3 教会の神秘

教会は、歴史の中にありながら、同時に歴史を超越しています。教会の見える現実のうちに神的いのちを担う霊的現実を見ることができるのは、「ただ信仰の目だけ」なのです。

可視的でありながら霊的な教会

「唯一の仲介者キリストは、ご自分の聖なる教会、信仰∙希望∙愛の共同体を、一つの目に見える組織としてこの地上に設立し、これを絶え間なく支え、この教会を通して、すべての人に真理と恩恵を広められます」。
教会は同時に、
――「位階制度をもって構成された社会でありながらキリストの神秘体」
――「見える集団でありながら霊的共同体」
――「地上の教会でありながら天上の善に富む教会」でもあります。
以上のような次元の異なる教会の姿が、全体として、「人間的要素と神的要素とからなる複雑な一つの実在を形成しているのです」。 「教会は、人間的であると同時に神的であり、見えるものでありながら、見えない要素に富み、活動に熱心であるとともに観想に励み、世の中にありながら旅することを特性とするのです。しかも、そこでは人間的なものが神的なものに、見えるものが見えないものに、活動が観想に、そして現在は求める未来の国に向けられ、かつ従属しています」。
「何というつつましさ!何という気高さ!杉の幕屋でありながら神の聖所。地上の住みかでありながら天上の宮殿。土造りの家であるのに宮廷。死すべきからだなのに光の神殿。高慢な者にとっては軽蔑の的であっても、キリストの花嫁。エルサレムの娘たちよ、教会は色は黒くとも、美しい。長い流謫の疲労と苦しみに青ざめながら、しかも、天上の装身具で飾られている」。

神と人との一致の神秘としての教会

神の計画の目的は、「あらゆるもの〔を〕キリストのもとに一つにまとめ」(エフェソ1∙10)ることです。キリストがご自分に固有のこの神秘を成就し、啓示されるのは教会においてなのです。パウロはキリストと教会との婚姻を、「偉大な神秘」(エフェソ5∙32参照)と呼んでいます。教会は自分の花婿であるキリストに結ばれているので、教会自身も神秘となります。聖パウロは教会のうちにある神秘を観想しながら、「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」(コロサイ1∙27)と叫びました。

教会とは、この「決して滅びない」(一コリント13∙8)。愛による人間の神との交わりを目指して存在しているものです。したがって、教会の中のあらゆるものは、過ぎ行くこの世に結ばれた秘跡的な道具としてこの目的のために活用されます。「教会の組織は、キリストのメンバーの聖性に完全に従うものです。聖性は『偉大な神秘』に従ってはかられ、その神秘のなかで花嫁は花婿の贈り物に対して愛の贈り物でこたえます」。マリアは、しみやしわのない花嫁としての教会の神秘、つまり、その聖性を、わたしたちすべての者に先だって現しました。「教会のマリア的な面がペトロ的な面に先だっている」のはこのためです。

救いの普遍的秘跡としての教会

ギリシア語のμ”vorvov(ミュステリオン=神秘)という語は、ラテン語ではmysterium(神秘)とsacramentum(秘跡)という二つの語に訳されました。後の解釈によれば、sacramentumの語は、主としてmysteriumの語が表す救いの隠れた現実の見えるしるしを意味しています。この意味で、キリストご自身が救いの神秘であって、「キリスト以外の神秘はありえません」。キリストの聖なる、また聖化する人性の救いのわざが秘跡であり、これが教会の諸秘跡に現れ、働きます(東方教会ではこれを、『聖なる機密sancta mysteria』とも呼んでいます)。七つの秘跡は、頭であるキリストの恵みが、そのからだである教会に聖霊によって注がれるしるしであり、道具です。したがって、教会は自らが示す見えない恵みを保ち、分配します。この類比的な意味で、教会は「秘跡」と呼ばれるのです。

「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具です」。人間と神との親しい交わりの秘跡であること、これが教会の第一の目的なのです。人間同士の交わりは神との一致に根ざすものなので、教会はまた、人類一致の秘跡でもあります。教会において、この一致はすでに始まっています。「あらゆる国民、種族、民族、ことばの違う民」(黙示録7∙9)から人々を集めているからです。と同時に、教会は、将来やってくるはずのこの一致が完全に実現した姿の「しるしであり、道具」でもあります。

秘跡として、教会はキリストの道具です。「教会はすべての人のあがないのため、キリストの手に握られた道具」、「救いの普遍的秘跡」であり、これによって、キリストは「人々に対する神の愛を明らかにし、実現されます。神は、「全人類が神の一つの民を構成し、キリストの一つのからだに結集して、聖霊の一つの神殿に建設される」ことを望まれました。教会は、「人類に対する神の愛の計画の見える現れ」です。