ川まなりません」。キリストとその教会とを知らずに真理を求め、自分の知るところに従って神のみ旨を行うすべての人は救われうるのです。このような人々は、洗礼の必要性を知っていたなら、洗礼を受けたいという望みを表明したに違いないと考えられるからです。

洗礼を受けずに死んだ幼児`こついては∙教会にできるのは∙幼児の葬儀の際に行っているように、その子供を神のあわれみにゆだねることだけです。「すべての人々が救われることを望んでおられ」(イモテ2∙4)る神の限りないあわれみから見て、また、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」(マルコ10∙4)といわれた仁スの子供たちへの愛清から見て、わたしたちは洗礼を受けずに死んだ幼児には救いの道があると希望することができます。それにもかかわらず、教会は、幼児が聖なる洗礼の恵みを通してキリストのもとに近づくのを妨げないようにと強く促しています。