1 御子と聖霊の共同の派遣

御父がわたしたちの心に遣わされた御子の霊は、真の神です。御父や御子と同一実体のものであり、聖三位の隠されたいのちにおいても、世界に向けられた無償の愛においても、二者と切り離すことはできません。しかし、教会の信仰は、同一実体の分かっことのできない聖三位、いのちを与える聖三位を礼拝しながら、しかも三つのペルソナの区別を宣言します。御父が御子をお遣わしになるときは、つねに聖霊もお遣わしになります。御子と聖霊の派遣は共同のものです。両者は区別されますが、分離されえません。確かに、キリストは見えない神の見える姿であるということは明らかですが、そのキリストを啓示するのは、聖霊なのです。

イエスがキリスト、「油を注がれたかた」であるのは、聖霊によって塗油されたからであり、受肉後に起こったすべてのことは、この霊の充満に由来するものです。そして、キリストが栄光を受けられてからは、今度はキリストが、御父のもとからご自分を信じる人々に霊を遣わすことがおできになるのです。ご自分の栄光を彼らに与えるとは、ご自分に栄光を与える聖霊を与えてくださるということです。そのとき御父によって、御子のからだの肢体であるご自分の子とされた人々への、御子と聖霊の共同の派遣が展開されていきます。人々を神の子とする霊の派遣は、信じる人々をキリストに一致させ、キリストに結ばれて生きるようにするためなのです。 「塗油の概念から考えられることですが……御子と聖霊との間には何の隔たりもありません。事実、からだの表面と塗られた油との間には理性も感覚も中間物を認めないのと同じく、御子と聖霊との接触は直接的です。ですから、信仰によって御子のからだに触れようとする者は、まず、油に触れなければなりません。実際、御子のからだのいかなる部分も聖霊によって塗られていないところはないのです。それゆえ、御子が主であることを受け入れる人々の信仰告白は、聖霊によってなされます。聖霊は、信仰によって近づく人をどこからでも迎えに来られるからです」。