2 聖者と使者を裁くため

イエスは、預言者たちや洗礼者ヨハネに続いて、説教の中で最後の日の審判を予告されました。そのときには、各自の行為と心の秘密があらわにされるでしょう。そして、神が与える恵みを顧みなかったとがめるべき不信仰が断罪されることでしょう。隣人に対する態度が、神の恵みと愛とを拒否したか、あるいは受け入れたかを明らかにするはずです。イエスは最後の日に、「わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25∙40)といわれるはずです。

キリストは永遠のいのちの主です。人間の行為と心とを最終的に裁く至上権は、世のあがない主であるキリストに属します。キリストはこの権利を十字架によって「かちとられました」。しかも御父は、「裁きはいっさい子に任せておられる」(ヨハネ5∙22)のです。ところで、御子は裁くためにではなく、救うため、ご自分のうちにあるいのちを与えるために来られました。このいのちの恵みを拒絶することで、おのおのはすでに自分自身を裁き、その行いに従って報いを受けています。そのうえ、愛の霊を拒否して、自らを永遠にのろわれた者にすることさえできるのです。