3 まことの神、まことの人

他に例を見ない神の御子の受肉という事実から導き出される唯一の結論は、イエス・キリストが一部分は神で一部分は人であるとか、神的なものと人間的なものとの雑然とした混合体であるなどというようなことではありません。神の御子は、真に神のままで、真に人となられました。イエス・キリストはまことの神、まことの人です。教会は最初の数世紀の間、この信仰の真理をゆがめた異端に対してこれを擁護し、その内容を明確にしなければなりませんでした。

初期の異端は、キリストの神性よりも人性のほうを否定するものでした(グノーシス派の仮現説)。すでに使徒時代から、キリスト教は「肉において来られた」神の御子が真に人となられたことを強調してきました。しかし3世紀から教会は、サモサタのパウロに抗議してアンチオキアで教会会議を開催するなどして、イエス・キリストは神の養子ではなく、本性から神の御子であることを明言しなければなりませんでした。最初の公会議であるニケア会議は、325年、その信条の中で、神の御子は「造られずして生まれ、父と同一実体のもの(homousios)」であると公言し、「神の御子は無から造られた者であり」、父とは「別の実体ないし本質から」造られたと主張した、アリウスを排斥しました。

ネストリウス派の異端は、キリストにおいては人間としてのペルソナが神の御子の神的ペルソナに結合されていると考えました。これに対して、アレキサンドリアの聖チリロと第3番目の公会議である431年のエフェソ会議は、「みことばは、そのペルソナのうちに理性的魂によって生かされる肉体をご自分と一つに結び合わせて人となられた」と公言しました。キリストの人性の主体は神の御子の神的ペルソナ以外になく、これが人性を受け、受胎のときから自分自身のものとしたのです。そのため、431年にエフェソ公会議は、マリアは神のみ子を人として胎内に宿すことにより、正真正銘神の母となられたと宣言しました。「マリアが神の母であるのは、神のみことばがマリアから神性を受けたからではなく、神のみことばが、理性的魂を備えた聖なる肉体をマリアから受けたからです。みことばがそのペルソナにおいてこの肉体と結ばれているので、みことばは肉に従って生まれるといわれるのです」。

キリスト単性論者たちは、キリストにおける人性は神の御子の神的ペルソナの性に高められ、もはや人性として存在しないと主張しました。この異端に対して、第4番目の公会議である451年のカルケドン会議は、次のように宣言しました。 「わたしたちは皆、教父たちに従って、心を一つにして次のように教え、宣言します。わたしたちの主イエス・キリストは唯一の同じ子です。彼は神性を完全に所有し、同時に人間性を完全に所有します。真に神であり、同時に理性的魂と肉体とから成る真の人間です。神性において父と同一実体であるとともに、人間性においてわたしたちと同一実体です。『罪を除いては、すべてにわたしたちと同じです』。神性においてはこの世の前に父から生まれ、人間性においては、終わりの時代にわたしたちのため、またわたしたちの救いのために、神の母処女マリアから生まれました。
同じ唯一のキリスト、主なるひとり子であり、二つの本性において、混合、変化、分割、分離せずに存在します。この結合によって二つの本性の差が取り去られるのではなく、むしろおのおのの本性の特質は保存され、(両方の本性は)唯一のペルソナ(位格)、唯一のヒュポスタシス(自立存在)にともに含まれています」。

カルケドン公会議の後、ある人々はキリストの人性を人格的主体として考えるようになりました。これに対して、第5番目の公会議である553年のコンスタンチノープル会議は、「聖三位の一者であるわたしたちの主イエス・キリストには唯一の自立存在(またはペルソナ)だけが存在する」と宣言しました。したがって、キリストの人性におけるすべては、単に奇跡にとどまらず、苦しみも、死さえも、その固有の主体である神的ペルソナに帰すべきです。「肉において十字架につけられたかた、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストは、真の神、栄光の主、聖三位の一者です」。

教会はこのように、イエスはまことの神であり、同時にまことの人であると公言します。イエスは真に神の御子で、人となり、わたしたちの兄弟となられました。しかも、そうなられながら依然として神であり、わたしたちの主なのです。 ローマ典礼は、「キリストは神のままでありながら、神ではないものを担われた」と歌います。また、聖ヨハネ∙クリゾストモの典礼は次のように宣言し、歌っています。 「ああ、神のひとり子、みことばよ。あなたは不死のかたでありながら、わたしたちの救いのため、聖なる神の母、終生おとめであるマリアによって人となられました。あなたは人となられても変わることなく、しかも、十字架につけられました。ああ、神なるキリスト、あなたは死によって死を打ち砕き、聖なる三位の一者として、父と聖霊とともに賛美されます。わたしたちをお救いください」。