2 教会の起源、創立および使命

教会の神秘を探るには、まず、聖三位の計画の中にある起源と、これが歴史の中で徐々に実現してきたこととを思い巡らさなければなりません。

御父のみ心のうちに生まれた計画

「永遠の父は、その英知といつくしみに基づくまったく自由な神秘的な配慮をもって全世界を創造し、人々を神の生命への参与にまで高めることを決定されました」。御父は御子においてすべての人間をこの神的いのちにあずかるように招いておられるのです。「父はキリストを信じる人々を聖なる教会として呼び集めることを決定されました」。この「神の家族」は、人類史の各段階に沿って、御父の配慮に従い、徐々に実現されていきます。教会は実に、「世の初めから予型によってあらかじめ示されていたもので、イスラエル民族の歴史と旧約を通してくしくも準備され、最後の時に設立され、聖霊を注がれることによって明示されました。それはさらに世の終わりに栄光のうちに完成されるでしょう」。

世の初めから現れる教会の予型

「世界は教会のために造られた」と初代教会の信者たちはいっていました。神はご自分のいのちに交わらせるために世界を創造し、この交わりはキリストのうちにすべての人間を「招集」することで実現されます。この「招集」された集いが、教会です。教会は万物の目的です。神が天使の失墜や人祖の罪のような痛ましい事態を妨げなかったのは、ただ、それらを、神の大きな力と世界に与えようと望まれる限りない愛とを示すための機会や手段となさるためでした。 「神の意志は創造の行為であり、造られたものが世界と呼ばれるのと同じように、その目的は人間の救いであり、そのために創設されたものが教会と呼ばれます」。

神の民の招集は、罪が神と人間との交わりならびに人間同士の交わりを破壊したそのときに、すでに始まっています。教会の招集は、いわば、罪が引き起こした混沌に対する神の反応なのです。この再統合はすべての民族の内部でひそかに行われていきます。「どんな国の人でも、神をおそれて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10∙35)。

神の民の招集の遠い準備はアブラハムの召し出しに始まり、神はアブラハムに大いなる国民の父となることを約束なさいました。直接の準備は、イスラエルが神の民として選ばれたときに始まります。イスラエルはこの選びによって、あらゆる国の未来における招集のしるしとなりましだ。しかし、すでに預言者たちは、イスラエル民族が契約を破り、遊女のようにふるまったことを糾弾しています。預言者たちは、新しい永遠の契約を告知します。「キリストはこの新しい契約を制定されました」。

キリスト・イエスによって創立された教会

時が満ちて御父の救いの計画を完遂することが、御子の使命です。ここに、御子の「派遣」の理由があります。「主イエスは、よきおとずれ、すなわち世々の昔から聖書の中で約束されていた神の国の到来を宣言して、ご自分の教会を始められました」。御父のみ旨を果たすため、キリストは地上に天の国を創始されました。教会は、「神秘としてすでに現存するキリストの国」です。

「この国は、キリストのことばとわざと現存によって人々の前に現れます」。イエスのことばを受け入れることは、「み国そのものを受け入れる」ことにほかなりません。神の国の萌芽と始まりは「小さな群れ」(ルカ12∙32)で、イエスは彼らをご自分の周りに呼び集めに来られ、自らその牧者となられます。この人々はイエスの真の家族を形づくっています。このようにしてご自分の周囲に集めた人々に、イエスは新しい「行動のしかた」と同時に、独自の祈りを教えられました。

主イエスはご自分の教会に、み国が最終的な完成を見るまで継続される組織を与えられました。まずペトロを長とする十二使徒を選ばれました。イスラエルの十二部族を表す十二使徒は、新しいエルサレムの礎石です。十二使徒とその他の弟子たちは、キリストの使命と権能、また、そのさだめにもあずかります。以上のすべての行為によってキリストはご自分の教会を準備し、打ち建てられます。

しかし教会は、とくに、キリストがわたしたちの救いのためにご自身を余すところなくお与えくださったことによって誕生しました。キリストはこれを、聖体の秘跡を制定して先取りし、十字架上の死によって実現なさいました。「教会の起源と発展は十字架につけられたイエスの開かれた胸から流れ出た血と水によって表され」ています。「十字架上に眠るキリストのわき腹より、たえなる秘跡である全教会が生じたのです」。エバが眠っていたアダムのわき腹から造られたのと同じように、教会は十字架上で亡くなられたキリストの、やりで貫かれた心臓から生まれました。

聖霊によって顕現した教会

「父が子に地上で行うべきものとしてゆだねられたみわざが完成した後、ペンテコステの日に聖霊が遣わされました。それは、教会をつねに聖となすためでした」。そのとき、「教会は多くの人の前に公に表され、説教による魍民への福音の宣布が始められました」。教会はすべての人を救いに「招集」するものですから、本来、すべての民を弟子とするためキリストによって遣わされた宣教者なのです。

この使命を果たすために、聖霊は「位階制度と霊能(カリスマ)との種々のたまものをもって教会を教え導きます」。したがって教会は、その創立者から受けたたまものに恵まれ、愛と謙虚と自己放棄を命じるそのおきてを忠実に守るとともに、キリストと神との国を告げ、諸国民のうちにそれを刷新する使命を受け、この国の地上における芽生えと開始を成しています」。

栄光の中で完成する教会

「教会は、天の栄光においてはじめて完成をみます」。それは、キリストが栄光のうちに到来される時です。その日まで、「教会は、世からは迫害を、神からは慰めを受けながら旅路を歩み続けます」。この世では、主から遠く離れた流謫の身にあることを自覚し、神の国の完全な到来、「栄光の中で、その王に再び結ばれる時」を切望しています。栄光における教会の完成と、教会を介して遂げられる世界の完成は、大きな試練なしには行われません。その時こそ初めて、「アダム以来のすべての義人は、『義人アベルより、選ばれた最後の人に至るまで』、父のもとに普遍的教会として集められるでしょう」。