1 みことばはなぜ人(肉)となられたか

ニケア∙コンスタンチノープル信条に従い、わたしたちはこれに答えてこう公言します。「主は、わたしたち人類のため、また、わたしたちの救いのために天よりくだり、聖霊によって、おとめマリアより御からだを受け、人となられた」と。

みことばが人となられたのは、わたしたちを神と和解させて救うためでした。神は「わたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(一ヨハネ4∙10)。「御父は御子を世の救い主として遣わされました」(一ヨハネ4∙14)。「御子は罪を除くために現れました」(一ヨハネ3∙5)。 「わたしたちの本性は、病んでいたのでいやしを、罪におちていたので再起を、死んでいたので復活を必要としていました。わたしたちは持っていた宝を失っていたので、これを取り戻す必要がありました。やみの中に閉じ込められていたので、光が必要でした、とりことなっていたので救い主を、囚人となっていたので助けを、奴隷であったので解放者を待ち望みました。このような重大な理由があったので、神は心を動かし、わたしたち人間の本性にまで下って、訪れてくださったのではないでしょうか。人間はそれほど惨めで、不幸な状態にあったのです」。

みことばが人となられたのは、わたしたちが神の愛を知るためです。「神は、ひとり子を世にお遣わしになりました。そのかたによって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(一ヨハネ4∙9)。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。ひとり子を信じる者が一人も滅びないで、永遠のいのちを得るためである」(ヨハネ3∙16)。

みことばが人となられたのは、わたしたちの聖性の模範となるためです。「わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。……」(マタイ11∙29)。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14∙6)。また変容の山で、御父は「これに聞け」(マルコ9∙7)と命じておられます。イエスは真福八端の模範、「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネ15∙12)互いに愛し合いなさいという新しいおきての規範です。この愛は、キリストの後に従って自分を実際にささげることを含んでいます。

みことばが人となられたのは、わたしたちを「神の本性にあずからせる」(二ペトロ1∙4)ためです。「みことばが人となられ、神の御子が人の子となられたのは、人がみことばに結合することで神と親子の縁を結び、神の子となるため」であり、「神の子が人となられたのは、わたしたちを神とするためなのです」。「神のひとり子は、わたしたちがご自分の神性にあずかることを望み、わたしたちの本性を受け入れて人となり、人間が神となるようになさいました」。