3 聖霊の神殿である教会

「聖霊とキリストの肢体、つまり教会と呼ばれるキリストのからだとの関係は、霊魂と呼ばれる精神と肢体との関係と同じです」。「このキリストの霊が目に見えない原理となって、からだのすべての肢体を相互に結び合わせ、その最高の頭とも結び合わせています。なぜなら、この霊の全部がその頭に、また、からだと肢体の一つ一つの中にあるからです」。聖霊は教会を「生ける神の神殿」(ニコリント6∙16)となさいます。 「神のたまものは、教会にゆだねられました。……まさに、この教会には、キリストとの交わり、すなわち、不朽の保証、わたしたちの信仰の支え、神に向かって昇るわたしたちのはしごである聖霊が託されています。……実に、教会のあるところ、そこに神の霊もおられ、神の霊がおられるところ、そこに教会とすべての恵みとがあるのです」。

聖霊は、「キリストのからだの異なるそれぞれの部分にあっていのちを与え救いをもたらす、あらゆる働きの原理です」。聖霊は多くのしかたで、キリストのからだ全体を愛のうちに築き上げます。すなわち、「造り上げることができる」(使徒言行録20∙32)神のことば、キリストのからだを形づくる洗礼、キリストの肢体に成長といやしを与える諸秘跡、そのたまものの中でとくに優れている使徒たちが受けた恩恵、善に基づいて行動させる徳、さらに、(「カリスマ」と呼ばれる)多様な特別の恵みによって築き上げられるのです。このカリスマによって聖霊は、信者たちを「教会の刷新とその発展のために役立ついろいろの仕事と職務を引き受ける用意がある者、またそれに適するものとされます」。

カリスマ 

非凡なものであろうと平凡で目立たぬものであろうと、カリスマは聖霊の恵みであって、直接∙間接に教会の益となり、教会の発展、人々の益に寄与し、世界の必要に応じるものです。

カリスマは、それをいただく人々にとどまらず、教会の全成員が感謝して受け入れるべきものです。実際、カリスマは使徒的活力やキリストのからだ全体の聖性のための、恵みのすばらしい贈り物なのです。とはいえ、それは真に聖霊からのたまものでなければならず、また聖霊の正しい働きかけに完全に従って、つまり、カリスマの真の尺度である愛に基づいて行使されなければなりません。

この意味で、カリスマの識別がつねに必要になってきます。どのようなカリスマであっても、教会の司牧者とのかかわりをもたなかったり、その判断に従わないようなことがあってはなりません。あらゆるカリスマが「益となるため」(一コリント12∙7)にそれぞれの多様性と補完性とをもって協力し合えるように、見守ってやる必要があります。「霊を消すことではなく、すべてをためし、よいものを保つことは、とくに彼ら(司牧者)の権限」だからです。