3 神のひとり子

神の子という称号は、旧約聖書の中では、天使、選ばれた民、イスラエルの子らと、その王に与えられています。その場合、この称号は、神と特別に親しい関係を持つ人々と神との間に結ばれた養子身分を表しているのです。約束された王であるメシアを「神の子」というときの字義どおりの意味では、必ずしも人間以上の者であることを指しているわけではありません。したがって、イエスをイスラエルのメシアとして、神の子と呼んだ人々は、おそらくそれ以上のことを念頭に置いてはいなかったでしょう。

ところが、ペトロがイエスを「生ける神の子キリスト」と公言したときの事情はこれとは異なります。なぜなら、イエスは「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタイ16∙17)と荘厳に答えておられるからです。同じく、パウロはダマスコヘの途上で起こった回心についてこう述べています。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、み心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされ〔ました〕」(ガラテヤ1∙15-16)。パウロはこの後「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことをのべ伝え」(使徒言行録9∙20)ました。教会の礎とされたペトロによってまず宣言されたこの考えは、当初から使徒たちの信仰の核心となっていきます。

ペトロが、メシア∙イエスに神の子の超越的性格を認めることができたのは、イエスがそれを明白に表されたからです。イエスは最高法院で、「では、お前は神の子か」という告発者たちの尋問に、「わたしがそうだとは、あなたたちがいっている」(ルカ22∙70)と答えられます。すでにそれ以前、イエスはご自分を、父を知る「子」、これまでに神がご自分の民に遣わされた「しもべたち」とは異なる者、天使たちにすらまさる者といわれましたご自分の子としての身分を弟子たちのそれと区別しておられます。そのため、「だから、あなたがたはこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ』」(マタイ6∙9)と命じられた場合のほかは、決して「わたしたちの父」とはいわれませんでした。さらには、「わたしの父であり、あなたがたの父であるかた」(ヨハネ20∙17)といい、この区別を強調しておられます。

福音書は、キリストの洗礼および変容という二つの厳粛なときに、キリストを「わたしの愛する子」と呼ばれる御父の声を伝えています。イエスはご自分を「神のひとり子」(ヨハネ3∙16)と呼び、この称号によってご自分の永遠からの存在を断言しておられます。また「神のひとり子の名を」(ヨハネ3∙18)信じるようにお求めになります。キリスト者のこの信仰宣言はすでに、十字架上のイエスを前にした百人隊長の叫び、「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15∙39)に表れていました。イエスの死と復活の神秘を前にして初めて、信仰者は「神の子」の称号の究極の意味を把握することができます。

キリストの神の子としての身分が栄光を受けた人性の権能のうちに現れるのは、復活の後です。「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」(ローマ1∙4)。使徒たちは、「わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ1∙14)、と公言することができたのです。