5 終わりの時代の霊と教会

聖霊降臨

聖霊降臨の日(過越の七週間の終わりに当たる)に、キリストの過越は、聖霊の注ぎで完成します。そのとき、聖霊は神のペルソナとして現れ、与えられます。この日、主であるキリストはその満ちあふれるところから、霊をあふれるほどに注がれます。

この日、聖三位が完全に啓示されます。この日から、キリストによって告げ知らせられた神の国は、キリストを信じる人々に開かれます。彼らは人間としての弱さを持ちながら、信仰によってすでに聖三位の交わりにあずかります。聖霊はたえず訪れ、世界を「終わりの時代」、教会の時代、神の国に導き入れます。その神の国はすでに始まっていますが、まだ完成したわけではありません。 「わたしたちは真の光を見、天上の霊を受け、真の信仰を見いだしました。そして、分かたれない聖三位を礼拝します。わたしたちを救ってくださったのは、聖三位だからです」。

神の賜物である聖霊

「神は愛です」(一ヨハネ4∙8,16)。神の愛は第一のたまものであり、この愛のうちに他のすべてのたまものが含まれています。この愛は「わたしたちに与えられた聖霊によって、わたしたちの心に注がれて」(ローマ5∙5)います。

わたしたちは罪によって死んでいるか、あるいは少なくとも傷ついているので、愛のたまものの第一の効果は、わたしたちの罪のゆるしです。教会の中での「聖霊の交わり」(ニコリント13∙13)を通して、罪のためにそうではなくなっていたのに、再び神に似た者とされるのです。

そのとき、聖霊はゆだねられたわたしたちの遺産の「保証」あるいは「初穂」を与えてくださいます。それは聖三位のいのちそのもの、イエスが「わたしたちを愛してくださったように」愛し合ういのちです。この愛(一コリント13章参照)はキリストに結ばれた新しいいのちの原理であって、その愛に生きることができるのは、「聖霊がくだって、〔わたしたちが〕力を」(使徒言行録1∙8)いただいたからです。

この聖霊の力によってこそ、神の子らは実を結ぶことができます。わたしたちを真のぷどうの木に接いでくださった霊は、わたしたちに「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5∙22-23)の実を結ばせてくださいます。霊はわたしたちのいのちです。わたしたちが自分を捨てる度合いに応じて、霊の導きに従って生きることになるのです。 「聖霊は、わたしたちを楽園に復帰させ、天の国へ昇らせ、神の子らの身分に戻させてくださいます。また、神を父と呼び、キリストの恵みにあずかり、光の子と呼ばれ、永遠の栄光にあずかる勇気を与えてくださいます」。

聖霊と教会

キリストと聖霊との派遣は、キリストのからだであり、聖霊の神殿である教会において実現されます。このときから、両者の派遣はキリスト者を、聖霊において御父と交わっておられるキリストとの交わりにあずからせます。聖霊は人々をキリストに引き寄せるため、先に恵みを与えて彼らを準備してくださいます。聖霊は復活された主を示し、キリストのことばを思い起こさせ、キリストの死と復活の意味を悟らせてくださいます。また聖霊は、とくにエウカリスチア(感謝の祭儀)においてキリストの神秘を現在化し、それによって人々を和解させ、神との交わりに入れ、「多くの実を結ぶ」ことができるようにしてくださいます。

したがって、教会の派遣はキリストと聖霊との派遣に追加されるものではなく、両者の派遣を表す秘跡なのです。つまり、教会はその全存在を挙げて、すべての成員とともに、聖三位の交わりの神秘を告げ知らせ、あかしし、現在化し、広めるために派遣されているのです(この問題については次の項で取り扱います)。

「わたしたちは皆、ただ一つの同じ霊、すなわち聖霊を受け、相互に、また神と混ぜ合わされた状態になっています。というのは、個別では大勢であっても、キリストが御父およぴご自分の霊であるかたをわたしたち各自のうちに住まわせ、この唯一の、分かたれない霊が、互いに異なる者たちをご自分によって一致させ、……わたしたちが皆、ご自分においてただ一つのものであるかのようにしてくださるからです。思うに、キリストの聖なる人性の力がこれに結ばれているすべての人々をただ一つのからだに形づくられるのと同じように、わたしたちすぺてのうちに住まわれる神の唯一の分かちえない霊が、すぺての者を霊的一致に導かれるのです」。

聖霊はキリストの塗油であるので、からだの頭であるキリストは、聖霊を肢体に注ぎ、これを養い、いやし、相互の機能を整え、生かし、派遣してあかしを立てさせ、ご自分の御父への奉献と、世界全体のための執り成しにあずからせてくださるのです。キリストは教会の諸秘跡を通して、ご自分のからだの肢体にご自分の聖なる聖化する霊をお与えになります(この問題は第2編で取り扱われます)。

教会の諸秘跡において信者に提供されている「神の偉大なわざ」は、キリストに結ばれた新しいいのちの中で、霊に従って実を結びます(この問題は第3編で取り扱われます)。

「霊は弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るぺきかを知りませんが、霊自らが、ことばに表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(ローマ8∙26)。神のわざを完成なさるかたである聖霊は、祈りの師なのです(この問題は第4編で取り扱われます)。