2 聖三位のみわざとしての復活

キリストの復活は、被造界とその歴史への神ご自身の超越的な介入であるという意味で、信仰の対象です。キリストの復活において、神の三つのペルソナは、ともに働かれると同時にそれぞれの独自性を表されます。キリストの復活は御子キリストを「復活させられた」(使徒言行録2∙24)御父の力によって行われ、御父はこうして、御子の人性を一からだとともに一聖三位のうちに完全なしかたで迎え入れられました。イエスが「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子」(ローマ1∙4)であるということが決定的に明らかにされます。聖パウロは、イエスの死んだ人性を生かし主としての栄光の状態に導いた、霊のわざによる神の力の顕現を力説します。

御子についていえば、御子はご自分が持つ神の力によって自らの復活を成し遂げられました。イエスは、人の子が多くの苦しみを受け、死に、その後復活すべきことを告げておられます。他の箇所では、「わたしは、いのちを再び受けるために捨てる。……わたしはいのちを捨てることもでき、再び受けることもできる」(ヨハネ10∙17-18)と明白に断言しておられます。「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています」(一テサロニケ4∙14)。

教父たちは、死によって分離した霊魂と肉体とに結ばれているキリストの神的ペルソナから、その復活を眺めます。「人間イエスの二つの部分にそれぞれ等しく存在しており、その死によって分離させられていたものが、神性が一つであることによって、再び一つのものとして結び合わされます。人間として合体していたものが分離することによって死に、分離したものが合体することによって復活するのです」。