1 神の民である教会

「いかなる時代にも、いかなる民族においても、神をおそれ正義を行う人はすべて、神によみされています。しかし神は人々を個別的に、まったく相互の連絡なしに聖とされ救われることではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に神に仕える一つの民として確立することをよしとされました。それで神はイスラエル民族をご自分の民に選んで、それと契約を結び、……徐々に教化されました。しかし、これらすべてのことは、キリストのうちに結ばれるあの新しい完全な契約……を準備し表象するためでした。……キリストはこの新しい契約、すなわち御血における新約を制定したのであって、肉に従ってではなく霊において一つに結ばれた民、神の新しい民となるように、ユダヤ人と異邦人のうちから一つの民を招集されました」。

神の民の特徴

神の民は、歴史上のすべての宗教的、民族的、政治的、あるいは文化的団体とは明確に異なった特徴を持っています。
――神の民である。:神は、いかなる民族にも固有の神としてこれに属することはない。しかし、かつては民ではなかった者たちから一つの民を形づくられ、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民」(一ペトロ2∙9)としてご自分の民となさった。
――この民の一員となるのは、からだの誕生によってではなく、「上からの」誕生、「水と霊とによ〔る〕」(ヨハネ3∙3-5)誕生、すなわち、キリストヘの信仰と洗礼とによってである。
――この民の頭はイエス・キリスト(油を注がれた者、メシア)であり、同じ塗油、すなわち同じ聖霊が頭からからだに流れるので、「メシア的な民」である。
――「この民は、身分としては、神の子らの品位と自由とを備え、彼らの心の中には、あたかも神殿におけるがごとく、聖霊が住んでおられる。
――「この民は法律としては、キリストご自身が我々を愛されたように愛せよとの新しいおきてを有している」。これが、聖霊の「新しい」律法である。
――その使命は、地の塩、世の光であることである。「(この民は)全人類にとって、一致と希望と救いのもっとも堅実な芽生えである」。
――その目的は、「神の国を目指すものであり、その国は神ご自身によって地上に始められたが、さらに拡張されるべきものであって、ついには世の終わりに神によって完成される」のである。

祭司的、預言者的、王的民

イエス・キリストは、御父が聖霊によって油を注ぎ、「祭司、預言者、王」としてお立てになったかたです。神の民全体がキリストのこの三つの職務にあずかり、これに由来する使命と奉仕の責任とを担っています。

信仰と洗礼とによって神の民に加わる者は、この民の独自の祭司としての召命にあずかります。「人々の中から選ばれた大祭司である主キリストは、新しい民を、『ご自分の父である神のための王国および祭司とされました』。すなわち、洗礼を受けた者は、再生と聖霊の塗油とによって、霊的な家および聖なる祭司職となるよう聖別されます」。

「神の聖なる民はまた、キリストが果たされた預言者としての職務にも参加します」。とくに、信徒と聖職者とから成る民全体の超自然的な信仰心をもって、「ひとたび聖徒たちに伝えられた信仰を損なうことなく固く守り」、その理解を深め、世間のただ中でキリストの証人となるときに、この職務を果たすのです。

さらに、神の民はキリストの王としての職務にあずかります。キリストはご自分の死と復活とによって万人をご自分に引き寄せ、その王職を果たされます。宇宙の王、主であるキリストはすべての人のしもべとなられました。「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分のいのちをささげるために」(マタィ20∙28)来られたのです。キリスト者にとって、「仕えることは支配することです」。とくに教会は、「貧しい人や苦しむ人のうちに貧しく苦しんだその創立者の姿を認め」、彼らに仕えるのです。神の民は、キリストとともに仕える召命を生きることにより、その「王的身分」を現します。

「キリストにおいて再生したすべての者は、十字架のしるしによって王とされ、聖霊の塗油によって祭司として聖別されます。それは、霊的な分別のあるすべてのキリスト者が∙わたしたちの役務としての祭司職は別として、すべてこの王族の一員であり、祭司職にあずかる者であることを自覚するためです。実際、ある人にとって、肉体を神に従わせて治めること以上に王的なことがあるでしょうか。清らかな良心を主にささげ∙自分の心の祭壇で、敬神の汚れないいけにえをささげることほどに祭司的なことがあるでしょうか」。